「天長節」 奥の院通信 R3 2/23

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今日は第126代今上陛下の誕生日、天長節である。初代神武天皇から数えて126代、初代神武天皇が即位されてから2681年である。従って、日本国は建国して2681年ということになり、日本国の年齢は2681歳(皇紀2681年)である。その間、神武天皇から今上陛下まで万世1系で繋がっている。もちろん世界で最も古い王朝であり、王国である。皇祖天照大神から数えると78世(世系78)であり、今上陛下は天照大神78世ということになる。

 現在の奥の院の祖であり、ユダヤ民族の祖アブラハムがシュメール王国の首都ウルで誕生し、神の啓示を受けてカナンの地(パレスティナ)に移住してからおよそ4千年である。彼らの祖アブラハムからのち、ダビデやソロモンなどの多くの王が誕生しているが、それが万世一系であるかどうかは不明である。彼らはイスラエル王国を建国したが、その後南北に分裂し、そのうちの北王国は更にアッシリアに滅ぼされ、南王国はバビロニアに滅ぼされ、イスラエル王国はここで消滅した。南王国は別名ユダ王国といい、ユダ王国の民がユダヤ人である。それまでは彼らはヘブライ人と言っていた。従って、ユダヤ人はヘブライ人の一部の人たちである。

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神の使者から奇跡の道へ その60~自我がなければすべてが愛になると保証する

「自我がなければすべてが愛になると保証する」

すべてが愛になった情景とは、というか
情景はないかも知れませんが、どんなでしょう。

三重の友人は若いころの何か月かに
そんな体験をなさった様子です。
すべてがきっと活き活きとして
みずみずしく匂い立つがごとく美しい
世界が広がっていたのでしょうか。

愛。

ですからきっと情景そのものが自分であって、
なにものとも分離していない感覚なのでしょうか。
そしてすべてのものが、自分こそ唯一の源であることを
教えてくれるのかもわかりません。
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神の使者から奇跡の道へ その61~夢に支配されて、あなたの目を閉じてはならない

「夢に支配されて、あなたの目を閉じてはならない」

え~~!!(笑)

目を閉じているときに見るのが
夢でしょう。!と言うお声が聞こえそうです。
その夢になんか、支配されるわけがない、と。

まず夢ってなんで見るのでしょうか。

これは現実での自我による知覚を通じて
眠った時(目を閉じたとき)に見る夢を、
真理の代替とするのには、この自我による
知覚の夢が最良の実例になりそうだからですね。

実は夢も幻想ならば、現実も幻想だとしたら、
目を開けているときがつまり夢に
支配されているときですね。

そして眠りからの夢は、世界を見る見方の一つで、
世界を自我の都合の良いように変える方法ですね。

ですから時間の全てを、夢を見ることに費やされ、
眠っているときに見る夢と、目が覚めたときに
見ている夢は、違った形をしている。
違いはそれだけで、すべて夢です。

すべては逆。

人間は一度も眠っていない。
飯島さんの言葉です。

実相にあればもちろん眠ることはありません。
眠ることによって真に目覚めるのかも知れません。

ほんとうに目覚めるとは、真理と言う実相を知ることでしょうか。

「夢に支配されて、あなたの目を閉じてはならない」

神の使者から奇跡の道へ その62~代用することが不可能な唯一の感情は愛

「代用することが不可能な唯一の感情は愛」

愛ならいくらでも何度でも(笑)行けそう!と
すぐに特別な関係を連想しがちです。

ある一部や一部分が対象でなくて、
あらゆるもの、人に関して、まったく分離がない状態が
おそらく唯一の感情と言われるのでしょうか。

何も求めないもの。
選ぶことのないもの。
ただ与えるだけのもの。

奇跡とは癒しのこと。
目の前に現れた兄弟とともに奇跡を
味わいます。
相手がいないとできないこと。
そしてその相手は誰でも。

「真理は内に向かって延長するものであり、
そこでは損失と言う考えは無意味であり、
増大のみが可能」

自分自身の内側では、兄弟を完全なる愛を
もって愛しているのですから、
真理を幻想へ、無限を時間へ、生命を死へと
運んでしまった、その一つの誤りだけが
私たちの犯した誤りのすべてのようです。

奇跡は分離のない愛へと導き、それを癒しと
呼んでもいいのでしょうか。

全てへの赦しがその道となるようです。

「代用することが不可能な唯一の感情は愛」

神の使者から奇跡の道へ その63~天国とは場所でもなく、状態でもない。・・

「天国とは場所でもなく、状態でもない。
それは単に完全なる一体性についての自覚」

なにかあまりはっきりしませんね。

「天国」とかあるのかないのか知りませんが
「地獄」もたいていはあることが行われている
場所って考えがちですね。

それからいろんな環境のような状態とも
思いがち。

でもそうではないと断言。

「完全なる一体性についての自覚」
ということです。

完全にすべてが一体。
無限なる宇宙との完全なる一体感を
なんとなく自覚することが天国。?

では感ずるんでしょうか。?
その一体感を感じたときに一体どうなるんでしょう。

飯島さんは運転中にその自覚があって
「目にワイパーがいるよ。」って笑っていました。
なんというか至福感かもしれませんね。

お風呂で裸の時もいきなり体験された様です。
ちょっと恥ずかしいですね。(笑)

でもそれを体験すると、飯島さんのように
自他の境なく、すべてと分離していない
自覚があって、自分が無限ですべてのすべてだと
感じるのでしょうか。
そしてその後はそのように生かされるのかも。

それはマントラ瞑想の時も感じることも
あるようです。

奈良のTさんやMさんなんかしょっちゅうでしょうね。
幸せ・・・・。

でも感じるものが天国。?

わかりません。

「天国とは場所でもなく、状態でもない。
それは単に完全なる一体性についての自覚」

神の使者から奇跡の道へ その64~誰もが自分を超えたところに・・・

「誰もが自分を超えたところに運ばれる感覚と
呼べるような体験をしたことがある」

いよいよ至福の感覚についての記述が
多くなってきました。

スポーツ選手なら、ランナーズハイとか、
全てを出し切った時の至福感。

歌手とかだったら、聴衆との一体感。
そして歌い切った時の平安なる至福感。

また誰でも一つのことに極限までに集中しているとき。
そしてやりきったとき。

さまざまな体験がすべてとの一体感を与える
ことがありそうです。

「兄弟と共に過ごす一瞬が、あなたがた両方に
全宇宙を取り戻させる」

とても赦しがたい体験のあと、
「全部自分のことだったんだ」と
自分の中に生じた恐れや怒りや悲しみを
もったことを赦し、兄弟をも赦すとき、
分離のない、そして一度もなかったことを
確認し宇宙との無限の愛の確認を自覚する。

そんなことがおきるのでしょうか。

なんともいえぬ至福感。
それは困難の度合いが大きければ大きいほど
確実のように感じます。

そしてそれこそが心の癒しとなるのかも知れません。

肉体が癒されることはなく、心がすべてです。
肉体は決心ができないからです。

「誰もが自分を超えたところに運ばれる感覚と
呼べるような体験をしたことがある」

神の使者から奇跡の道へ その65~真理を幻想のもとに、実相を・・

「真理を幻想のもとに、実相を空想のもとに
運んでくることに人生を費やしてきたあなたは、
夢の道を歩んできた」

今世界で起きていることが、あまりにも
はげしくて、これがとても幻想だなんてと、
またのんきな父さんだ・・とのお声が聞こえそうです。
(笑)

目の前に起きていることは、ただ「受容」するしかない
ようですし、それをどのように感じるかは
すべて個人の自由意思に任されています。
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