「エドワード一世」 奥の院通信 R3 3/1

https://okunoin.fc2.net/blog-entry-491.html

今からおよそ750年前の1272年、エドワード1世が父のヘンリー3世死去に伴いイギリス王に即位した。そして、彼は1275年に、ユダヤ人指導者は高利貸しを止めなければならないという「ユダヤ人法令」を議会に可決させた。ユダヤ人はどこでもそうであるが、居住地域で彼らだけの社会を創っていて、そこにはその代表者や指導層がいた。その人たちは高利貸しを止めなければならないというのがこの法令である。彼らが債権者としての立場を利用して、議会・議員に影響力を行使していたからである。まさに、現在のディープステートである。世の中は少しも変わっていないことがよく分かる。

“「エドワード一世」 奥の院通信 R3 3/1” の続きを読む

神の使者から奇跡の道へ その54~肉体は自我の象徴であり、自我は・・・

「肉体は自我の象徴であり、
自我は分離の象徴である」

今朝届いていたメールがあります。
奈良の「真の教育のための学校」の主宰者である
Tさんからです。

昨年暮れからの気づきというか覚醒の体験の
お話でした。
毎日毎日というか、毎瞬毎瞬が瞑想のような
ときを過ごす方です。

実相への感覚の体験を、言葉ではきっと表現が
困難でしょうけれど、言葉での表現を
されていました。
“神の使者から奇跡の道へ その54~肉体は自我の象徴であり、自我は・・・” の続きを読む

「宗教の廃絶」 奥の院通信 R3 2/28

https://okunoin.fc2.net/blog-entry-490.html

イルミナティを創設したアダム・ヴァイスハウプトが、そこに求めた最後のものは「全ての宗教を廃絶」であった。しかし、ユダヤ人は民族ではない、宗教であるという。だから、アメリカ合衆国においては、彼らは民族ではないから、民族としての統計調査を一切拒否する。と言うことは、彼らの宗教であるユダヤ教以外の宗教は一切認めないということであろう。彼らは確かに、キリスト教を終始攻撃してきた。牧師になって内部からこれを破壊してきた。だから、キリスト教の聖職者は自分が、ユダヤ人であることを隠す。

 その後18世紀になって、1776年にアダム・ヴァイスハウプトがイルミナティを創設し、そこで「全ての宗教の廃絶」を求めた。ヴァイスハウプトが非ユダヤ人の宗教を廃絶すると言う必要が先に在って、それに基づいて、彼が作ったイルミナティにこれを求めたのであった。ユダヤ人は非ユダヤ人の宗教はすべて廃絶するという本音がそこにある。そして、その底には非ユダヤ人は人間ではない、ゴイム(豚・獣)であるから宗教などない、という信仰と信念がある。

 「全ての宗教を廃絶」は、なにもヴァイスハウプトがイルミナティに求めたから生じた思想ではなく、ユダヤ民族に、もともと在った思想を実現しようとしただけのことであった。つまり、これが奥の院の思想であり、現在のアメリカ合衆国におけるキリスト教攻撃に繋がっている。

“「宗教の廃絶」 奥の院通信 R3 2/28” の続きを読む

神の使者から奇跡の道へ その55~愛は幻想ではない、事実である。幻滅が・・

「愛は幻想ではない、事実である。幻滅が可能なところには、
愛ではなく、憎悪があったのである」

兄弟、夫婦、恋人、親友などのこの世における
さまざまな種類の特別な愛とはなにか。
とても心に引っかかっていました。

兄弟も夫婦も恋人も親友も、互いに離れ離れに
なるまでずっと、そして離れ離れになってもなお、
受容し赦しあうことができれば、
それは全的な愛といえるのかもしれませんが、
たいていは何らかの憎悪をもちながら関係を
保つ場合や、憎悪をもって別れなくては
ならない場合もあります。

「憎悪こそがまさしく幻想であり、変化しうるものは
元より愛ではなかった。」

愛は全的で変化するものではなく、変化する愛は
存在しませんね。
ところが特別な愛と呼ばれる関係では、愛と言いながら
憎悪がその影に隠れています。
そして憎悪が生まれるということは、愛が変化する
ということですから、変化する愛は幻想ですね。

幻想の愛と実相の愛はその影に憎悪があるのか
または全的であるのかでわかります。
または変化するのか変化しないものなのかでも。

ですからもちろん「愛が勝つ」なんていうものもなく。
憎悪を影に持つ愛のみが「愛の勝利」などというものを
気にかけますね。

平安は決して特別な愛のような幻想からもたらされることなく、
実相の愛、変化しない愛のみからもたらされるようです。

「愛は幻想ではない、事実である。幻滅が可能なところには、
愛ではなく、憎悪があったのである」

「天使たち」 自分で自分を自分する R 3 2/28

http://tenmei999.blogspot.com/2021/02/22562021228.html

今回は「いっぷくからありがとう」の2021年02月24日の記事を紹介します。

地上に降りた天使たち

今日は病気で生まれた子供たちのお話です。以前書いたこともありましたが、加筆して掲載します。「もう読んだよ」って方は、遠慮なくスルーされてくださいませ。

早くに亡くなる子供たちは、とても大切な事を、両親や周りの人々に伝えるという役目を担って生まれてくることが多いようです。

その生きざまは、まるで「地上に降りた天使」のようです。

「おかあさん、もしナオが死んでも暗くなっちゃダメだよ。明るく元気に生きなきゃダメだよ。わかった?」

そんな言葉を残し、9歳でガンで亡くなった山崎直也くんのお話です。

<転載開始> 転載元 

“「天使たち」 自分で自分を自分する R 3 2/28” の続きを読む

神の使者から奇跡の道へ その56~特別な憎悪の関係に目を・・・

「特別な憎悪の関係に目を向けることを
恐れてはならない。それを見ることから
自由がもたらされるから」

特別な愛にはその影に憎悪が隠れているようであって、
そのような関係の中では、愛の真の意味が隠されており、
そうした関係は、憎悪を軽減しつつも、手放さずに
おくためにのみ形成されるようですね。

ようするに特別な関係とは、その影にある憎悪を
真っすぐに見て、本当の愛とは何かを
知るためにあると考えてよさそうです。

それでも人間はなかなか特別な関係をそのようには
考えることはできません。
感情がない人間とみなされそうで恐怖でしょうか。

でもたとえようもない「愛」に触れたときには
その恐怖が吹っ飛ぶのかも知れませんね。
“神の使者から奇跡の道へ その56~特別な憎悪の関係に目を・・・” の続きを読む