神の使者から奇跡の道へ その83~特別性とは、自分以外の・・

「特別性とは、自分以外のあらゆる人に対する
信頼の欠如である」

特別性と言えば、全ての人のこと。
全ての人を判断してしまう心は、
人に対する信頼の欠如。?

「小声でささやかれた気に入らない一言や、
都合の悪い状況や予期せぬ出来事だけで、
自分の世界が動転し、混沌の中に投げ込まれて
しまうほど、傷つきやすく、攻撃されやすい
存在はあなたではない」

真理はそんな脆弱ではありえませんね。

人の中のキリストは微動だにしないし、
彼は自分の愛するものを見て、
それが自分自身だと知っていますね。

そして地上のすべてのものについての
識別法となるのは、単に、
「それはなんのためなのか」という問いのようです。

全てのことやものは自分へのプレゼントだと
確信さえ出来れば。。

もうすぐ。

「特別性とは、自分以外のあらゆる人に対する
信頼の欠如である」

つれづれ 令和三年 初春

初春の一月中旬のある日、
猿の惑星のようなこの国を歩いて、
東京に行きました。

テネモスさんの皆さんは明るい!。
大丈夫です。
「柊」(ひいらぎ)さんのお料理は相変わらず絶品です。
ラーメン、中華も作るとか。

夜は関東ではナンバーワンだと感じさせる
フランス料理のパリセチエムさんで宴会。
幸せ過ぎます。
“つれづれ 令和三年 初春” の続きを読む

神の使者から奇跡の道へ その84~知覚とは、自分自身が・・

「知覚とは、自分自身がなりたいものや、
住みたい世界や、自分の心が充足し満足すると
思える状態についての選択」

結局、自分の心が望んでいる状態が今。?
え~~??!!
こんないやなことも。?

なのですが、そのいやなこと、いやな出会いも
実は自分のすがた映してくれる貴重な贈り物
なんでしょうか。?

ところが逆に自分が見ている世界から何らかの
満足を得られるという希望を、依然として
抱き続けているのなら、大変に奇妙なことでもあります。

何故なら、知覚の基本的な法則は、
「人は自分が見るものを喜ぶ。
人は喜ぶために見るからである。」

見るものに対して、苦しみと罪が喜びをもたらして
くれるとあなたが信じている間は、
あなたが見るべくそこに存在し続けるようです。

「あなたが神のための手段である。
あなたは神から分離してはおらず、
神の生命と別の生命をもっているのでもない。」

神我顕現の道が人生。?

「知覚とは、自分自身がなりたいものや、
住みたい世界や、自分の心が充足し満足すると
思える状態についての選択」

神の使者から奇跡の道へ その85~毎日毎分、刻一刻、あなたは・・

「毎日毎分、刻一刻、あなたは恐怖の時間が
愛の座を奪ったあの一瞬を再び生きている
だけである」

飯島さんはかって「みんな死んでいるようなものです」
といいながら「死はない」とも言われました。

死んでいるように生きているって
どんなことでしょうか。
「愛」の座を奪ったあの一瞬・・・。
そうですね「分離」したあの一瞬かも。
そして人生上で常に「分離」しがちな自分。
だから分離しているかぎりは真に生きているとは
いえず、「死んでいるようなもの」かもしれません。
“神の使者から奇跡の道へ その85~毎日毎分、刻一刻、あなたは・・” の続きを読む

神の使者から奇跡の道へ その86~結果と原因は必ず一つの・・

「結果と原因は必ず一つのものとして訪れる。
時間とは肉体と同じように中庸(ニュートラル)なもの。」

結果と原因が一つならば、結果が消え去るとき
原因も消えますね。
よく質問がありますが、質問と答えも一つ。
原因と結果です。
“神の使者から奇跡の道へ その86~結果と原因は必ず一つの・・” の続きを読む

神の使者から奇跡の道へ その87~彼にあなたが癒されたことを・・

「彼にあなたが癒されたことを示しなさい。
そうすれば彼はこれ以上苦しむことを
承諾しなくなる。」

赦してあげるは!では心に相手に対する
想念が残ったまま。
相手とともに赦され赦すとき、共に癒されるようです。
相手というものも初めからなかったことです。
“神の使者から奇跡の道へ その87~彼にあなたが癒されたことを・・” の続きを読む

神の使者から奇跡の道へ その88~虚無を絵に描けないのと同じように・・

「虚無を絵に描けないのと同じように、
全体性を表す象徴はない。」

神(エネルギー、生命、意識)は無形にして無双のようですので、
形がなく、二つとない。一つ。
目に見えるもの、聞こえるもの、そして匂うもの
すべては物質で結果ですから、言葉もまたそうですね。
“神の使者から奇跡の道へ その88~虚無を絵に描けないのと同じように・・” の続きを読む

神の使者から奇跡の道へ その89~この世界の中で問われる質問は・・・

「この世界の中で問われる質問はすべて、
ものの見方に他ならず、質問が問われているのではない。」

憎しみ(分離)の中で問われる質問には、
答えることができませんね。
質問自体がすでに答えだからですね。
“神の使者から奇跡の道へ その89~この世界の中で問われる質問は・・・” の続きを読む