光文書 (ヒカリモンジョ) Vol.800+30+125 福音の国

Vol.800+30+125

光文書
(ヒカリモンジョ)

Vol.800+30+125
福音の国
日本列島に置かれた、日本の仕組みというものは、聖書の時代を終わらせるためのものだと、私はお伝えしています。そのための用意が、日本の歴史なのです、といい続けてきたのですが、ほとんどの日本人には、その意味が分りません。
理由は簡単で、日本に置かれた、記紀の神話と、聖書の一神教の神の物語は、別なものだと考えているからです。ところが、日本の神話にも、現在の世になる前、いちばん、はじめの神は、一柱で、それをアメノミナカヌシという名で伝えています。この世の出発点は、一柱、つまり、ひとつの神なのです。

この一柱だけの神の時代が五代続いて、次の神代は七代で、その初代が、クニトコタチという名になります。
明治維新の前後に現われた神憑りのお筆先のような情報伝達の最終形が日月神示というものになるのですが、そこで語られているのは、聖書のテーマと同じ最後の審判ということです。その最後の審判を、日本では、立て替え、立て直しと呼ぶのです。
これらの神の言葉の伝達を、キリスト文化圏では、福音と呼びます。
日本のアニメの名作のエヴァンゲリオンは、そこから名付けられ、使徒をはじめとするキャラクターのアイデアは、聖書に由来します。
この聖書の福音が、現実化したのが、日本の歴史だということを、精神学はお伝えしているのですが、日本人がそれを正しく理解して、アメリカ人に伝えない限り、日本は、アメリカの属州から逃れることはできないのです。

いまの日本人に、その能力がないので、日本神界は、福音派の人間が、ヨーロッパを捨てて、新大陸で神の国を作ろうとしたというアメリカの夢を思い出させて、もしかすると、アメリカの先にあった日本列島に、はるか昔に、福音は届いていて、神の国のようなものが生まれていたのかも知れないという発見をさせることにしたのです。
本来、日本の歴史は、そのために形成されてきました。そのシンボルが聖徳太子であり、神功皇后から神の子として生まれた応神天皇の子である仁徳天皇の民の竈の話は、フランス革命の理論的指導者となったルソーの理想を、すでに、実現したクニがあったことを示す証拠となるものとして用意されたといえるのです。
これらの日本史の用意を台無しにしたのが、明治の日本が選択した、国家神道です。これで、聖書の福音と重なるものは、日本の歴史だったはずのものが、植民地を拡大するために使われた聖書の闇の部分が大日本帝国の行動原理になってしまったのです。
もちろん、歴史にイフはありませんが、明治の日本が朝鮮半島を併合するのではなく、ハワイ王国をアメリカの侵略から守っていれば、その後の歴史は、まったく違っていたはずです。そして、当時の日米の国力の差を考えると、それは不可能ではなかったはずのものなのです。
なぜ、ハワイなのかというと、ハワイの王は、アメリカではなく、日本と共に生きることを望んでいたからです。
ハワイ王国のため、日本海軍は、東郷平八郎の乗る軍艦をハワイに派遣して、それなりの成果を上げていたにもかかわらず、その期待に応えることを日本政府にはしませんでした。その選択が、今日まで続く、黒船コンプレックスを、さらに強化したのです。
実は日本の仕組みの中には、エジプトから出て、エルサレムの神殿にあった、神の記憶が、ユーラシア大陸を経由して、まず日本に到り、そこで、福音が伝えている神の国を作り、エルサレムから西へ向かった神の記憶が、ヨーロッパの血塗られた歴史を捨て、アメリカに到り、太平洋を越えて、日本列島に到って、聖書の物語が完結するというプログラムがあったのです。
いまのトランプ大統領のアメリカは、日本が明治に染まって道を誤った聖書の闇の部分、つまり、イエスを殺した力に支配されたアメリカから、福音を求めた人間たちの国へと回帰しようとする方向に進みつつあります。
その動きの先に、本来の日本のあり方を取り戻した日本列島が見えてくると、この世界の歴史は、転換することになります。その大峠が、この二千二十五年なのです。
神紀五年(二千二十五年)二月二十七日 積哲夫 記