「祈りの手」 自分で自分を自分する から

2224「祈りの手」2021.1.26
今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年01月24日の記事を紹介します。

祈りの手

今日は「祈りの手」。年に1回はご紹介している記事です。

人間の美しい心に関する記事です。私たちの心こそが、私たちの現実を作るからです。 そして私たちは、その心にダイナミックな美しい体験を刻み込むために地球に生まれました。

その経験は

・楽しい

・安楽で

・甘美なもの

だけではありません。

むしろ

・苦しく

・悲しく

・悔し涙を流すこと

・困難なこと

そんな中でこそ、つかみ取ることのできる大きな大きな 魂の経験もあります。

さて、皆さんは「祈りの手」という有名な絵があるのをご存じでしょうか。

アルブレヒト・デューラー(1471年から1528年)というルネッサンス時代の優れたドイツの画家が描いた作品です。その作品にまつわるお話です。

いまから500年ほど前、ドイツのニュールンベルグの町にデューラーとハンスという若者がいました。2人とも貧しい子たくさんの家に生まれ、小さな時から画家になりたいという夢を持っていました。 

 2人は版画を彫る親方の元で見習いとして働いていましたが、毎日忙しいだけで絵の勉強ができません。思いきってそこをやめて絵の勉強に専念したいと思いましたが、絵の具やキャンバスを買うお金もままならないほど貧しく、働かずに勉強できるほど余裕はありませんでした。

 ある時、ハンスがデューラーに1つのことを提案しました。

「このままでは2人とも画家になる夢を捨てなくてはいけない。でも、僕にいい考えがある。2人が一緒に勉強はできないので、1人ずつ交代で勉強しよう。1人が働いてもう1人のためにお金を稼いで助けるんだ。そして1人の勉強が終わったら今度は、別の1人が勉強できるから、もう1人は働いてそれを助けるのだ。」

 どちらが先に勉強するのか、2人は譲り合いました。

「デューラー、君が先に勉強してほしい。君の方が僕より絵がうまいから、 きっと早く勉強が済むと思う。」

 ハンスの言葉に感謝してデューラーはイタリアのベネチアへ絵の勉強に行きました。

ハンスはお金がたくさん稼げる鉄工所に勤めることになりました。

 デューラーは 「1日でも早く勉強を終えてハンスと代わりたい」とハンスのことを思い

寝る時間も惜しんで絵の勉強をしました。

13歳の自画像

 一方残ったハンスはデューラーのために早朝から深夜まで重いハンマーを振り上げ、今にも倒れそうになるまで働きお金を送りました。1年、2年と年月は過ぎていきましたがデューラーの勉強は終わりません。勉強すればするほど深く勉強したくなるからです。

ハンスは「自分がよいと思うまでしっかり勉強するように」との手紙を書き、デューラーにお金を送り続けました。

数年後ようやくデューラーはベネチアでも高い評判を受けるようになったので、故郷に戻ることにしました。

「よし今度はハンスの番だ」と急いでデューラーはニュールンベルクの町へ帰りました。

 2人は再会を手を取り合って喜びました。ところがデューラーはハンスの手を握りしめたまま呆然としました。そして、泣きました。なんとハンスの両手は長い間の力仕事でごつごつになり、絵筆がもてない手に変わってしまっていたのでした。

「僕のためにこんな手になってしまって」と言ってデューラーはただ頭を垂れるばかりでした。

 自分の成功が友達の犠牲の上に成り立っていた。彼の夢を奪い、僕の夢が叶った。その罪悪感に襲われる日々を過ごしていたデューラーは、「何か僕に出来ることはないだろうか」「少しでも彼に償いをしたい」という気持ちになり、もう一度、ハンスの家を訪ねました。

 ドアを小さくノックしましたが、応答はありません。でも、確かに人がいる気配がします。

小さな声も部屋の中から聞こえきます。デューラーは恐る恐るドアを開け、部屋に入りました。するとハンスが静かに祈りを捧げている姿が目に入りました。

 ハンスは歪んでしまった手を合わせ、一心に祈っていたのです。

「デューラーは私のことで傷つき、苦しんでいます。自分を責めています。神さま、どうかデューラーがこれ以上苦しむことがありませんように。そして、私が果たせなかった夢も、彼が叶えてくれますように。 あなたのお守りと祝福が、いつもデューラーと共にありますように」

デューラーはその言葉を聞いて心打たれました。

 デューラーの成功を妬み恨んでいるに違いないと思っていたハンスが、妬み恨むところか、自分のことより、デューラーのことを一生懸命祈ってくれていたのです。

ハンスの祈りを静かに聞いていたデューラーは、祈りが終わった後、彼に懇願しました。

「お願いだ。君の手を描かせてくれ。 君のこの手で僕は生かされたんだ。君のこの手の祈りで僕は生かされているんだ!」

 こうして、1508年、友情と感謝の心がこもった「祈りの手」が生まれました。

2人はどうして、同じ時代に、同じような場所を選び、そして2人とも貧乏な家を選んで生まれて来たのでしょうか?この条件が整わなければ、二人は知りあう事もないし、この有名な「祈りの手」も生まれることは有りませんでした。

そして一番大切な、貴い友情のドラマも生まれることはなかったでしょう。そして、絵ではなく、絵を通じて培われた「友情」こそが、この2人にとって、地球に生まれ、一番経験したかった貴い出来事だったのかもしれませんね。

産婦人科医、池川明先生の、生前記憶を持つ子供たちへの大規模な調査結果が示すように

私たちは、このような、心と心が、がっぷりと、よつを組むような魂を揺さぶる体験をするために、病気や事故、貧困などの、さまざまな困難を、敢えて人生に織り込んで生まれてくるようです。

ですから今、困難な状況にある方もどうか人生を嘆き、投げ出さないでください。

それは、人として生まれた醍醐味とも言える魂を揺さぶる経験をするために、敢えて自分で計画して生まれて来たことだからです。