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今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。
1373 2024.12.06
フォン・カラヤンは、魂の不滅、転生を信じていました。自分のいのちの中心には、「素晴らしい音楽を追求・創造してゆきたい」という強く、激しい、揺るぎない意志が存在している。こんなにも強く激しい意志が、肉体がなくなったぐらいで消滅するはずがないではないかと語っておられました。
「魂」というボールの中心点には、いのちの「根本意志」が存在していて、それは『どこまでも、大きくなろう、より高く成長してゆこう』という意志です。この意志はどのいのちにも共有されているので、「共有意志」ともいいます。その外側の層に、その人が今生で担う「役割意志」の層があります。その二つの意志が、その意志実現のために使用する乗物、「心(霊)の体」、「肉の体」を、二つの意志層の外側の層に持っているのです。
地上世界で亡くなると、「肉の体」は消滅しますが、それより内側の三層の魂は残り、地上での生の総括と反省が終わると、次の地上人生のあらすじを描いて、再び「肉の身」をまとって降臨します。さらに学習をすすめ、より高く、より大きく成長するために…。
永遠生命の自覚とは、その根本意志の強さ、激しさ、揺るぎなさに気づくということです。人生にはいろんなことがあります、泣いても笑っても、怒っていても、悲しんでいても、どんな時も魂の「方位磁針」は、「限りない成長進化」を指して不動です。
「好雪片々、別処に落ちず」という禅語があります。雪が降り続いています。雪の一片、一片、風に任せて取りとめのない、ばらばらの方向に落ちてゆくように見えるけれど、実は、どの一片にも同じ力(重力)が常にはたらいているのです。この重力に相当するのが、「根本意志」ですね。
人だけでなく、植物にもこの「根本意志」が、人よりも純粋な形ではたらいています。樹や花と対面して心をかよわせると、魂の永遠性の神秘について教えてくれます。『無門関』の「庭前柏樹子」という公案は、この根源意志をテーマにした問題です。
しかし、地上では自覚できなくても、あっちの世界にゆくと、誰でもそのこと(魂の永遠性)が自明のことなので、今生で悟ってやろうなどとあせる必要はありません。
1372 2024.12.05
「いのち」は「意の霊」で、「意」は「意識」、「霊」は「霊体」のことで、そのカラダには2種類あって「心の体」と「肉の体」です。「いのち」は、このように三層構造(意と霊体と肉体)で、古事記の冒頭の造化三神は、この「いのち」の三層構造を示しています。
しかし、「いのち」という言葉は、構造を示すには都合がいいのですが静的な感じがするので、いのちのダイナミックな作用、転進進化の方向性などを示すには、コロコロ転がる、ドンドン成長し大きくなってゆく「タマ」で象徴した方がいいわけです。そこで、「タマシヒ(魂)」という言葉を使います。「シヒ」は、「進化のゴールをめざす激しい(シ)、霊的エネルギー(ヒ)」のことです。
1371 2024.12.03
風水を気にされる前に、もっと大切なことがあります。それは、あなたがいま住んでいらっしゃるお家を愛して、大切に、大切にお世話してあげることです。
そのように、慈しみの念をこめて大切に扱ったモノには愛念がこもり、やがていのちが宿り、今度は、そのモノがあなたを護ってくれるようになります。「トイレの神さま」が、はじめからいらっしゃるわけではなく、丁寧にお世話したトイレには、そのあなたの愛念が籠って、ついにあなたを護る神さまとなるのです。
そのように、モノをお世話してゆくと、『このモノは、ここに置いてあげたほうがいいなあ』、『ここをこう改造してあげるともっと輝くなあ』と自然に分かるようになります。モノが適切な位置を教えてくれます。そうすると、自然に風水の法則に則った配置が整ってゆくのです。
風水の法則をあまり神経質に守ろうとすると、不安の念がドンドン大きくなって、その不安の念が不幸を引き寄せるということがあります。気をつけて下さい。
1370 2024.12.03
「瞑想」は、イメージしたり、集中したりする努力があります。その分「アタマ」がはたらいています。また、その「アタマ」の努力には合格があったり、不合格があったりします。思うように瞑想出来ないとイライラ自分を責めたり、不合格だと落ち込んだりしがちです。
「坐禅」は、坐禅の姿勢をとってただ坐るだけでいいのです。「カラダ」で坐るので、「アタマ」で坐るのではありません。ですから、「いい坐禅」、「悪い坐禅」という区別はありません。ただ「坐禅」という姿勢をとるだけです。
「坐禅しても雑念だらけで…」とおっしゃる方がいますが、雑念とおっしゃるのは、それがいけないと自分勝手に判断しておられるわけですね。
一時間先に起こることも、千メートル先で起こっていることもさっぱり分からない程度の、そんな性能が悪い「アタマ」の判断を信用してはいけません。そんなお粗末な「アタマ」をしばらくお休みにして、ただ「カラダ」に任せて坐ろうというのです。
それだけで、不思議なことには心が休まり、日常生活で消耗していたいのちが自然と充電されてゆきます。なぜか人生が好転してゆきます。なぜそうなるのかは分かりませんが、人類は六千年も前から、カラダを坐禅の形に組んで坐ってきました。効果がない姿勢なら今に伝わっているはずがありませんね。
1369 2024.12.01
祈りの究極は、「み心のままに」だというのは確かです。私も少しずつ、そんな心境に近づいていて、そんな心境になると、「神さまの意志の流れ」というものが肌で感じられるようになります。そうすると、その「神流」に浮かんで運んでもらえるようになります。ちょっとの努力で、最大効果があがるような行動が出来るようになります。人生の関門が現れるたびに、次々自動ドアとなって開いてゆくような感じになります。フロー感覚といったり、スムージング効果といったりするそうです。私は「神流楽(かんながら)」といっています。
しかし、人は家族のこと、仕事のこと、人間関係のことなど、悩みが尽きませんし、そんな悩みを解決して下さいとお願いすることを神さまは許してくださっています。
ですから、遠慮なく、どんなドロドロした願いでもいいから、神様に頼ってください。祈り、祈り、ひたすら祈るうちに、次第に心が澄み、最後は、「み心のままに」と、少しでも思えるようになった時、その願いは叶うのです。
ユリ・ゲラーのスプーン曲げの研究家によると、ゲラーが「曲げよう、曲げよう」と強く念じている間は曲がらなくて、念じるのをやめて気を抜いた瞬間からスプーンは曲がり始めるのだそうです。そこまでゆくと、後は気を散らして別のことをしていても、スプーンは自動的に曲がり続けるのだそうです。
1368 2024.11.30
「アタマ(頭)」は「今・ココ」から漂い出してフラフラしがちですが、「カラダ(身体)」は、決して「今・ココ」から離れることはありません。ですから、「カラダ」に戻る工夫をすればいいわけです。
よく相撲の力士や水泳の選手が最後の仕切り(スタートの直前)に、「カラダ」をバシバシたたいたりしますが、これも、不安や弱気に意識がフラフラしがちなのを、「カラダ」への強めの刺激で意識を「今・ココ」に引き戻しているのです。思いの雑音が消えて、意識が「今・ココ」にあつまって、目標に向って全力投球出来るようになったら、その人は最高のパフォーマンスで行動できます。
あなたも、自分なりの「カラダ刺激」を考えて、不安やイライラの気持ちが強くなったなあと気づいたら、その動作をやってみて下さい。
私の教え子は、テスト中に時々、右手の二本指で左の手首をトントンたたいていて、「何をしているの?」と尋ねると、「こうするとミスが少なくなるのです」と言っていました。ちなみにこの生徒は東大に進学しました。
ラグビーの五郎丸選手の、キック前の一連のルーチィンワークが話題になりましたね。これは、メンタルトレーナーと相談して順序だけでなく各動作の秒数まで決まっているのだそうです。このルーチィンワークに意識を集めることによって、無心状態に戻れるようにしているわけですね。