光文書 (ヒカリモンジョ) Vol.800+30+118 人民三分の現実

Vol.800+30+118

光文書
(ヒカリモンジョ)

Vol.800+30+118
人民三分の現実
「人民三分になるぞ」という言葉は、日本に置かれた有名な予言書である日月神示にあるものです。また、日月神示を受けた岡本天明が学んだ大本にも同じような予言があります。
良くも悪くも、ひとつの分岐点となる、この二千二十五年の正月に、私は、いまの日本が直面している危機の正体を考察していたのですが、その時に降りてきたのが、「日本の神民、すでに三分ぞ」という言葉でした。この三分という言葉は、一般に三分の一という意味で理解されています。
天変地異によって、一億二千万人の日本人の三分の二が、二千二十五年に死滅するという可能性もなくはないのですが、私の頭の中に降りてきたイメージは、日本の政治情勢に関するものでした。
いまの日本の政治的バランスをひと言でいうと、国民の三分の二が無神論系イデオロギーに洗脳されていて、いまの日本の不幸があるということです。
一応、神民とされる残り三分の一も、投票先となる政党があまりないため、政治参加の意欲が高いというものでもないのです。

その一方、二千二十五年の危機に関しては、かなりの日本国民が心配しているようにも見えます。この二千二十五年は、千九百九十五年と二千十一年の内閣よりも、さらに無神論というか、反日イデオロギーに染まった内閣によってスタートしたことを考えると、何もない方がおかしい年だということを、日本国民の多くは潜在意識で感知しているといえるのかもしれません。
そこで、すでに日本列島上の日本人の精神界での区別、または判別が決まったらしいということは、私にとっては、大難を小難への一歩ということになります。
どちらにしても、神は約束を果たすという予告なのです。

天変地異や第三次世界大戦などの、自分自身のたましいの物語を読み終える前の人生の終了は、この神の約束の成就とは、違うものとなります。
人間のたましいは、その肉体を離れた後に、裁きの場へ向かうことになっていますが、それらの死では、自分のたましいの責任についての言い逃れを許すことになります。
これが、二千年以上に渡って、審判が実行されてこなかった最大の理由なので、審判者の側が、その方法を採用する可能性は、きわめて低いと考えられるからです。
では、何が考えられるのかというと、日本列島で、何らかの天変地異が生じて、二千十一年のものに匹敵するか、それを超える経済的被害を日本に与えて、円キャリートレードの逆の流れに、世界経済を向かわせるというムーブメントです。
これが起これば、いまの地球的バブルは崩壊します。この天が私に示している二千二十五年のプログラムを、日本に三分の一、いるとされる神の民が、気付けば、天変地異を起こさずとも、同じことが人間界のはたらきで、できることに気付くはずです。
いまの日本の政府や日銀の人間の頭では、この天のプログラムは理解できないでしょうが、常識的に経済とマネーの現実を知り、考えることができれば、これが、日本に残された唯一の道です。
すでに、いまの日本は、闇のマネーにどんどん買われ、日本人は世界の支配層にとって良質な労働力に過ぎないものになりつつあります。
この敗北感に、日本全土が覆われているというのが、二千二十五年の年頭の日本列島の波動でした。日本を守ってきた、日本神話の結界が切れただけで、日本全体の波動は、ここまで低下したのです。そして、この波動の低下によって、いままで、アメリカにその主力を置いてきた悪神、闇の勢力が日本列島に移りつつあります。歴史的に見ると、世界の金融資本やグローバリスト、DSと呼ばれるような人間グループの背後にいて、彼らにパワーを与えていた闇のエネルギーの本体が日本上陸を果たしたということです。
これが、二千二十五年に日本列島と光と闇の神や神々の戦いが生じるというシナリオが現実化しているということのはじまりで、この先に、私が伝えてきたように、人間の身体を神の容器として目覚めさせ、小宇宙の救世主となれるような人材が、一万人ほど日本列島から出るかどうかで、現実世界の変動も程度が決まることになります。いまの世界のマネーの秩序を、神は破壊するとすでに宣言しています。その実行段階において、天や地球が生む災厄と、人間が生み出す災厄のどちらの方が大きくなるのかを、この光文書の読者の方は、この二千二十五年に見ることになります。日本が沈めば、世界も沈むということを忘れないでください。

神紀五年(二千二十五年)一月九日 積哲夫 記