Yさん(男性):5月1~2日愛媛に行ってきました。
肱川町の奥。九州の大豪雨でダムの下流の村が
すべて水につかり、今はその家屋には誰も住んでいません。
大洪水だった町です。その町のふもとから
山道を20分間登ると、道の終点にクマちゃんこと
岩熊裕明さんの住居兼、竹炭の工場があります。
くまちゃんと奥様、息子さんの3人に
会いたかったのです。
名古屋から650キロ、6時間半のドライブ。
息子さんのYさんは眼が見えないことが幼少期に
わかって、片目に水晶体を入れました。
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テネモスミーティング名古屋 R3 5/15 ご報告 2
久しぶりの
Gさん(男性):口をきいていないから言葉が出なくなった。
時間があるので仕事がたくさんはかどる。
注意力と持続力が増してぶっ通しでもOK。
今年の場合は以前の「ウキウキ」が心もち感じられて、
行かないで~~って感じ。
10年以上何も作っていない畑を平にしたり、
柿畑を整えたり。
午前6時ごろから12時まで休憩なしで
二時間の感覚。お昼食べ忘れて夕方までやる。
今年はずっとその調子。
快調です。
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「竹のものがたり」 その2~中江藤樹 故郷での最初の講義
中江藤樹は故郷に戻り、父の目指した「処士」の
道へと歩き始めます。
まず武士の魂と言われる剣を脇差とともに、
始めての出会いからすぐに同志というか、お弟子に
なった馬方に頼みます。
藤樹は「すべてお酒を買ってきてください」と依頼します。
「?」マークの馬方は、剣を10両で売り払い、
半分の5両で酒を買い、半分は生活費にとそのまま持参します。
実はこのように行動した馬方がのちの勘違いの話の
主人公となるのです。
名は又左衛門と言いました。
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「竹のものがたり」 その3~鯉と盆栽
故郷で学問を民衆とともに学び始めた藤樹は
昔母に言われた掃き掃除を思い出します。
家の前の掃き掃除を毎日毎日朝暗いうちから始めます。
そして村のこととて、隣の家は遠いのですがそこまでの
道や隣の家の前まで掃除をします。
ある朝、道を掃き終わったかれは、じっと門の前を
流れる溝の水を眺めます。
そこに馬のいななきと共に、又左衛門がやってきます。
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2335「大敬メッセージ」2021.5.18 自分で自分を自分する から
https://tenmei999.blogspot.com/2021/05/23352021518.html
今回は立花大敬さんの最近のワンデイメッセージから抜粋して紹介します。
316 2021.05.01
「法華経には、「行動の極意」は、『上・中・下の法を行わない』ことだと説かれています。
つまり、人や仕事にランク付けをして、「上のランクのもの」に対しては真剣に、力を入れて取り組むが、「下のランクのもの」は、いい加減に、粗雑に扱う。そういう態度が『上・中・下の法を行う』です。
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「ドイツの第二次世界大戦時」 奥の院通信 R3 5/18
https://okunoin.fc2.net/blog-entry-572.html
1939年(昭和14年)9月、ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まった。そしてその年11月にチャイム・ワイツマンがユダヤ人社会を代表し、ドイツに対して宣戦布告をしたことについては既に書いた。(5月14日奥の院通信参照)。
ここでドイツは自国内にいきなりユダヤ民族という敵国人を抱えてしまったのであった。ワイツマンは、「全世界のユダヤ人を代表してドイツに宣戦布告をし、ユダヤ人はドイツの戦争相手である大英帝国側に立つのであり、民主主義国側に立って戦う。ユダヤのあらゆる機関はユダヤ人の人力、技術能力、資源などを使用するべく、直ちに用意を調える態勢に入る」と宣言したのであった。
チャイム・ワイツマンは1874年ポーランドに生まれ、ドイツのベルリン大学で学び、その後ユダヤ人運動(シオニスト運動)をするのに好都合なイギリスに渡って、1917年に大英帝国の外務大臣バルフォアに「バルフォア宣言」を出させた人物である。これはイギリス外相が第一次世界大戦に際して、ユダヤの支援を取り付けるために、戦後はパレスティナにユダヤ人の国家を建設することに同意した宣言である。1920年から1929年まで、世界シオニスト機構議長を務め、1935年には再度同職に就いている。そして1948年にイスラエル国家が誕生すると同時に、初代大統領に就き1952年在任中に死去している。
こうした経緯を見ると、このチャイム・ワイツマンは、ドイツを第一次世界大戦と第二次世界大戦の双方に引きずり込んだ張本人であったことがよく分かる。しかし、彼の名前はイスラエル初代大統領としてしか知られていない。戦争はどの戦争もユダヤ人が引き起こすと言われるが、ワイツマンはその典型的な人物である。もちろん、彼もユダヤ社会を代表して、イスラエル建国という彼らにとっての正議のために頑張っていたのであるが、結果として、彼らがホロコーストを引き起こしたと言える。その責任の全てをドイツ国家とドイツ国家を代表してのヒットラーに負わせている。世紀の厄災を造っておいて、その責任を他人に負わせているのである。
ドイツはいきなり自国内に60万人の敵国人を抱えた状態で、イギリス、フランス、ソ連、後にアメリカと第二次世界大戦を戦うことになった。つまり、ドイツはイギリス、ソ連、アメリカなどの連合国とユダヤ人との連合を相手に戦うことになったのである。この1つの敵国ユダヤ民族が、今ではドイツの敵国であったにも拘わらず、そのユダヤ民族は戦争には関係のない可哀想な人たちであったということになっている。ただ、彼らは国として扱われていないだけで、まさにドイツにとっては中心的敵対国であった。この関係を抜きにしてはドイツの第二次世界大戦を語ることは出来ないはずである。ドイツにとってはユダヤ人こそが、戦争の相手国(国ではないが敵対勢力)だったのである。
その後、戦争が激しさを増すにつれ、ドイツ国内でもユダヤ勢力の敵対行為が目立つようになり、ドイツ政府もユダヤ人を隔離し、敵対行為をさせないような措置を講じざるを得なくなった。何の罪もないユダヤ人を強制収容所に送り込んで、彼らを虐殺したというのが、現在伝えられている物語であるが、とんでもない話なのである。
ドイツ国民が何故この物語に抗議しないのかがむしろ不思議である。ユダヤ人(DSら)としては、彼らが抗議し始めるのが怖いから、戦後およそ半世紀も経ってから、このことに触れたら刑務所行きとしたのである。これについては語るな、書くな、としたのである。そして、彼らはドイツ国家の指導者を慎重に選んでいる。メルケル首相の長期政権もその一例である。
ドイツ国内では、これらの事実が分かっている若者たちが時々抗議運動を起こす。しかし、彼らは「ネオナチ」と言うレッテルを貼られ、何か無知な暴力集団のように扱われる。日本では「右翼」「極右」と言う言葉が用意されたが、ドイツでは日本とは比較にならないほどに、無数の言葉が用意されている。メディアもこの「ネオナチ」と言う表現をことあるごとに使用し、「600万人虐殺神話」の虚偽を隠蔽している。同時にまた、大戦後にユダヤ人がドイツ人を大虐殺した事実も隠蔽しているのである。これが、欧州における「ホロコースト」問題の真相である。
「アンネの日記」、「ユダヤ人強制収容所」、「ユダヤ人大虐殺」、「水晶の夜」、「アウシュビッツのガス室」など、多くの言葉が用意され、ナチスドイツとその代表とされたヒットラーが極悪人としてのレッテルを貼られているが、真実は全く異なったものである。それが明らかにされる日も近々来るかも知れない。
2334「地球に生まれること」2021.5.17 自分で自分を自分する から
https://tenmei999.blogspot.com/2021/05/23342021517.html
今回は「いっぷからのありがとう」さんの2021年05月13日の記事を紹介します。
「地球に生まれること」
私たちの生命(魂)は、大本の宇宙神から別れ、様々な星ぼしを旅し、沢山の経験を積み、
未知なるものだったものを、既知のものとしながら、今は地球に生まれています。
地球は「制約の星」と言われ、思ったことが直ぐには実現しないし、
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「虚偽性は深い」 奥の院通信 R3 5/16
https://okunoin.fc2.net/blog-entry-570.html
第二次世界大戦で、ドイツの各都市の空爆が激しくなり、ユダヤ人の収容されている場所はドイツの工場地帯にあるので、彼らも空襲の被害を受けるようになった。ドイツの若者は軍隊に取られ、工業労働者がますます足りなくなる。1943年4月17日に交わしたヒットラーとハンガリー代表のホルティーとの公式記録が残されており、そこに「ドイツ空軍の追撃機製造計画で働く労働力として、ハンガリーのユダヤ人10万人を貸して欲しいと個人的に依頼した」という事実が明らかにされている。
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