2001年イスラエルにて 三重県津市 赤塚高仁
1948年5月、初代首相ダビッド・ベングリオンによる
独立宣言がなされ、イスラエルは建国された。紀元70年、
ローマ軍によって滅ぼされたユダヤの民たちは2千年近く国
を持たず流浪を続け、ロシア、ナチスを始めとする、さまざ
まな迫害を受けながらも民族のアイデンティティーを失わず
再び国を再建したのである。
これは、人類史上奇跡的な出来事である。
「逆境のときだけ生物は成長する」と、故糸川博士は、言
った。その言葉どおり、あらゆる逆境を乗り越えてきたユダ
ヤの民の優秀さはノーベル賞の数を数えるまでも無く周知の
事実。
イスラエル建国後のある日、ベングリオンは小学生の集ま
りに出席し、子供たちの夢を聞いた。「事業家として成功し
たい」「大きな家に住みたい」……豊かさを求める子供たち
の願いを聞いているうちにベングリオンの顔は赤く染まり、
机を叩き烈火のごとく怒った。
「荒野に挑んでゆこうという者はおらんのか。我々の将来は、
砂漠に支配されるか、砂漠を支配するかだ。開拓の精神を
忘れてはならん。」
ベングリオン自身、首相の地位をなげうってネゲブ砂漠の
ギブツに入植し生涯を終えている。
そのとき、その場にいたヤギ-ル少年は、強烈な感銘を受
け自らの人生を決めた。「砂漠に生きよう、そして世界中の
砂漠で飢餓にあえぐ人々を救おう」と。
イスラエルの国土の60パーセントが砂漠。その砂漠で、
ベングリオン大学のルーベン・ヤギール教授はラクダの研究
をしている。
灼熱の太陽が照りつけるネゲブ砂漠には、年間50ミリほ
どの雨が降る。その雨を大切に地下の貯水池に導き、農耕、
牧畜に利用するのである。
訪ねるたびに広がってゆく緑の世界。地球の砂漠化が危惧
されているが、イスラエルでは反対の現象が起きているのだ。
貨物列車を改造した教授の研究室は40度を超える暑さ。
私が、この研究所を訪ねるのは6度目。アフリカから戻った
ばかりのヤギール教授は、再会を心から喜んでくれた。
私は言った。「まさかの時の友こそ真の友」「友情は試さ
れた」と。イスラエルの友は固く手を握ってくれた。
バレスチナとの紛争は、終わりなき泥沼状態。イスラエル
に来る観光客は80パーセント減だという。ホテルもガラガ
ラ。新聞・テレビのニュースでは緊迫した中東の情勢が伝え
られている。イスラエルに行くという私に、そんな危険な国
に行って大丈夫かと人は言う。
イスラエルの地に立ち、遥か遠く我が祖国日本を思うとき、
恐れにも似た痛みが胸を刺した。
18歳になると男女とも軍隊に入り国を守る国と、17歳
が無差別殺人を犯してゆく国。紛争で数百人の犠牲者が出て
いる国と、3万人を超える自殺者を生み出す国。
宗教を生活の指針として生きる国と、宗教の名のもとに暴
利をむさぼり毒ガスを撒き散らす国。
13歳で成人として自立の道を歩む民と、30歳になって
も大人になれず我が子を傷つけ挙句の果てに殺害してゆく民。
自給自足の国と、命をつかさどる食料を輸入に頼る国。
戦争をしているのはどちらなのか。
イスラエルの友が私にこう言った。
「いつも日本のニュースを見るたび心が痛む。危険な国から
よくやって来てくれた。」
H13.6.14付 三重ふるさと新聞より
*赤塚高仁さん 著書 「蝸牛(カタツムリ)が翔んだ時」