実相を求めて・・・

しなくてはならないことは一つもなく。
してはならないことも一つもありません。

ただ突き動かされるままに書き留める作業が
続いています。

いつ止むかもしれないこと。
肉が動き、それが正常に働くことだけを
たよりに、動かされています。

「実相とは何か」

これは人生のテーマそのもの。
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原因と結果

「おっと~~」

清里にある「やすらぎの里」での朝。
知花先生の思わず・・の言葉です。

先生は何十年にもわたって、この「やすらぎの里」で
朝と夕に一回ずつ合計二度毎日一時間の講演を
無償で続けられました。

お話の前に、お話をうかがう方たちは
一時間の瞑想をします。
その後先生のお話を拝聴します。
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人はただ一つの柱を生かされている

未来がここにあったり、
空間を超えて物が飛んだりしたときに、
これはテレポーテーションといいますが、
この実際に見ている世界は何だろうと
疑問がわかないでしょうか、?

もう30年ほど前からこんな体験の連続で、
いつもそれを探求することが人生になってきました。

真理の探究です。
それだけが大切と思わされます。
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肉体の感官が真理に対して盲目にしている

たたけば音が出る世界。

確かに音が出る机。

五感が自分を肉だと叫ぶ。
おなかはすくし、痛いしかゆいし、眠いし、目は見える、
音は聞こえる。
そして官能も叫ぶ。

ほら肉でしょ。
何が「生命」だよ!!って自我が笑う。
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ギリギリの時に・・

小学5年生の秋に、お隣の机に転校生の
おかっぱ頭のKさんが突然に座った。

先生から紹介があった。

「Kさんは今度の台風で、南区で
被災されました。それで今日から
皆さんと一緒にここで勉強するために
転校して見えました。

よろしくお願いします。」

詳しい被災の状況もわからず、またその後
余り詳しく聞くこともはばかられたが、
なんだか打ち沈んだ感じのKさんに
なるべく親切にしようとだけ思った。

Kさんはずっと寡黙で、明けの年の四月、
6年生になる前に、また突然に元の学区に戻っていった。

短い滞在だったけれど、幼い心にいまだに
思い出が残っている。

Kさんは南区で家が流され、家族の人が亡くなったようだと
あとで聞いた。ずっと静かだったわけがわかった。

貯木場から切れてしまった木材が濁流とともに
家や街に押し寄せた。
翌日、災害救助に向かう船の脇を何人もの死体が浮かんでいた。
それは実際のこと。

そのような実際の様子をKさんも体験したのだろうか。

伊勢湾台風が来た9月26日の夜、ぼろやの我が家では
瓦の屋根が吹き飛んでいきそうな恐怖感を味わっていた。
室内のあちこちに雨だれが落ちる。
誰も周りにはいない様子を思い出す。

家じゅうの受けることができるバケツ、食器、入れ物を
全部使い果たしてそれでも、あちこちに雨漏れ。

もうだめか・・・、家は強風に揺れそれこそ
屋根ごと吹き飛ばされそうな怖さ・・・・。

あきらめたとき 急に風が静かになって、上を見れば
壊れた屋根の隙間から少し明るい空。

ああ助かったかも・・・。

強烈な伊勢湾台風は過ぎて、無事でいることの
安心を知った。
そしてギリギリになったとき必ず何かの助けがあることも。

もしかしてこの「コロナ騒動」のギリギリになって
人々がもうだめだと思ったときに、何かがあるのかもしれないと
昨日の夜突然に感じたのです。