随想 伊路波村から72~しのちゃん

娘の日記です。30歳になれました。

1月27日

心友

今日ともちゃんとかこでお茶をしたうさぎのさるぼぼとアルバムとMDをもらった。お茶おごった。家にも招待した・ ともちゃんは私の親友だ。心友のほうかな、メンタルだ。親友ってなに?って思うことあるけど一緒にいてぽわんとできるともかなと思う。今日はお菓子の本みてガトーショコラなんてどう?いろんなタイプあるね。もうすぐバレンタインだね。手作りは家とあとはだれかな。なにしろガトーショコラは作る予定。うさぎのショコラデジカメでとっていい?どうぞ。ショコラも心友。しの

真理の光 その4 因果 空と物質

「玉みがかざれば 光なし」

「机を磨くと何故光るんだろう。」

この疑問をEさんは随分長い時間考えたようです。

そしてその答えが物質に圧力がかかれば
エネルギーが吸引されて物質は酸素いっぱいになり
光り出す。との結論のようでした。

しかしエネルギーが入るとはどういうことなのでしょうか。
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真理の光 その5 バイブレーション

いままでのことを少しまとめてみました。

この現実界はすべては空からなりたっています。
それはプラスとマイナス。
それをくっつけて物質化しているのが光子のようです。

プラスの数とマイナスの数で物質に名前をつけいています。
最小が水素。

形を現すのが電子マイナスで電子マイナスを動かしているのがプラスです。

電子が集まってながれることを電流といいます。
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随想 伊路波村から73~人間は何で生きているんですか? 020620

ありがとうおじさんへのある方の質問

Q 人間はなんで生きているんですか?

A そうねえ。まず「生かされてる」のよね.神様に生かされてるのね、
神様も本当は生きてるんでしょう。
その神様は目的を持って
生きてるんですよね。「生きてる」というのは、
いうたら「命の働きが躍動して動いている」という意味よね。
常に、宇宙の創造が一瞬一瞬
新たに行なわれてるという意味ですよね。

神様は何故宇宙を創造しているのか。
やっぱり「喜びを表現している」んですよね。
宇宙全体に。喜びの連続ですよね。

人間も神様の本当は分身として、神様と一体の自分として、
神様の喜びを一緒に味わうわけね。
ただ、一人一人が異なる喜びの味わい方をしてくれないと、
神様は困るんですね。

同じ味わい方だったら二人は要らないですよね。

万人がいてたら、万人全部異なる味わい方をして欲しいのね。
それを全部束ねて神様の大きい喜びに変化するのね。
だから、人は神様とともに生きてるのね。
どこまでも神様とともに生かされている。

目的は神様の目的を持って生きている。
それは、喜びを大きくすること、幸せを大きくすることよね。

Qそれは、自分が思う喜びでいいんですか?

A 自分は自分なりの喜びが、順番に深く大きくなっていくわね。
他の人は、また他の人なりの喜び、味わい方が違うのね。
それはそれなりにどんどん大きく深くなっていくわね。
人まねはいらないね。人まねはしなくていいのよね。
あくまでも自分は自分よね。

Q 自分の喜びを追求していったらいいということですか?

A だから、自分の喜びは神様から来るのよね。
神様から離れたら喜びは消えてしまうよね。
神様から与えてもらうものを、
充分に受け切らないといけないね。
神様の喜びが自分の中に入ってくる。
それを喜べるという状態ね。
だから小さい喜びじゃないよね。
神様の喜び、一人ひとりに与える喜びは、
無限の無限の喜び、大きい。
最初は小さいよね。喜びでもね。
だから、思いの自分を生きているときは、
ちょっと思いどうりになって喜ぶぐらいでしょう。
もの凄く小さいのね。
それを無限に無限に大きい喜びに変えていく勉強がいるの。
それが感謝に生きることよね。
感謝に生きてると気付きが増えて喜びが
大きくなるね。それが深くなっていくね。
神様が与えてくる無限の無限
の喜びにどんどん近づいていけるね。
一人一人が無限の無限の
喜びを味わいつづけて欲しいんでしょう。神様はね。
それを全部束ねて、もっと大きい喜びを神様は味わいたい。

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人間はどんなときに喜びを感じるのかは人さまざまだ。
でも、深いところでは共通しているのだろうか。

「どんなときに嬉しい?」ある人に聞いてみた。

「うーん。他人が嬉しそうにしているのを見るときかな」

この人はもう神様だ。

随想 伊路波村から71~すこしずつ

一緒に仕事を始めた第2創業時。
おじいちゃん(父)は今の私の年齢だった。

50-60キロもする鉄板を毎日毎日
3-4トンは移動した。
手で。

もうその年になるまでの15年間くらいは
重いものは持っていなかっただろうに。

始めた頃は、あちらが痛いこちらが痛いと
言っていたっけ。

でも第2創業。
将来を夢見て、そして自分の城、祖父の城の復活が
喜びと力になったのだろうか。
張り切っていた毎日だった。

27年が経ち、世の中が大変化。
もう第一線を退いたおじいちゃんにとっても、
この先の会社の行方は不安にみえるのだろうか。

絶頂をほこる企業でも、一夜にして倒産。
社会は人は大変化を遂げているかのようだ。

そしておじいちゃんの第2創業の年から、
3代目は第3創業へと向う。

今までの企業体ではない。
だれも見ない地に向って船出するかのよう。
人は無謀となんども言った。
本業をしっかりとすっぱく聞かされた。
それでもかたくなな心は、聞き入れる事をしない。
何の為に生きてきたのか。
何のために生きるのか。

老眼の目はめがねを借りて美しいごはんや
世界を見る。
すこしずつ すこしずつ 老いていく。
娘のだんなさん?と間違えられた嬉しさは
老いの裏返し。?

アホならいっそ。
行く先も、夢も、生き方も関係ないのです。

すこしの言葉でぐらつく、おろかな自分を
まだまだと激励する自分がいる。

世界はすこしずつの変化でちょうどいい。

日常は激しく動いている。

随想 伊路波村から74~日票式人生読本 020712

我が家の洗面所の目の高さにかけてある日票式人生読本。

足助の平勝寺住職からいただいたもの。
60日毎日のひめくりです。

歯を磨きながら、あるいはひげをそりながらみるとはなしにみる。
一部をご紹介させてください。

戯論を止めよ(毒矢のおしえ)

マールクシャという釈尊のお弟子があるとき、
次のような質問をしました。

「この世は永遠に続くものでしょうか、
それとも今にすっかり変わってしまうものでしょうか教えてください。」

「こういうことがわからなければ修行をやめようかと思います。」

と。 すると釈尊は、このお弟子に次のように仰せられました。

若し人が、毒矢をもって射られたとせよ。
廻りの人が急いで医者を迎えて、その矢を抜き取るようにする。
ところがその時、その矢を抜くのは

ちょっと待ってくれ、一体この矢はどこから来たのか、
この矢は誰が射たのか、矢先はどのような形をしているのかと。
そういうことがすべてわかるまでは抜くのを待って貰いたいというならば、
彼はそれらのことを知る事が出来ないうちに死んでしまうであろう。

戯れの論をして居るよりも先に、まず毒矢を抜き取ることが大切なのである。
前世がどうであったとか、死後はどうあるかを知り尽くすよりも、

今おんみ達の身に迫っている恐ろしい
毒矢を抜き取る事こそ大切なのである。

私の教える修行はその為の修行なのである。
戯れごとではないと仰せられた。

真理の光 その6 意識を起こして 意識せずの凄さ

先の水耕栽培の実験ではいろんなことがわかりました。

まず水耕栽培の水に空気振動圧をかけていますが、
その振動圧の高さに比例して生育のスピードが速いこと。

それから上からの光の種類(光の振動)によって
レタスの色目ややはり生育スピードが異なること。
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随想 伊路波村から75~あなたに誉められたくて

俳優高倉 健 さんの本の題名です。
もうずいぶん前に出版されました。

高倉健さんが10年も続けた事。
それは毎年の大晦日の午前零時に
長野善光寺をお参りすることでした。

長野県とは別にゆかりもなにもない健さんにも
何故善光寺なのかがわからなかった。

ただ続けてみようと毎年0時になると参道から入り
善光寺にお参りしたのでした。

年を重ねるにつれて大晦日に必ず健さんが善光寺に
くるといううわさがひろがりました。

大晦日には参道に人があふれるようになりました。

10年目を迎えた年。いよいよ健さんにとっての満願の年です。
あいにくその年はアメリカで映画「ブラックレイン」の撮影中でした。
「今年は行けないな」とあきらめていた健さんでした。

大晦日が近づくにつれて10年目の区切りをつけたい気持ちと、
ことしも健さんにあえると待っていてくださる人々への思いが
つのってきます。ギリギリになって映画のスタッフに理由を話し、
お参りをしたらすぐ戻るという約束で健さんは帰国。
善光寺に時間どおり間に合いました。

アメリカでの撮影をよく知っていた健さんのファンでしたが、
10年目の最後の善光寺の参道、いつもの年にも増して
多くの人々が「ウオー」という叫びとともに健さんを出迎えました。

「あなたにほめられたくて」健さんは人生をすごしました。

このお話では自分を待っていてくれるだろう人々でした。

でもほんとうに誉められたい「あなた」は健さんのお母さんでした。
お母さんに誉められたくて健さんは生きてきたのです。

はなしは自分のことに移ります。

母の口ぐせは「いい子だね」と「他人の役にたつ人間になれ」
でした。昭和50年。月給8万円の中から毎月現金書留で
一万円を母に送りました。

母が63才になって病床にいるころ、ポツリと言いました。

「おまえが送ってくれた一万円どんなに楽しみにしていただろう」
母は63才で逝きました。

子供4人を育てた借金が残されました。
3年半かかって毎月すこしづつ返しました。

だれの役にたたなくてもいい。

これでおかあちゃん安心してね。

あなたに誉められたくて自分も生きてきたのだから。