「類は友を呼ぶ」2021.3.12  自分で自分を自分する

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今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年03月08日の「鐘の音の激しさに」と2021年03月03日「神さまの氣」の2つの記事を紹介します。

「鐘の音の激しさに」

この宇宙において波動の法則は、厳然として存在しています。 俗にいう、「類は友を呼ぶ」という法則です。

ある友人、グループ、職場、サークルなど人々が一堂に会している場合、そこには同じような波長が存在し、皆が、その波長に共鳴し、引き寄せられて集まっているということです。

自分の発した波動は、肉体を超え、宇宙の隅々まで広がりますから、何か、意識した途端、その効果は、宇宙全体に広がり、同じ波長をもつ者がキャッチします。場合によっては、現実に引き寄せ合い、目の前に現れます。

それでは、迫登茂子さんの「言の葉づくし」よりご紹介します。

鐘の音の激しさに 恐れ 優しさに 安堵する

口から出る 言葉の激しさも 人を飲み おののかせる

同じ言葉なら 安らぎを与える言葉を口にしよう

安堵の表情を見届けるなんて とても幸せなことなのです

 迫登茂子さんは、素晴らしい愛の感受性をお持ちです。このような、

・優しさ、

・愛、

・思いやり

の繊細な心(内にいらっしゃる神さま)を感知できる柔らかな感受性を持ちたいものですね。

あなたには 愛していらっしゃる人や仲間と呼べる方がいらっしゃいますか?お子様であったり、妻であったり、夫であったりご両親かもしれません。 既に亡くなった方かもしれません。

 それとも心許せる人など、一人もいられませんか?それでも、生まれた時の事を思い出してみてください。ご自分が少女であったり、少年だった時の事を思い出してみて下さい。

 誕生をご両親は喜んでくれませんでしたか?

 一緒に遊んでくれた友達はいませんでしたか?

 優しく接してくれた先生はいませんでしたか?

 あなたの愛する人が、ほっと安堵の表情を見せてくれた時、笑顔を見せてくれた時あなたの心に 何か変化はおきませんか? 

何か温かなものが全身に流れませんか?

もしかしたら、それが、「愛」と言うものかもしれません。

皆さん、愛する人や、良き仲間がいらしたら、どうぞ大切になさってください。そしてご自分でも良き仲間となれるように、感謝と思いやり、お陰さまのお気持ちでお過ごしください。それはとっても 幸せな状態なのですから。

 そして、ここにおいても心しておかなければならないことがあります。例え愛する人、良き仲間であろうと、別れの時は、必ず来るということです。

 生涯死ぬまでずっと、心の通じ合う人と一緒というのは稀です。もし今、お幸せなことに、心許せる人がいるのなら、一期一会(いちごいちえ)の精神で、その美しく温かな関係性の機会は、もしかしたら二度と訪れることが無いかもしれないことを 心して、愛する人、仲間を、大切に大切に、優しさ、思いやりの心など、自分のできる全ての良きものを持って、

全身全霊でお付き合いしたいものです。

そして、目いっぱい、その運命の出会いを楽しみ、愛と友情をはぐくんでください。たとえ運命が、別れを準備していても、その一瞬の煌めきは、決して消滅するものではないからです。魂を揺さぶる、仲間との出会いは、死を超えて魂に刻みこまれます。

 魂の成長に、何らかの必要があれば、また必ず再び 交り合うこともあるでしょう。でもそれは、自分が決めることではなく、自然の流れとして起こってきます。

私たちの人生のタイムラインを管理してくださっている神さまが決めることです。私たちは、ただ自然の流れに従い、逆らわず、今、目の前に居る人に愛を込め、誠意を込めて、真心で接していくだけです。

流れに逆らい、既にエネルギーは別の方向に向かっているのに、固執し、執着して手放さないと、運気は確実に下がって行きます。神さまが用意してくださった方向を、自分の欲望と執着心で拒否しているからです。

 「諸行無常」・・ 少し寂しい法則に感じるかもしれませんが、宇宙は変化があるからこそ、進化し発展してきました。自分にとって、辛く悲しく、苦しい状況も「諸行無常」の摂理が働くからこそ、次は良い方向に変わって行くのです。

 ピンチがチャンスに変わって行くのです。幸運は、不幸な顔をしてやってくることができるのです。その繰り返しを通じ、私たちの魂も、変化し、進化していけます。

 あるがままに、自然の流れに身を任せ、無理をしないこと。現状に感謝すること。刻々と変わり行く、この人生。楽しんで行きましょう。笑顔と笑いがあれば、きっと何でも乗り越えて行けますから。

「神さまの氣」

さて今日は、神様の氣についてです。大抵の神社では、お守りやお札にそこの神社の神様の氣を入れてお配りしていると思います。そしてご自分で氣が抜けてきたと感じたら、お札やお守りを神社の古札入れなどに納めに行くと思います。

神社では、それをお焚き上げなどして、神様に元の神の世界にお戻りいただきます。そうすると、お守りや、お札は、単なる物質になりますから焼却したりします。

ですから、例えば霊峰八海山の山開きのご神事などでは、終わった後「神さまにお戻りいただきました」と宣言がなされます。また、誤解されやすいこととして御守りやお札に神様ご自身が籠っており、普段は沈黙し、いざという時に目を覚まして活動をする・・というイメージではなく、神さまの氣に入っていただいたお札やお守りは、その神さまの依り代直通電話のような働きをしており、神々は、もちろん、普段から人々のためにあらゆる場所、次元で自由闊達に働いているのですが、いざという時、必要に応じに、その電話を通じ、その場所、その人の所へいらっしゃるというイメージの方が的を得ているように思います。※個人的な意見です。

もちろん高位の神様は、どの場所、どの次元にも存在できますので意識を向けるだけで、そこに移動できるようですが、氣を宿した依り代があると、より感度が上がり、通じやすくなるのではないかと思います。

次元が上がるにつれ、一時に同時に意識をフォーカスできる数が増えたとえば、一説では、イエスの場合同時に1万か所、意識を分散できるとのこと。要するに、同時に自分の分身が1万か所で行動できるということです。

神様に降りていただくということは春日大社 元宮司の葉室頼昭さんによれば、古式にのっとって祝詞を上げたりご神事を行うことで、本当に神様がご降臨されるとのこと。

要するにテクニカルと言うことです。その方法(技術)さえ正しければ神職の方の人間性に、あまり左右されません。

本来は、清く正しい心の持ち主の神職の方がご神事を行ってくださればよいのですが、同じ人間ですから、神職の方と言えど様々いらっしゃいます。 時には私たち一般人のように欲望から様々な事件を起こし、新聞沙汰になる方もいらっしゃいます。生きている間は分け隔てなく、どなたも心を清らかに保つために精進が必要ですね。

・心を振り返ること

・感謝の心を持つこと

・おかげ様、お互い様で、許しあうこと

大切なことです。

どうやってそれを見分けるのか?それは、小林正観さんが仰っていたのですが、その方の、まわりにいる人たちを見ればいい。

 まわりにいる人たちが、笑顔で幸せそうで、楽しそうに過ごしているか?

良き人は、見た目は普通の格好をしています。そして、まわりには、笑顔で、幸せそうな人たちがいっぱいいます。とてもいい仲間に囲まれている。

 一方で、悪しき心の残る人は、過度に荘厳(そうごん)で、重々しく、威厳に満ちた姿、形、格好をしている人が多い。そしてまわりには、笑顔で幸せそうな人はいない。どこか不幸そうで、悲しく、まったく笑顔のない人たちに囲まれている。とのこと。確かにそうかもしれません。このお話は、占い師の方について仰っていたのですが神職の方も同じだと思います。

さて神様の氣 私たちの意識も同じ働きができます。意識を物や人に宿すこと飛ばしたりも同じことです。生霊とか誰かに見られている気配がする・・振り返ったら誰かがこちらを見ていた。これらは、意識のエネルギーが飛んだと言ことです。また意識は、時間、空間の制約を受けませんから自分自身の過去や未来に飛ばすこともできます。

子供のころ、車に轢かれそうになった。どこからか「あぶない」という大きな声が聞こえ、助かった。何十年かして大人になった時、夢を見た。子供が車に轢かれそうになっているのを見て思わず声をかけてしまった。よく考えたら、その姿は、子供のころの自分だった・・など

基本的には善意の神々はこの意識の力を、人々をお救いくださるために使っています。

有難いですね。

私達も感謝の心人を思いやる気持ちなどで、周りにいらっしゃる方を幸せなエネルギーで包み込むことも可能です。また、その逆もしかり。

ですが、波長の法則、「類は友を呼ぶ」の通り、自分の出すエネルギーと同質のものを自分に引き寄せますから、良き方向に、その力を使いたいものです。