2450「宇宙を貫く法則」2021.9.9 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年09月03日「天国と地獄」と

2021年09月04日「宇宙を貫く法則」の2つの記事を紹介します。

「宇宙を貫く法則」

今日は「宇宙を貫く法則」と言うテーマです。

このテーマを生命の切り口から書きたいと思います。

まず、「犬の十戒」というお話です。

動物を飼っていらっしゃる方ならこの気持ちが、十分 分かるかと思います。

家にも犬とネコがいます。

<引用開始> 引用元 

1.私と気長につきあってください

2.私を信じてください。それだけで私は幸せです。

3.私にも心があることを、忘れないでください。

4.言うことをきかない時は、理由があります。

5.私にたくさん話しかけてください。人の言葉は話せないけれど、わかっています。

6.私をたたかないでください。 私には、あなたの手の骨など簡単に噛み砕ける歯がある 

けれど、決してあなたを噛まないようにしているのです。

7.私が年を取っても、仲良くしてください。

8.あなたには学校もあるし友達もいます。でも、私には、あなたしかいません。

9.私は10年くらいしか生きられません。だから、できるだけ私と一緒にいてください。

10.私が死ぬとき、お願いです。そばにいてください。

 そして、どうか覚えていてください。私がずっとあなたを愛していたことを。

<引用終了>

家にも犬が2匹、ネコ一匹います。ですのでよくわかります。

そして、この犬の気持ちを理解したうえで小林正観さんの、生命のお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元

『動植物』

「植物」が10万回生まれ変わると「動物」になり、

「動物」が10万回生まれ変わると「雲」を経て

「ヒト」になります 

これが生まれ変わりのプロセスです

「動物」も「植物」と同じように、99.9パーセントは人間の目に触れることなく死んでいきます。鳥も、猪も、キリンも、シマウマもそう。

動物園にやって来れるのは、すべての「動物」の0.00001パーセントにも満たないでしょう

犬、ネコ、インコ、オウム、ハムスターなど、ペットとして人間に飼われることになった「動物」は、9万5000回~9万9000回程度の生まれ変わりの回数を重ねており「ヒト」により近づいた「魂」を持っています。 

いかなる「魂」も「喜ばれると嬉しい」という方向を向いています。 

もちろん「動物」も同じです 

とくにペットとして「人間」とともに生活をしている「動物」は、

「飼い主を癒すため」に存在しています

(ですから、どんなことがあってもペットを叩いたり、叱ったりしてはいけません)

犬やネコも、花びんの花や、鉢植えの植物も、「人間」の生活圏に入り込んでいる動植物は、

すべて「癒しのための存在」です。

そして彼らは、「人間」に尊敬の念を抱いています。(生物学的な「ヒト」ではありません)

目の前にいる飼い主を

「応援したくて、応援したくて、しょうがない」

「癒したくて癒したくてしょうがない」 

だから、動植物を大切にしていると、結局は「自分がよくしてもらえる」(=投げ返される)わけです。

このことがわかってしまうと、

「頑張ったり、努力したりする必要がない」ことに気がつきます。

なぜなら、「ペットや植物を可愛がる」ほうが、大きなエネルギーを得られるからです。

学業や仕事で「努力するレベル」は、わずかに「1兆分の1」 だけれど、、

「ペットや植物を可愛がるレベル」になると、

「1兆分の100万」のエネルギー量を受け取ることになります。 

そのうえさらに、「手足が動き、体が動くだけでも奇跡なんだ ありがとう」と「感謝」すれば、「1兆分の1億」の力を得ることができます。

私たちはゼロから「水」をつくることができません。 

「神様」が水を落としてくれるのを、ただ待つことしかできないのです。 体の約70パーセントを占める「水」は「神様」によってつくられています。 

ということは、私たちが生きているのも「神様のおかげ」ということになりませんか? 

そのことに気がついて「感謝」できたとき、

「1兆分の1兆」のエネルギーを、受け取ることができるのです。

自分の力で努力して頑張るよりも、あらゆるものに「感謝」するほうが、

効率的だし「得」だということがわかります。

これが、「宇宙の本質」なのです。

<引用終了>

10万回と言うのは方便でしょうが、もしかしたら、家庭の中で、家族として一緒に生活を共にしているペット達は、近い将来、今度は人間として生まれてくるかもしれないですね。

その時は、私たちが愛情を注いだ量に比例して、愛と希望にランランと輝いた瞳を持って生まれてくるでしょう。

もう一度、優しく、愛に溢れた人達、人間と触れ合うことができる・・・

期待と好奇心に満ち溢れた心を持って生まれてくることでしょう。

身近な人、動物、植物

生きとし生けるものに優しさと、愛を注いで生きて行きたいものですね。

そんな人の周りには、いつも明るく笑顔の人が集まることでしょう。

優しい心を持った人が集まることでしょう。

2021年09月03日天国と地獄

今年、竹之こぅち不動社裏の神の山、天空農園で取れたサツマイモは、かなり大量です。

このまま土の付いたものをフードバンクに持ち込めないので今日からイモ洗いを始めました。大量過ぎるので、3日間に分けて行う予定です。

さて今日のテーマです。

私たちは辛いこと、悲しいことがあると、藁にもすがる思いで神社や仏閣に行って、「助けてください」とお願い事をしたり、大金をはたいて、力がある人に頼ったりします。

本当に苦しいときに、その境遇から救い上げて欲しくて「助けて、助けて、助けて」と言うのは私たち弱い人間にとって、当たり前のことかもしれません。

ですがそれを言われた神様や仏様はどんなお気持ちになるでしょうか?

神様は、大変に愛深く、慈悲深い方ですので、もちろん助けてあげたくなるでしょう。

今すぐにでも、その窮地から救い出し、安心できる場所へ置いてあげたいと思うでしょう。

ですが、大事なことなのですが、例え神様が救ってあげたいと思っても、

私たちの心に、その準備ができていなければ神様もどうして上げることもできません。

ではまず、皆さんご存知の「三尺三寸の箸」のお話をご覧ください。

<引用開始> 引用元

むかし、ある男がえんま大王様に会いに行き、天国と地獄というのは、どういう世界なのかを聞きました。すると、えんま大王様は、男に、天国のようすと地獄のようすを それぞれ見せてくれました。

まず地獄では、ちょうど食事の時間だったので、人々が、ながーい箸を持って大きい鍋の前に集まっていました。

この地獄では、ながーい箸で食事をしなければならない決まりなのです。

地獄では、お腹を空かせた人たちが我先にとテーブルに着き、

1メートルもある長い箸を使って、なべの中のごちそうをとって食べようとするのですが、

あまりにながーいので、どうしても自分の口にごちそうがとどきません。

腕をいっぱいに伸ばして口に食べ物を運ぼうとすると、

隣の人とぶつかってせっかく掴んだ食べ物を落としてしまうのです。

それでみんな、何も食べられずおなかをすかせ、やせこけています。

思うように食べ物を口にできない人たちは、さらに苛立ってきて、「お前が隣にいて俺の食事の邪魔をするから食べられないんだ・・・」「お前こそ俺の邪魔をしているぞ」

さらに、他の人の食べ物を横取(よこど)りしようとして、とうとう喧嘩です。

手にしている長い箸は、やがて相手を叩く道具に変わり、

そうこうしている間に食事の時間が終わってしまいます。

えんま様は、次に天国を見せてくれました。

天国も食事の時間でしたので、人々は地獄と同じ、

ながーい箸をもって、地獄と同じ、大きい鍋の前に集まっていました。

天国でも、ながーい箸で食事をしなければならない決まりなのです。

天国の人々は、おだやかな顔をして楽しそうにごちそうを食べていました。

長い箸で食べ物を掴むとそれを自分の口ではなくて、

向かい合って座っている人の口へ運んでいるのです。

「美味しいですね。今度は私があなたに食べさせてあげます。どれがよいか言ってください。」

長い箸で食べ物を挟むと、自分の前に座っている人の口へ運んでいます。

相手も、その長い箸で食べ物を挟んでは、自分の前の人の口へ運びます。

長い箸は自分のために使うのではなく、相手のために使っていました。

こうして、ながーい箸で、おたがいに仲良く、他の人とごちそうを分けあっているので、

みんなが感謝の気持ちで、いつも笑顔が絶えず、食事も十分、お腹いっぱいです。

えんま大王様は、地獄にいる人々は 自分のことばかり考えているために、

いつまでもけんかをして何も食べられないのだ。

天国の人々は いつもニコニコ笑顔で、仲良くお腹いっぱいなんだ。と教えてくれました。

自分の心の持ちようでこの長い箸は、

相手に対する思いやりの道具にもなれば、痛めつける道具にもなるのですね。

<引用終了>

このお話の「心の大切さ」は、ブッダのお話にも、イエスのお話(黄金律)にも、

そして不動明王の「奴僕(ぬぼく)の行(ぎょう)」でもその大切さが言われています。

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に出てくるカンダタが、もう少しで地獄から天国に上がれるところで再び地獄に落ちてしまったのか?

せっかくブッダ(神さま)が手を差し伸べてくださったのに自分の心が変われず、

・自分さえ良ければよい

・自分さえ助かればよい

・人など、どうなっても良い

という心のままでいたからです。

このことは、死後も覚えていたほうが良いと思うのですが・・・

自分の心さえ変われば、

例え地獄の底に居ようと、一瞬で光が差し込み私たちは天の国に助け出されます。

心が変わるとは、

・自分さえ良ければよい

・自分さえ助かればよい

そんな心から、

・周りの人たちに対する思いやり

・いろんな人、神々からの援助で今の自分があることへの感謝の心

そんな気持ちに切り替える必要があります。

藁にもすがる思いで神社や仏閣に行って、「助けてください」とお願い事をしても、

神々は、助けることができません。

全ては、私たち自身が、自分の心を変えるところから始まります。

自分の事ばかり考えていると、心をむしばみ、神様から離れてしまいます。

自分の悩み、苦しみは、少し脇へ置いておき、自分の周り、半径3mの人のことをいつも考え、どうしたら喜ぶか、笑顔になるか、考えていると、自分の心が神さまの道に進み、自分も相手も、みんなが笑顔で幸せになります。

そして、いつの間にか、自分の悩み苦しみを消えてしまいます。