2293「幸せの種」2021.4.6 自分で自分を自分する から

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今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年03月28日の記事を紹介します。

幸せの種

今日は「幸せは見つけるもの」というテーマで小林正観さんのお話をご紹介します。

<転載開始> 転載元 

生れてからずっと目が見えない人は、

「1秒でもいい、いや0.1秒でもいいから、親の顔を見てみたい」 

「結婚した相手の顔を見てみたい」 

「子どもの顔を見てみたい」

と思いながら生きているそうです。

私たちは、0.1秒どころか、生まれてこのかた、目が見えないことなどないにもかかわらず、目が見えるということに対して、感謝することなどまずありません。

それどころか、

・あれが欲しい

・これが欲しい

・あれをよこせ

・これをよこせ

と現状に対して不満ばかり口にしています。

私たちは小さい頃から、足りないものをリストアップして、それを手にいれなければ幸せになれないと教え込まれています。そのように洗脳されているのです。

それを、「夢と希望に満ちあふれた生活」といいます。

それに対して、私は「夢と希望もない生活」を送っています。夢も希望もない代わりに、

悩みも苦しみも煩悩(ぼんのう)もありません。

私は酒もタバコも麻雀も、娯楽といわれるものは何もしませんし、休みもほとんどありません。

「何が楽しくて生きているのですか?」と、ときどき尋ねられることがありますが、「ただ幸せをかみしめて」生きている。

「自分がいかに恵まれているか」

「自分がいかに幸せか」

「自分がいかにありがたい状況に生きているか」

ということに気づいたら、

「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」の「五戒」など口から出てきません。

願いがかなったら、望んだものが手に入ったら感謝する、というのは、本当の感謝ではありません。何も要求することなく、不平不満を言うこともなく、いま目の前にあるものを、ありがたく味わう。それこそが、本当の「感謝」なのです。

人は、自分がいかに幸せな状況のなかで生きているかに気がつきません。

海で泳いでる魚は、海を見ることができません。それで「自分も海をみてみたい」と思い、

釣り人が垂れている釣り糸にガブリ!とかぶりつくのです。

すると海の上に引っ張り上げられる。

それで初めて、魚は海というものを見ることができるのです。

釣り上げられた魚が「私」なら、釣り上げた人とは「神さま」。

釣り上げられた状態は何かといえば、「事故、災難」。

海とは、「幸せ」そのものです。

神さまに「幸せというものを見せてください」と言うと、神さまは「わかりました」と言って、災難や事故というものを起こして、私たちを釣り上げてくれます。

かぜをひいて、丸1日何も食べられなかったら、かぜが治ったときに食べた1杯のおかゆが、とてつもなくおいしく感じられるでしょう。元気いっぱいで毎日おいしいごちそうばかり食べていたら、おかゆのおいしさは、なかなかわからないでしょう。

では、かぜで丸1日食べられなかったことは、はたして不幸なことだったのでしょうか?

そうとはいえないでしょう。

その体験があったから、おかゆのおいしさ(幸せ)を味わうことができたのです。

私たちが「幸せ」を感じるためには、その前には一般的に「つらい、苦しい、大変」といわれる状況が起こるようです。そういう構造になっている。

そのことに気づいたら、私たちは

・つらいこと、

・苦しいこと、

・大変なこと

に遭遇したときも、一喜一憂せずに、平静な心でいられるかもしれません。

<転載終了>

私は大分、正観さんが仰るような生き方をするようになりました。無理して頑張るとかはしません。人から頼まれるとか、自然の流れで、する羽目になってしまったことをするようにしています。

なぜならそれが神さまの意思であり、神さまが引いて下さった良きレールだと思うからです。流れに身を任せています。そして、ちょっとしたことに「小さな幸せ」を見つけようと思っています。

でも世の中には、ちょっと自分にイヤなことがあっただけで「最悪だ!」って言う生き方をする方もいらっしゃいます。

・幸せの種を見つけるのが上手で、いつも感謝の人生を送る人

・足りないもの、悪いところを見つけるのが上手で、いつも不平不満を口にする人

たったこの方向性の違いだけで、幸福度がだいぶ異なります。天国か地獄かです。

同じような境遇、出来事に囲まれていても感謝の人の周りは、光が溢れ笑顔に囲まれていることでしょう。

不平不満の人の周りは、同じように暗い顔をした人に囲まれていることでしょう。

人生が楽しくない人、うまくいってない人は、もしかしたら、幸せも成功も、「見つけるもの」だとは思っていなくて、「与えられる」か「偶然入ってくる」ものだと思っているのかもしれません。

チャンスも「来るもの」だと思っていて、「見つけるもの」だと思っていないのかもしれません。ですが、感謝して笑顔で生きている方には、きっと神さまの恵みもふんだんに現われることでしょう。

今世の中は、「コロナウイルス」などの過剰な報道で、どんどん、どんどん人々の心が、不安と恐怖に向けられて行っています。

また、

・病気やケガ

・貧困

・リストラ

・介護

など、非常に困難な状況に置かれている方も居るかもしれません。

ですが、どうぞ安心なさってください。勇気を持ってください。

神々を信じ、感謝の心で生きている人を神様は決して見捨てません。

見ていらっしゃいます。

今は世の中の変動の時期ではありますが、それは、良き世を作るための変化です。

今の状況も、神様が私たちに必要だからこそ、その環境の中に置いてくださいました。

その深い理由を、生きている最中は知る故はありません。

ですが、ご自分の内にいらっしゃる神さまをどうぞ、信じてください。目には見えなくとも、本当にいらっしゃいます。心を澄ましていれば、いつかお声を聞くこともできるでしょう。

永遠に続く私たちの魂の道筋の中で、私たちは、ほんの一瞬、地球に立ち寄り、経験をさせていただいています。それが終われば、再び自由度の低い肉体を脱ぎ魂の世界に帰っていきます。

私たちが、今ここ、置かれた環境の中でできることは、精一杯自分なりの、花を咲かせることだけです。

その花は、人によって様々です。道端に咲くような可憐な花も、美しい大輪の花もあるでしょう。ですが、どの花も、神様にとっては美しく、愛おしい花。

どのような環境であろうと私たちの感謝の心は、神々が恩寵を表すために大切な媒体です。