テネモスミーティング名古屋 5/23 ご報告 その2

Iさん(女性);会社に新人さん23~24歳6名が入った。
だんだん会社が元気が出てきた。
今までの常識と思っていたことを若い人たちが
変わらせてきた。
いい方向になるといい。
会社に入って長くたつと、キラキラがなくなる。
キラキラをいつまでも持っていたいもの。
子供や学生を見ていると、本当に楽しいことを
していない顔にはなっていない。
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随想 伊路波村から8~天地人一体の今

ほんのわずかな時間で
人と人はであう。

予想もしない出逢いが
その夜の楽しい時間を生むことがある。

そしてそれがもし用意されていたことだとしたら、
この世に生まれさせていただいた不思議と
ありがたさをあらためて感じさせていただく
こともあるだろう。
そんな夜がある。

この世的ではない方との出逢いは
また楽しいものだ。

何をいっても面白いのだから。
閉塞的な今の国の状況の中で
勝ち負けを競いあう集団や、
逆風を事業縮小やコストカットでしのぎ将来に
かってのような夢をもてずに、
さりとてやめる勇気ももてない経営者や、
撤退をうまくしたいと願う老いた
事業家の群れなどを目や耳にする。

続けるということの偉大さを思う。

生きている人々との縁が集団を形成し、
関わる人々の相互の幸せを願い、
日々仕事に精を出す。

だが活躍の場は少なくなり
必要のない人々は仕事を奪われ
不安定な職場を転々とする。

かってのようにただしゃにむに
生活の質の向上を目指した時代が、
幼稚ではあってもなつかしくさえ感じる。

すこしの向上で喜び、わずかな贅沢に
幸福感を覚えた日々もあった。

だが突然にそのむなしさに襲われ、
真理を求めてさすらう幾年間で
着実に大きな波は近づいてきている気が
するのだ。

クライシス。

般若心経や祈りの言葉を
口にしながら、ポロポロと涙を
こぼす娘の純真さに、何と言葉をかけたらいいのだろうか。

死をもって今を精算する人のなんと多いことか。

真理はどこにあるのだろう。

他人の役にたつことが人として
最大の喜びかも知れないが、
この世的な役の立ち方では
真の輝きは得られない。

ひとつとして「感謝」以外のものは
存在しないと教えて下さったのに。

あなた(わたし)は無限。

テネモスミーティング名古屋 5/23 ご報告 その1

Yさん(男性):情報がいっぱい。
今朝の中日新聞の「中日春秋」でビルゲイツが立派。?とか。
ペットのすべてにマイクロチップをうつとか。
ワクチン打たないと床屋も行けないペット。

ビルゲイツ、特許プラスアルファ、認証特許を取っている。
やばいという論調が多い。
商売発生、とげとげしい。
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随想 伊路波村から7~いただきます

「いただきます」
86歳になる父が 食事が終了してから
そう言った。

思わず 吹きそうになる。(笑)

毎食後に飲ませていただく
自分用のお薬を 曜日別 食事後別のケースから
取り出して 目の前に並べてから 思わず
口に出てきた言葉が「いただきます」。

老夫婦が その日に行った 税の確定申告で
あわせて申請した 一年間に要した医療費は
45万円を少し切った額。
自己負担30%として 医療費全額は150万円
になる。

一人にすると75万円。
これだけの医療費が 必要になる老人という世代。

この国の 皆さんに助けられて生かされていると
思うと 戻るはずがないと言われる 厚生年金も
ぐるりと廻っている感じで 助け合いと思わせていただく。

いい老人とは 「いつもニコニコしている老人」とか。

うちの老人は まるで 宇宙人だ。(笑)

随想 伊路波村から9~みんな自分

あなたが私だということにきづくのに
どんなに長い年月が必要とされたことでしょう。

そしてわかったと思ったはずなのに まさか
そんなはずはないと やっぱり思ってしまう自分に
幾度も会うのです。

そして今度のいのちが 役目を終えるときには
もうほんとにわかりましたと 全ての方が心底感じて
さようならをするのでしょうか。

今年のたくさんの いのちの終わりのお知らせが
届くたび 明日はわが身と思うこともあるのだけれど
まだ 終わる 終えるわけにはいかない 個性の
意地のような かわいさも感じるのです。

人の罪も もちろん我が罪も すべて私の責任のもとに
現われた現象と いのちの底から思えたとき
もうそこに 光の世界が待っているのでしょうか。

今生でお会いできた全ての人々に感謝して
勢ぞろいのときを迎えた感がします。

子の年の紀元節の日 大きな虹が
とぎれとぎれに見えて あまりの幸せに
そして感謝に 今回の意味を知りました。

今日もありがとう。

あなた様という 自分に会えました。

随想 伊路波村から10~出会いの時間

出会いの時間
人は出会う。
当たり前だけれど。

そして物凄い影響を受ける人もいる。

小学校、中学校時代なんか、
素敵な字を黒板に書く先生の真似をして、
自分の字が変化していく。

そんなことが数回あって、自分の本当の字が
確立していった。

今も変化しているのだろうけれど。

人生に強い影響を与える人さまとの出逢い。
そんな出逢いこそ、今回の人生の醍醐味だろうか。

会っては去り、あっては去りの繰り返しもまた人生。

他人様の集合体がまるで私のよう。

どんな人に出会うのかは、どんな人間に
なるのだろうかと同じように思わせていただく。

なつかしい出逢いに、心ときめき、
そして別れがくる。

今度はいつの「今」に、その方に出会わせていただけるのだろう。

そんなふうに思うと「大切にしよう」と思わざるを得ない。

仕事の話だけれども、いつも迷うのは「顧客優先ばかり
していると会社はどうなるのだろう。」という問題。

このことは人生の生き方にも通ずることだろうけれど。
今朝、そのことに触れている文章にいきあたった。

「愛他論」パウロの行動原理だ。
「私は、誰に対しても自由な者だが、すべての人の
奴隷になった。できるだけ多くの人をえるためである。
ユダヤ人に対しては、ユダヤのようになった。

ユダヤ人をえるためにである。・・・・弱い人に対しては
弱い人のようになった。弱い人をえるためにである。

すべての人に対してすべてのものになった。
何とかして何人かでも救うためである。」

ここでの自由な人とは、自分を捨てて
相手の奴隷になることによって、すべてを
獲得できる人という意味のよう。

「奴隷になれ」なんていやだ、言うべきことは
言うべきだ、と聞こえそうだけれど、
結局すべてを許し、相手の奴隷になることは
深いところの己の真の自由であり、意志である
のかも知れない。

出会う人すべてが私なのだから。

随想 伊路波村から11~代表選手

誰でもが三千世界の代表選手なんですから、
なるべくいのちが沸き立つような毎日が
望ましいですね。

からだもこころもいのちも、みんなみんな
よろこんでいる状態の継続。

生まれさせていただいたほんとうの理由から、
遠くにいればいるだけ、
世の中でいう苦難困難が激しいと聞きました。

不安は怒りのもとですか。?

怒りがだめと感じたら、
不安を消しましょう。

不安は執着だから、
執着を消すということでしょうか。

だけれども手ごわい執着は
現実世界ではいっぱいあって、
てぐすね引いて待ってます。(笑)

どこから消せますか。?

名誉、財、嫉妬、本能・・・・?

自らに語りかける月曜日。