2558「死はすぐそこに」2021.12.26 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年12月20日の記事を紹介します。

「死はすぐそこに」

ここ数年、地球の波動が上がっているためか、

・覚醒した・・という方

・地球に来た目的を思い出した方

が急激に増えているようです。

出来れば、その思い出した英知を自分のためだけではなく、

人々の幸せのために使っていただけたら、世の中は、もっと幸せになれるかもしれません。

2,500年前の梵天勧請(ぼんてんかんじょう)と同じです。

2,500年前、ブッダが悟りを開いた時

自分が覚った真理を説いても、欲望に支配された人々は理解できないだろうと、

一人安楽な悟りの世界に安住してしまおうと、ブッダが思っていた時、

梵天(ブラフマン)が現れて、人々の幸せのために、悟った法を説くよう要請しました。

この梵天の要請を「梵天勧請」といいます。

さて今日は、27歳でガンで亡くなった若い女性の手紙をご紹介します。

死が目前に迫った時、私たちは何を思うのか?

死は、私たちに平等に必ずやってきます。そしてそれはいつ来るのか誰にも分かりません。

健康で、朝「行ってきます」と笑顔で出かけた人が、突然帰らぬ人となるかもしれません。

では、ご紹介します。

<転載開始> 転載元 

26歳という若さで、死と向き合い始めるというのは、少し珍しいことかもしれません。

多くの人はこのことに目を背けて生きているからです。

毎日は、当たり前のように過ぎていきます。まるでそれがずっと続くかのように。

私もいつか歳を重ね、シワができ、白髪になることを想像していました。

たくさんの子どもに囲まれ、愛に溢れた家庭を築くことをいつも考えていました。

でも人生は儚く、貴重で、予想できないものです。

毎日を生きることは、与えられた権利ではなく、贈り物なのです。

私は27歳です。

まだこの人生を終わらせたくない。私は今とても幸せだからです。

でも、もう私にはコントロールすることはできません。

私はただみんなに、些細なことを、あまり心配しないで欲しいのです。

そして覚えておいて下さい。

最後にはみんな同じ運命が待っているということを。

だからあなたの時間を、価値のある素晴らしいと感じることに使って欲しいのです。

嫌だと思うことはしなくていいのです。些細なことには寛大な心でいてください。

もちろんイライラすることはあると思いますが、ずっと引きずらないでください。

そのようなことで、周り人々の人生に、悪い影響を与えないようにしてください。イライラしてしまう時は外に出て深呼吸をして、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んで下さい。

そして空の青さを、木々の緑を見てください。それはとても美しいものです。

考えてみてください。呼吸ができること、その素晴らしさを。

もしかしたら今日、渋滞につかまってしまったかもしれませんね。

あなたの愛おしい赤ちゃんが泣きわめくせいで、よく眠れなかったかもしれません。

美容師があなたの髪を短く切りすぎたかもしれないし、変えたばかりのネイルが欠けていたかもしれません。

自分の容姿が気に入らない人もいるかもしれません。

でもそれらのことは些細なことです。

あなたが人生の終わりを迎える時、そんなことは考えないでしょう。

人生全体で見れば、それらのことは本当にどうでもいいことです。

私の身体は日を追うごとに、どんどん痩せ細っていきますが、

私の願いは、

・もう一度だけ、家族と誕生日を過ごしたい

・もう一度だけ、クリスマスを迎えたい

・もう一度だけ、パートナーと過ごしたい

それだけです。

たったもう一度だけでいいから。

仕事がどれだけ大変だったかなどの不満を訴える人がいますが、まずは身体が満足に動くことに感謝してください。

たとえ理想の体型でなかったとしても、健康でいられること、身体が機能すること、 それだけで素晴らしいことなのです。

食べ過ぎに注意して、適度に運動をし、新鮮な食事で十分な栄養を与えてください。

そして、お互いを助け合いましょう。

与えて、与えて、与えるのです。

他者に与えることで得られる幸せは、この上ないものです。

私ももっとそれをしたかった。

病気になってから、多くの人が私をサポートしてくれました。

とても返しきれるものではありません。そのことを私は一生忘れないでしょう。

あなたが死ぬときに、お金を持っていても なんの意味もありません。

自分の服を買う代わりに、誰かのためにそのお金を使いましょう。

あなたが同じ服を着ていても、誰も気にしません。

何より大切な人を食事に連れていったり、贈り物をすることは気持ちの良いことです。

その際に、大切に想っているという気持ちを伝えましょう。

自分のためにお金を使う際は、モノではなく経験に使いましょう。

ビーチに行って足を水につけ、つま先で砂を掘り、顔を海水につけてください。

自然を感じてください。

携帯の画面ばかり見るのではなく、ただその瞬間を楽しむようにしてください。

人生とは画面を通して生きることではないし、完璧な写真を撮ることでもありません。

大切な人との、血の通う時間を大切にしてください。

早起きをして、鳥のさえずりに耳をすまし、朝日の美しい色を眺めるのです。

音楽を聴いてください。音楽はセラピーです。

犬を抱きしめてください。携帯を置いて、友達と話をしましょう。

旅をしたいならしましょう。生きるために働いてください。働くために生きてはいけません。

心が幸せに感じることをしてください。ケーキだって食べていいのです。

何の罪悪感も要りません。やりたくないことには、やりたくないと言いましょう。

他の人が考える理想の人生にプレッシャーを感じなくても大丈夫です。

平凡な人生を望んでも全く構いません。

愛する人に、毎日愛を込めて、愛していると伝えましょう。そして覚えていてください。

もし何かが、あなたを不幸にさせたとしても、あなたにはそれを愛など他のパワーに変える力を持っています。

この地球であとどれくらい生きられるか分からないのだから、そのようなことで時間を無駄にしてはいけません。

多くの人が同じことを言っていますが、これ以上の真実はないと思います。

これは一人の若い女性からの人生のアドバイスです。

覚えていてくれても、忘れても構いません。それでは、また会う日まで。

<転載終了>

今目の前に居る人、配偶者、子供、家族、友人、彼らとも、いつか「さよなら」する時が来ます。この地球では、永遠に続く関係性は無いからです。

もしかしたら、何か些細なことで、わだかまりを持っているかもしれません。

ですが、死と言う別れを前にした時、そんな些細なことが、

・心を通い合わせること

・感謝すること

に何の支障があるでしょうか?

出会ってくれてありがとう。喜びも悲しみも、苦しみも、沢山の経験をありがとう。

そう伝えたくなるのではないでしょうか?

もう直接、肉体のあるその方に、伝えるチャンスは永遠にないのですから。

この亡くなった彼女の最後の願いは

・もう一度だけ、家族と誕生日を過ごしたい

・もう一度だけ、クリスマスを迎えたい

・もう一度だけ、パートナーと過ごしたい

でした。

これら全ての願いは、物ではありませんでした。

身を飾る、肩書、地位、名誉、プライドではありませんでした。

全てが、大切な人との、思いやり溢れる魂の交わり、経験を望んでいたのです。

別れは、突然にやってきます。

私たちの目の前の人たちは、私たちにとって一番大切な人々です。

ですから神さまの采配で、近くに置かれたのです。

いつ死が私たちを引き裂いても悔いのないように、どうか目の前の方を愛し、大切になさってください。

出会ってくれたことに感謝してください。

そのように心を合わせることのできた人とのご縁は、きっと死を超えて、永遠の絆となるからです。