致知出版社 一日一話 読めば心が熱くなる・・ 第二弾 4 「十歳で挑んだ般若心経」 

金澤 康子 初夏

 私は今となってみれば、翔子はダウン症でよかったんじゃないかと思います。この世に生まれてきてくれた。それだけで十分なのに、自分が望む子じゃなかったから苦しかったんだなって。

 実は翔子が生まれるとき、仮死状態で敗血症を起こしていたため、主人には病院側から交換輸血の必要性が説明されていました。「ダウン症を持って生まれた子だから、交換輸血してまで助けるのはどうだろうか」と言われたそうです。

 その時に主人は「主よ、あなたの挑戦を受けます」と言って翔子の命を助けた、その話を私の脇で能天気に話しているんですよね。私は殺してあげなくてはいけない、と思っているのに、どうして助けちゃったの?と思っていたんですが。

 それから三年ぐらいがたった時、主人は「僕が翔子を助けたことを、やっとありがとうと言える日が来たね」と言ってましたから、すべてわかっていたんでしょう。主人は翔子が十四歳の時に心臓発作で亡くなってしまいましたが、いまは「ありがとう」と言いたいです。

 翔子は当初、小学校の普通学級に入っていたんですが、四年生に上がる時、担任の先生から「もう預かれない」と言われたんです。それで私、またダーンと落ち込んだんですが、でも凄いと思うんですね、人生は

 というのは、その時に学校も休んだのであまりにも膨大な時間があるので、翔子に般若心経を書かせようと思ったんです。普通に考えれば絶対無理ですよね。大人でもなかなかうまく書けないのに、それを十歳の、しかも障がいの子に。でもやろうと決心して、毎晩私が罫線を引き、来る日も来る日も挑みました。

 それで私も自分の子だから、容赦なく叱り飛ばしてしまうんです。「なんでいまごろ、こんなこともできないの!」って。翔子は叱られることがとっても辛いわけですよ。

 翔子は決して親を悲しませたくないし、親が嫌がることは絶対に言わないんですね。だから本当に毎晩涙を流しながらだったんですが、遂に二百七十二文字の心経を十組(三千時くらい)を書き上げた後、翔子は畳に手をついて「ありがとうございました」と言ったんです。

 
翔子の場合は、すべてにおいてそうですね。誰が教えたわけでもないのに「ありがとう」って言う。例えば「暑い、寒い」も皆に心配をかけると思って言わないし、そういう感謝の念というか、人を喜ばせたい悲しませたくないという気持ちが人一倍強い、翔子には知的障がいがあって、名誉心や競争心がないから人をねたんだり、羨んだりすることもない。だから、その分心や魂が汚れていない。そういう翔子の姿を見ながら教えられたのは、愛情こそが人間の根本であり、本質なんだということでした。