ルーツに感謝

nakanisi

11月20日、大阪の「健康と環境」のイネイト講演会に
参加する前に、ある場所に立ち寄った。
それは宝塚の山の手にある大林寺というお寺。
この5月につぶやき「自分への手紙」に書かせていただいた、実の父親の父親、つまり
祖父のお墓がある場所がその大林寺。
遺産相続の遺言確認に大阪家庭裁判所に出向いた日、
初めてお会いしたSさんという女性(いとこ)にお聞きした場所で、
おじいちゃんの墓参が目的だった。

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「ここまで来ると」

全国2000万がブロード(広帯域)の通信環境に
なったので、各地の動画放送局はまさに
花盛り。
でもどこの放送局を見ても、映画やドラマ、スポーツ、アイドル、
旅、グルメ、生活、エログロ、ニュースなどなどばかり。
そして都道府県の放送局はもっぱら地域のニュースを流すもの。
「コンテンツ」と「ネットワーク」がお金に変わる価値となると
聞いて、そのとうりと思ったのだが、出現してこない。
どうもそのはずだ。
そんなにいないんだね、そんな人々。(笑)
たいがいは、放送局の会員を増やすことにより、
ビジネスモデルを確立するという意図が見える。

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「許すこと」   

気になる課題がみつかると、
言うべきか、言わざるべきか、
まだ迷う自分がいる。
言うなんてこと・・・、そんなに立派じゃない自分も
知っている。
それで気になりながらも、黙して語らない
自分流を通していると、夢にそのことがでてくる。
最近2度ほどそんな夢を見た。

しかしおかしいことに、そんな夢を見た翌朝、
そんなにひろくない会社の中で、みんながそのことの原因に
ついて話しあっている。
そしてこちらの堅い心は、やわらかくなるのだった。
そうさね、人間だもの、わざとするわけがない。
みんなが話し合うようにっていう、お告げかな。(笑)

自分の意にそぐわないところに出かけることがある。
まだ「義理」っていう守り感情が残っている。
そしてヤッパリ意にそぐわないことを見たり聴いたりする。
それで黙っていればいいのに、グチのように
口から言葉が出てくる。
そんな時いのちに恥ずかしい。
それよりまだそのことを望んでいる自分がいることを、
ただ知ればいいのに。

いろんなシーンを与えていただいて、意識のゆがみが
体に出てくる。からだにすまないと思う。
もしそれが自分からのものでなくて、
さまざまな人やものの集合意識が原因だとしたら、
それをかぶる自分がまだまだと感じる。

解放。
捨てよう、認めよう。
どんどん、どんどん生まれてくるものたちを、
許そう。

それしかできないから。