3430「真実が明かされる時」2024.5.17 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年05月05日「真実が明かされる時」と2024年05月07日「おかげさま」 の2つの記事を紹介します。

「真実が明かされる時」

もう数千年も、ある意図を持って隠されてきた真実があります。

そして同じく数千年の時を掛けて、その秘密を明かし、人々を幸せにしようという勢力による努力もなされてきました。

そして、沢山の人々の努力により、その隠された真実が今明かされようとしています。

その隠された真実とは、私達の心の中には神さまがいらっしゃるという事。

それは、誰一人として、例外なくです。

私達の心は、巧妙な手段によって、がんじがらめにされてきました。

キリスト教では、私たちは生まれながらの罪人であると教えられて来ました。

ボロボロになるまでも自分を犠牲にし、他人に尽くしなさいとも教えられました。

自己所有の私の・・と言う言葉が生まれました(縄文の時代には存在しませんでした)

その結果、所有慾が生まれました。

持てる者、持たざる者の違いが生まれました。

それによって、嫉妬心が生まれました。

嫉妬、やっかみ、ねたみ、ひがみ、焼きもち・・・これらは、心を曇らせます。

支配と依存の心が生まれました。

自分さえ良ければの心が生まれました。

持たざる者は、常に将来の不安・恐怖を抱くようになりました。

自分の思い通りにならない事、思い通りに動かない人々のことを許せなくなりました。

ですが、私達の心の中には神さまがいます。

良心があります。

その結果、良心と、悪い心の狭間で、葛藤が生まれました。

人を許せないのと同じパワーで、自分自身も許せなくなりました。

私達は生まれながらの罪人と教えられて来たからです。

でも、この数千年の間、その呪縛を取り除く努力も綿密に計画され、実行されてきました。

私達の心の中には「神さま」がいるという事。

心に静かに問いかければ、誰でも内なる神さまの声を聞けること。

時代はもはや、助けてくれる神々や、頼れる師を外に求める時代ではなくなりつつあります。

自分が自分の心のよりどころとなる時代に入ったからです。

そのよりどころとは、私たちの中に何時もいらっしゃる「神さま」です。

それは、数千年にも渡り隠そうとしようとして来た勢力と、それに抵抗し続けた勢力の

せめぎ合いの時代でした。

それでも今、着実に真実を明らかにし、人々を幸せにしたいという願いが、実現しつつある時代になってきました。

自分の可能性を信じ、自分を受け入れ、人のあるがままを許し、自分のあるがままを許し、

そして自分を認めていく段階に来ました。

それが出来た時、初めて私達は自分自身を愛し、その内なる可能性を信じ、自らの足で

歩み始めることが出来ます。

真の意味で人に優しくすることができます。

私達の心の中には神さまがいます。

全ての人の中にいます。

自分自身を許し、受入れ、慈しむことが出来た時、

その「神さま」は輝きを増します。

私達が常に恐怖に苛まれ、

愛の欠乏を感じ、苛立ち、人を、自分を、許せなくなるのは、その様に仕向けて来た

者達がいたからです。

巧妙でシステマティックな手段でした。

ですがそれと同じく、陰があれば陽があるように、その隠された真実を元のように、

表に出そうと、努力してくれていた命がありました。

私たちは、自分自身を卑下する必要はありません。

イエス自身が仰ったように、私達は一人一人、誰もが尊い存在だからです。

でも、最後の扉は自分で開かなければなりません。

その方法は、非常にシンプルです。

置かれた場所で咲きなさい。

そのように生きることです。

私達の中には、宇宙の根本法則である神さまが居らっしゃいます、

それは本当は私達自身であり、私達の良心です。

それに気付き、知ること。

その神さまは全ての私達の属する宇宙の運航、そして身近な出来事、人との出会い、

別れさえも決めています。

今、自分がいるそのままの場所・環境の中で、全てに感謝して輝き、そして幸せになること。

それこそが、今の時代に生きる人々に求められています。

ブッダの時代から数え、2回目の1,200年ごとのサイクルの中で、今、その段階に入りました。

「おかげさま 」

私たちの心は強力で、広大です。

見える世界、見えない世界を包み込んでいます。

例え、神様・仏様、能力のあるとされる方が、一瞬にして私たちの境遇を引き上げたとしても、私たちの心が変わらなければ、またすぐに同じ世界に戻ってしまうことでしょう。

それに引き換え、心の中に感謝の気持ちを持つことができれば

私たちの境遇は一瞬にして変わってしまうことでしょう。

空海が仰るように生きながら天国に住むものとなります。

さて今日は、お陰様に付いてご紹介します。

謙虚で優しい気持ちです。

前ノートルダム清心学園理事長、渡辺和子さんの言葉です。

<引用開始>

小さなお子さんの手を引いて、

一人のお母さまが水道工事の現場の傍(そば)を通りかかりました。

暑い夏の昼下がりのことでした。

お母さまは坊やに向かって、

「おじさんたちが、汗を流して働いてくださるから、坊やは、おいしいお水が飲めるのよ。

ありがとうと言いましょうね」

と話してやりました。

やがてもう一人、同じように幼い子の手を引いて、別の母親が通りかかりました。

「坊や、坊やもいまから一生懸命にお勉強しないと、こういうお仕事をするようになりますよ」

と言ったというのです。

同じ仕事に対して、こうも違った考えがもてるものでしょうか。

最初の母親は、この日、子どもの心に、労働に対しての、尊敬と感謝の気持ちを育てました。

二番目の母親は、(手をよごす仕事、汗まみれの労働)に対しての、

恐ろしいまでに誤った差別観念を、我が子に植えつけたことになります。

私たちがいま、子どもと一緒にこの場にいたとしたら、どんな会話を交わすことでしょうか。

会話以上に大切なのは、どんな思いを抱いて、働いている人たちの傍を通るかということなのです。

人は、自分がもっていないものを、相手に与えることは出来ません。

感謝の気持ちを子どもたちの心の中に育てたいならば、まず親がふだんから

「ありがとう」という言葉を生活の中で発していることが大切なのです。

近頃の学生たちで気になることの一つは、

いわゆる〈枕詞(まくらことば)〉のようなものを習ってきていないということです。

例えば、「お元気ですか」と尋ねると、「はい、元気です」という答えは返ってきても、

「おかげさまで元気です」という返事のできる学生が、以前と比べて少なくなりました。

遅刻して教室に入ってきた学生が、

授業の後で、「遅刻しました」と、名前を届けにはきても、

「すみません、遅刻しました」という枕詞がつかないのです。

「お話し中、すませんが」とか、

「夜分(やぶん)、失礼します」という挨拶のできる学生も少なくなりました。

いずれにしても、言葉が貧しくなっています。

そして、それは取りも直さず、心が貧しくなっている証拠なのです。

せめて、「おかげさまで」という言葉と心を、生活の中に復活させましょう。

理屈っぽい人は、「何のおかげですか」と言うかも知れません。

何のおかげでも良いのです。

この表現は、私たちが実は、一人では生きられないこと、

たくさんの〈おかげ〉を受けて生きていることを忘れない心の表れなのです。

見えないものへの感謝なのです。

ところで、本当にありがたいこと、

何でもない時に「おかげさまで」と言うのは比較的に易しいのですが、

不幸や災難に遭った時はどうしましょう。

そんな時にも、「おかげさまで」と言える自分でありたいと思っています。

ごまかすのではなく、不幸、災難、苦しみをしっかりと受け止めながら、

「いつか、きっとこの苦しみの〈おかげさまで〉と言える自分になりたい、

ならせてください」と祈る気持ちをもっていたいのです。

<引用終了>

子どもは親や教師の「いう通り」にはならないが、「する通り」になる。

そう渡辺さんは仰います。

このたとえ話では、 親の価値観が、子どもの価値観を作る・・

ということが良く描かれています。

私たちの日々の何気ない一言、行動を子どもたちは本当によく見ています。

そして、ものすごい早さで吸収していきます。

親だからといって、100%完璧な人間になることは不可能ですが、

「お手本」になるために、少しだけ意識してみることはできるかもしれませんね。