再録 「竹のものがたり」 その7~熊沢蕃山の誓い

感慨に浸りながら。藤樹書院を辞去したあと、教えていただいた
中江家の墓を詣でました。

儒教式の墓には元来はっきりとした銘はなく、
ただお骨のある場所に、小山のように土を盛るのみ。
そして小さな墓標があるのみだったようです。
ですから最初はどれが誰のお墓かわからなかった。

60歳になった熊沢蕃山が藤樹のお墓に詣でます。

蕃山は藤樹書院で藤樹に学びながらも、基本的には
武士であり、藤樹のいう「処士」とは違う、
「中江先生のいう処士とは、現実世界からの逃避者だ、隠棲者だ」
と思っていた。老子のような人物なのだ。
しかしそういう考えの基本があくまで武士を優位に立たせようという
気持ちだということに、蕃山は気づかなかった。疑念も持たなかった。

ところが、蕃山が逃避者だと位置づけた処士の中江与右衛門が
今、「近江聖人」と呼ばれて、その影響がひたひたと琵琶湖の波のように、
各地に広がっているという。

小川村に近づいた時、蕃山は道脇の畑の中に、耕作中のひとりの
農夫を発見した。蕃山は立ち止まった。

「おたずねしたい」
「はい」
道に立って自分に声をかけてきた蕃山に、農夫はふりかえって
鍬の手を止めた。
「なんでございましょう」
「中江藤樹先生の御墓所をご存知か?」
これを聞くと農夫がピッと緊張した。姿勢をただし、
大きく頷いて、
「もちろん存じております」
といった。そして、
「お詣りでしたら、ご案内しましょうか?」
と聞いた。
「そうしてもらえればありがたい」
「かしこまりました」
畑の中から出てきた農夫は、蕃山の後にしたがって歩きながら、
「もうしわけございませんが、ちょっと寄り道をさせていただきます」
といった。蕃山は、
「けっこうだ」
と頷いた。農夫が寄ったのは自分の家だった。粗末な住居で、
草葺きの屋根だった。
「どうぞそこへおかけください。お茶でもさしあげましょう」
農夫は縁側を示した。蕃山は、縁側に腰かけた。
「こんな粗茶で申しわけございませんが」
農夫に言いつけられたのだろう、妻らしい女性が出てきて
茶碗を差し出した。
「かたじけない」
蕃山は礼をいって、茶をすすった。そしてあたりの光景を眺めた。やがて、
「お待たせいたしました」
そんな声がして、さっきの農夫が出てきた。見て蕃山は驚いた。
農夫は正装していた。蕃山は心の中で単純に、
(武士のわたしに礼をつくして、衣服を改めたのだ)と思った。
「ご案内します」
農夫に連れられて、蕃山は農夫の後から歩いていった。
「中江先生の御墓所は?」
と聞くと農夫は、
「玉林寺というお寺の門前でございます」
と答えた。玉林寺なら、蕃山も知っていた。

中略

「お武家さま」
先にたつ農夫が歩きながら語りかけた。
「なんだ」
聞くと農民は後ろを振り返って微妙な笑いを浮かべ
こんなことをいった。
「わたしは、かって物盗りでした」
「物盗り?」
「はい。年貢がきびしく、暮らしがどうにもたちゆかなくなった時、
同じような思いをしている仲間と語らって、すぐ先の山道で
旅人を襲おうと企てたことがありました」
「その気持ちはわかる」
蕃山が藩首脳部と意見が合わなくなり、ついに隠居して
隠栖するようになった原因も、
「民のための王道政治」
の実現に努力する蕃山と、
「大名家の権威と財政の確立」
を主張する藩上層部とのあいだに、大きな争いが生じたためだ。
蕃山はつねに貧困に苦しむ民の側に立った。これはいうまでもなく
師の中江与右衛門から教え込まれたものである。

「それでどうした」
「そんな企てを立てて、山道で待ち構えている時に、たまたま
提灯をさげたひとりの男の人が通りかかりました。
道にでたわたしたちは、前と後ろを囲むようにして、その男の人に
金を出せと迫りましたが、男の人は、金が欲しいのか、といって懐に
手を入れ財布を出しました。そのまま渡すかと思いましたが、
男の人はちょっと考え込みました。そしてこういいました。金は
たしかにある。渡すのもたやすい。しかし、おまえたちのおこないはまちがっている。
まちがったおこないにわたしは屈するわけにはいかない。
かってわたしも武士だった時期がある。多少の心得はある。
したがって、たとえおまえたち三人に負けても最後までたたかう。
勝負しよう。といって刀を抜かれました。
わたしたちは驚いて顔を見合わせました。こんな人物に会ったのは
はじめてだったからです。そこで、いったいおまえは何者だ、と
聞きました。男の人は、そこの小川村で塾を開いている
中江与右衛門だといわれました。わたしたちはびっくりしました。
馬方の又左衛門さんや、漁師の加兵衛さんたちから、中江先生の
ことは耳にタコができるほど聞いていたからです。
そこでわたしたちは深くおわびします。どうかお許しください、と
おわびしました」
「ほう、中江先生にそんなことがあったのか」
蕃山は微笑んだ。農夫もほほえみ返しながら大きく頷いた。
「財布はあるが、それを奪おうとするおまえたちのおこないは
まちがっている。そのまちがったおこないをそのまま許す
わけにはいかない。刀を抜いて勝負するからかかってこい、
といわれたときの先生のお姿には、まったくおどろきました。
中江先生が立派な方だということはうわさに聞いていましたが、
それを目のあたりにしたのです。翌日わたしたち三人は、
さっそく先生のところにおわびに行って、お弟子さんに
していただきました」
「そうか、それはいい話だな」
蕃山は初めて与右衛門の存在を知ったのも、馬方又左衛門の
美談を宿で聞いたのがきっかけだったことを思い出した。

思い出のある玉林寺の入り口左側に、与右衛門の墓が柵で
囲まれて立っていた。農夫は小走りに策に近づくと、
道にきちんと正座して、ていねいに墓標に頭をさげた。
思わず蕃山もつられた。蕃山も道の上に正座し、ていねいに手を
合わせた。

蕃山の胸の中に言いようのない感動が渦を巻いていた。
その感動を湧かせた直接のきっかけは、いま脇で道の上に
正座し、心から敬虔の念を表して中江与右衛門の墓に手を
合わせている農夫の言行だった。

(先生、わたしも死んで生きる一粒の種子になります)

蕃山はそう誓った

熊沢蕃山はこの夜、今までに感じたことのない幸福感に満たされた。