テネモスミーティング名古屋 3/27 ご報告 1

釘本さん:月8本収録してきた「あたりまえの世界」の
夜の部をやめることにした。エネルギーチャージします。
ずっと人が来て、大変だった。

三時から収録。突然Yさんに電話して収録した。
イヤホンがないと飛ぶので、少し聞きづらいかも。

月曜と水曜に収録で、水曜日までに3月分をすべて
収録する必要があった。
夜のエネチャージの4月分の最後の収録を頼んだ。
その後突然「沖縄に行くよ!」と強い押し。
収録日の勘違いがあったが、なんとか25日の
午後3時30分からできた。
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天音天画 令和3年4月1日

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うづき うなづき かんぶつえ むびょう そくさひ ねがいて

ひらく はなまつり かむながら ほとけの みちも

ひょうり いちなり ふたつ ともえで みをあかし

なりなりて ときんに あがる みはたらき いちほにほ
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「竹のものがたり」 その13~愛媛大洲市肱川町への旅 1

令和3年5月1日、名古屋を息子とIさんと
連れ立って、車で650キロの旅に
午前五時半、旅立ちました。

大洲肱川町大谷のクマちゃんの炭焼き現場が
目的地です。

「車で行きます。
どこかで泊まりますので、ご心配なさらないように」
とのこちらからの申し出にクマちゃんは
「そんなこと言わないで家に泊まってください。
3人は泊まれますので」

暖かなお申し出にあまえて、午後2時を目標に
一路淡路の瀬戸大橋を目指します。
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「竹のものがたり」 その14~愛媛大洲市肱川町への旅 2

予定より一時間遅れて到着ですので、
クマちゃんの計画をズタズタにしたのかも
知れませんが、それでも大切なことを
しなければと御在所のお山をご案内いただくことに
なりました。

御在所の説明はここです。

御在所山689m(愛媛県大洲市肱川町)

石灰岩の林立するお山です。
水に浸食された石灰岩があちらこちらに
見受けられ、さまざまな動物や天の鳥船や、
天狗岩などがあります。

全員無事に山を降り、温泉へ。
そして奥様の手料理で、いつもはお酒を飲めない
クマちゃんも奥様のお墨付きが出たようで、羽目を
外しました。素晴らしいお料理の腕前。

この方がいたればこそのクマちゃんの
奥様は忍耐の人。

そして眼にハンデを背負いながらも
地球と人に貢献する竹炭焼の天才の息子さん。

肱川町の山奥で暮らすお三人の天使です。

これは朝ごはんです。

いよいよ翌朝は、竹炭の火入れです。

息子さんがそのお役目です。

竹藪。

寝かせた竹。

竹はこのように入ります。

そして火入れ。

半日ほどで焼き上がり。
燃料は0です。

途中、竹瀝や竹酢を手に取って
顔に塗りました。
スベスベ。

さまざまなものが炭になっていました。

クマちゃんは、書でも詩吟でも師範代です。

大洲市の小学生は一年生になると
もれなく全員がこの中江藤樹の詩を詩吟で
暗唱させられます。二分間で。

まだ幼くて意味も分からないことでしょうが、
まるで教育勅語のようです。
だから、幼いころから藤樹の精神が
染み込んでいくのでしょうか。

さまざまな目まぐるしい展開にまったく
楽しいお時間を過ごさせていただきました。

ご家族三人のお心を尽くされた、細やかな
ご配慮に感謝しつつお別れの時となりました。

帰りはしまなみ海道回りで帰名しました。

空も喜んでいました。

クマちゃん、ありがとう。

指が龍を指しています。

県名に「愛」を冠する、愛知と愛媛。
不思議なご縁に手を合わせています。

アイアイ傘ですね。(笑)

2293「幸せの種」2021.4.6 自分で自分を自分する から

http://tenmei999.blogspot.com/2021/04/2293202146.html

今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年03月28日の記事を紹介します。

幸せの種

今日は「幸せは見つけるもの」というテーマで小林正観さんのお話をご紹介します。

<転載開始> 転載元 

生れてからずっと目が見えない人は、

「1秒でもいい、いや0.1秒でもいいから、親の顔を見てみたい」 

「結婚した相手の顔を見てみたい」 

「子どもの顔を見てみたい」

と思いながら生きているそうです。
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「ユダヤ人のアメリカ支配」 奥の院通信から R3 4/6

https://okunoin.fc2.net/blog-entry-530.html

今からおよそ100年前、夥しい数のユダヤ人が無制限にアメリカ合衆国に流入していたことがはっきりしている。アメリカに移民したい者は集められ、組織的にアメリカに移民できた。ということは、アメリカ国内に既にそのユダヤ人受け入れ体制が、しっかり出来ていたと言うことである。それは今から100年前、第一次世界大戦頃のことであった。

 19世紀の後半にはアメリカ合衆国でも、国家として人口構成をはっきり知るべき時が来ていた。アメリカ合衆国はアングロ・サクソンの国なのか、セム人の国なのか、ラテンの国なのか、明確にするべき時期に来ていたのであった。

 当時の合衆国政府役人は、1880年代以前は、アイルランドからの移民はアイルランド人であり、ノルウェーやスウェーデンからの移民はスカンジナビア人であり、ロシアからの移民はロシア人、ドイツからの移民はドイツ人と認識できた。

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5月8日 第124回 慈藹塾 「ふしぎマジックショー」 続報 R3 4/6

5月8日 第124回 慈藹塾 「ふしぎマジックショー」 続報 

ありがとうございます。

ショー懇親会とも満席で、三密を超える、過密となりました。(笑)

迷っていらっしゃった方は、
また次回を楽しみになさってくださいね。

ご報告です。