若者たちが少なくて、運営ができなかった
町内の「唐子車」が運営できる人間の門戸を学区までに
拡大して、自主運営ができるようになって15年がたった。
今年のまつりは、地祭りとなごやまつりの14-15日だった。
みんな都合があって人が潤沢に揃う時は
少ない。
昨日も貴央が笛に呼ばれたのもそう。
できる人にしかできない、スグには替われない
人材だからだ。何せ大太鼓、小太鼓、こづつみ、
笛と9人くらいは必要なところに、笛が二人、
太鼓がひとりしかいない、つつみは女の子でもOKだから
足りていたけれど。
でもなんとか形になって、健康快復にも
一役買った山車だった。
山車のよこの棒を梶棒(かじぼう)という。
その梶棒をかつぐ若者たちを梶方(かじかた)とよぶ。
最低8人は必要だ。
その梶方の予定者が日曜日の名古屋祭りに
7人しかそろわなかった。
それで、いつもは人形を扱う、人形師の
ある若者が急遽梶方に変更になった。
他の人形師の10代の若者も加わっていた。
8人の梶方は急な編成となったわけだ。
朝7時から午後1時まで名古屋のまちを
練り歩くわけで、とても体力が必要。
終わるとヘタヘタになる若者達。
特に始めて梶方をした人の肩は
腫れあがり、すこし触れるだけでとても痛がる。
それで誰もが終了後一旦は、もう来年はしないと
思ってしまうようなのだ。
ところがどうしてなのだろう、一度体験した若者は
そうとうひどい怪我をした場合を除いて、
ほとんどの人がまたまつりが近づくと棒を担ぎたくなるみたいなのだ。
今回も足の中指を骨折してまだ3日しかたっていない
人も足をひきずりながらも参加した。
まわりが「大丈夫?」といぶかるくらいなのに。
そう昨日も、人形師から急遽梶方に
役割変更となった人が終了後はいちばん
さわやかな笑顔をしていた気がする。
一体何が彼らを呼び寄せるのか、
おそらくやってみない事にはわからないことだろうけれど、
物凄い達成感と、観衆の賞賛の拍手ではないだろうか。
自分でもやれるんだ。
だめじゃないんだ。
みんながこんなに褒めてくれる。
そんなあつい思いが彼らをまた来年も呼び寄せる。
人間にとって何よりも褒められる事が大きな力と
なるのかもしれない。
痛みと疲れは
達成感と賞賛で消えてしまう。
何よりも全体の一人ひとりの役割を
大いなるものは常に観ているのかもわからない。
めだたないご老人のお一人おひとりも、
いつも陰でこまかな配慮と動きをくださる
女性達もみんなでなしたおまつりだから。