随想 伊路波村から26~土

38年前 土木の作業員だった私は
高速道路を建設の第一歩として
まず山に道路の中心線引きのために 20メートルおきに
杭を打つ作業をいたしました。

測量器具と9センチメートル角で先のとがった
木杭と かけや(くい打ちの道具)と測量器具をもって
山の木や草を刈りながら 進んでいきます。

そしてその後 その中心杭が壊れても 復元できるように
高速道路の用地からはずれた場所に ほぼ十字の位置に
4本の杭を打って完了します。

この杭は逃げ杭と呼びます。(どちらでもいいですね・・笑)
それからまず山にある大きな木をチェンソーなどで
切り倒します。

その後ブルドーザーが入り
山の表面を 皮をはぐように根こそぎめくるのです。
(伐開 伐根といいます)

そのとき なんともいわれぬ悲しさを覚えました。

いつも ごめんね ごめんねとこころでは言っていました。

高速道路は 便利ですがその線は 文化圏を
右と左に分けてしまうような影響力をもつようです。

文化を裂き 自然を破壊する仕事は
自分には向かないと その頃漠然と思っていました。
思っていた通りに なってしまいました。(笑)

今年の3月 隣の家屋に住んでみえた方が
家と土地を手離されました。

ミニバブルの最後でよかったなと感じました。
新しい持ち主の不動産屋さんから 通知がありました。

「9月には10階建てのマンションの建設を開始いたします。」
といった文面でした。
更地になって 久々都会に大きな面積の土が
現れました。

夏が近づくとともに 草々や花や なんででしょうか
トマトや かぼちゃのような植物が根付きました。

雑草を根こそぎは また心が痛いので
草刈を手でしました。

花や 食べ物はもちろん 残しです。

途中大きく咲いたヒマワリが 夜中に
どなたかの心によって 透明のビニールかさで
みんな倒されてしまいました。
なんだか切なかったです。

草々は栄養を求めて 上へ横へと自在に奔放に
物凄いスピードで伸びます。

草刈がなんだかとても 楽しみで 汗びっしょりになるのですが
身体が軽くなるし 後のビールは最高ですので
楽しみにさえなりました。

6月には 管理地ダレソレの 大きな看板が
建ったので バブル崩壊の影響で ビル建設は
頓挫とさとりました。

それから日にちが経って 土地はこの9月から
100円パーキングに生まれ変わることになりました。
となりのコーヒー屋さんが 願っていた通りに
なりました。(笑)

都会から地面が再び消えて 植物さんとの
対話がなくなりました。

地を這うようにして ゴメンネごめんねと言いながら
草を刈った何日かが 遠い日になりました。