山田さんこの本はお持ちですか?
ないようでしたら是非読んでください。と
Yさんからです。
「人間の永遠の探究」57の講話集です。

それですぐに購入させていただいて読み始めました。
一行もおろそかにできない内容です。
その第13講から
「隣人を自分のように愛する」にはー
普通の人は、このように他人を愛することはできません。
「わたしが」とか「わたしに」とか「わたしの」といった
自己中心的な自我意識のために、自分や他人の中にあまねく
内在したもう神を、まだ見たことがないからです。私にとっては、
だれもみな同じに見えます。だれもが唯一の神を反映する魂として
見えます。私は、誰を見ても他人とは思えません。なぜならすべての人が
唯一の存在である 神の一部として見えるからです。あなたも、
宗教の本来の目的である神との霊交を体験すれば、神こそ真のあなた
自身であり、神がすべてのものの中に平等に内在していることが
わかるでしょう。そのときあなたは、ほんとうに他人を
自分自身として愛することができるようになるのです。。
読み進むうちに変なイメージ図が湧いてきました。
バラマンサヨガナンダの言葉の中からもしかして
世界はこんなんじゃないだろうかと。

それは昨年の暮れに飲み会の帰途、後ろから友人が
撮影してくださった一枚の写真

この写真に写ったすべて山田家の故人となった父、娘、母の
白く映ったお顔をどのように判断したらよいかとの疑問があったのです。
ヨガナンダは言いました。 “魂のゆらぎ 5 ~ バラマハンサヨガナンダ 「人間の永遠の探究」” の続きを読む


