森信三先生の言葉 11~そもそも謙遜ということは、その人が・・

 そもそも謙遜ということは、その人が内に確固たるものを持っていなくては、出来ないことではないかということです。言い換えれば、人は自ら信ずるところがあってこそはじめて真に謙遜にもなり得ると思うのです。すなわち謙遜という徳は、相手に対する自分の分際というものを考えて、相手との真価の相違にしたがってわが身をかえりみ、差し出たところのないようにとわが身を処することをいうのであります。
 かくして謙遜は、ひとり目上の人とか、ないしは同輩に対して必要なばかりでなく、むしろそれらの場合以上に、目下の人に対する場合に、必要な徳目だともいえましょう。もっとも之は、以上いずれの場合にせよ、必ず相手との関係を考えて、つねにその宜しきを失わないということが大切です。

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 我われ人間は、死というものの意味を考え、死にたいして自分の腰が決まった時、そこに初めてその人の真の人生は出発するといえましょう。随って、これを逆に申せば、未だ死について何の考えもなく、死に対してなんら腰の決まらないうちは、その人生はいまだ真実とは言えないといってよいでしょう。すなわちそれは、ただ起きたり寝たり、食ったり息をしたりというだけで、その人の真の人生は、まだ始まっているとはいえないわけです。

「五輪の政治利用」 奥の院通信から R3 12/25

https://okunoin.fc2.net/blog-entry-796.html

 「五輪を政治利用するな」との声はいつも叫ばれる。今は、来年2月4日から始まる北京五輪を「ボイコットせよ」という声が盛んに上がっている。中華人民共和国(中共)の新疆ウィグルでの人権問題を理由に「中共を懲らしめろ」というのである。勿論、中共のしていることは宜しくない。しかし、だからと言って「ボイコットしろ」と言うのは、まさに「五輪を政治利用」していることになる。
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2557「今あるものに感謝」2021.12.25 自分で自分を自分するから

https://tenmei999.blogspot.com/2021/12/255720211225.html

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年12月19日の記事を紹介します。

「今あるものに感謝」

元春日大社の宮司、葉室頼昭さん 神道の最高位、「浄階」まで行かれた方です。

葉室さんが仰るには、神々の恩寵は、私たちの感謝の心を媒体として現れるそうです。
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森信三先生の言葉 12~人間の偉さというものは、その人が・・

 人間の偉さというものは、その人がいかなる志を立て、それを如何ほどまで実現するかによって決まるとも言えましょう。否、さらに突きつめて申せば、そもそもわれわれ人間の志というものは、その人が真に心中に希うだけは、必ず実現するものだともいえましょう。すなわち一人の人間が、真にその心中深く念じて止まぬ事柄というものは、必ずやいつかは、何らかの形で実現せられるものであります。

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 われわれ人間は必ず死ぬものであり、人生は永遠に二度とふたたび繰り返すことの出来ないものだということは、古来かって一人も例外のない人生の最大鉄則であります。この人生の最大鉄則に向かって、如何にわが身を処して行くかが終生の課題です。

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再録 奇跡の道 その111~犠牲の真の意味はなにか

「犠牲の真の意味はなにか」

真理においては「犠牲」という言葉自体は
まったく無意味ですね。
それは一つのレッスン、そして幻想でしょうか。

実相においては学ぶべきことはひとつもない。

この世界が与えることのできるものは何もない
という事実を悟り、受け入れるには、多大な学びを
必要とするようですね。

そしてこの世界が定義する犠牲で、肉体に関連
しないものは皆無でしょうか。
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