3281「幸せになりたいのに」2023.12.20 自分で自分を自分するから

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2023年12月13日の記事を紹介します。

「幸せになりたいのに」

今日は、幸せになりたいと願っていても

「いつまでも幸せになれない人」の心の持ち方を書きたいと思います。

なかなか自分の心を、自分で見つめてみる作業を、普段は行わないものなので

自分で心のクセを見つけるのは難しいのですが、

例えば

・大きな障害(離婚、失業など)にぶつかった時

・大きな病気、事故に遭った時

このような困難に会うと

私たちは

・まずは社会や会社などの周りを呪い、人のせいにして

・何とかそこから抜け出そうと、人や物に頼り

・神仏にすがり

・それでもだめなら、諦め無気力となります

ですが、そのような時こそ、本当は自分の心と素直に向き合う絶好のチャンスです。

神々が与えてくださったラッキーなチャンスです。

なぜなら、自分の心と向き合い、「感謝の心」の足りなさに気づけたら、

そしてそれを反省し、改善しようと決心したら、

その途端に運命は大きく開けるからです。

行動にまで移すまでもなく、決心しただけで変わります。

では、そんな心のクセの一つを

小林正観さんが分かりやすい例で教えてくださっていますのでご紹介します。

正観さんは前世では、ブッダや空海の弟子であったことや

出身星がプレアデスであったことなどを思い出していました。

<引用開始> 引用元

・交通事故で追突された。どういう意味があるのでしょう?

・病気で一週間仕事を休んだ。どういう意味があるのでしょう?

・友人にお金を貸したけれど返ってこない。どういう意味があるのでしょう?

ありとあらゆることに

・どういう意味があるのでしょう?

・何か私に教えようとしているのでしょうか?

とつねにそうやって問いかけてくる人がいます。

それは質問というかたちをとって、

自分が気に入らないことを言っているだけに過ぎません。

・これが気に入らない

・あれが気に入らない

・これが思うようになっていない

と愚痴や泣き言を言っているだけ。

本人は質問のかたちをとっているのですが、

「どういう意味があるのか」と問うこと自体が現象を否定している。

だから、そんなことにいちいち関心を持たなくてもいい。

ただ淡々とやっていけばいい、とずっと言い続けています。

その人たちは、質問というかたちをとって問いかけてくるのですが、

要するに、

「私が気に入るように、正観さん話してください」と言っているのです。

「そこから先は神の領域」という思想があると、

いつも心穏やかに生きていくことができます。

私はつねにそういう概念があるので、すごくラク。

ストレスの少ない生活をしています。

夢や希望に満ちあふれているというのは、

・あれが足りない

・これが足りない

・あれ欲しい

・これ欲しい

と言っていること。

結局ストレスになって思いどおりにならない。

思いどおりにならないのは、「思い」があるからです。

「思い」をなくして、自分が頼まれてやるはめになったことについては、

何も考えないで、「はい、わかりました」と言いながらやっていけばいい。

そう思っている人は、ストレスがたまらない。

ストレスがたまらない状態だと、自分が一番ラクに生きることができます。

<引用終了>

自分の周りで起きる出来事が

・気に入らない

・自分の思い通りに運ばない

そのように口に出さなくとも、不平、不満、愚痴を心に抱けば

それはいつしか心に巣食う憎しみに変わり、

一番大切な「感謝の心」とは正反対の状態になってしまいます。

感謝の心が無ければ、神々の恩寵は届きません。

神々の光が届かなければ、幸せにはなれません。

斎藤一人さんは

色々な問題や障害が起こってくるのは、自分の心に「感謝の心」が足りないよって・・

知らせるために起こっているんだよ。

そう教えてくださいました。

私たちの心とはそのように、その状態を全て周りにと投影して見せてくれます。

それほどに神様から頂いた、この心とは大切なものです。