再録 致知出版社の「一日一話 読めば心が熱くなる・・」 その4~自分の仕事に命を懸けなさい

「自分の仕事に命を懸けなさい」

加藤 彰彦 沖縄大学人文学部 福祉文化学科教授

 私は取るものも取りあえず、森信三先生の
ご自宅に駆けつけました。当時私は二十九歳、
先生は七十歳に近かったと思います。
先生は私を部屋へ招き入れると、
「さあ、こちらへ!!」と言って、私を
上座へ座らせました。その一連の動作から、
先生の「出会い」に対する気迫を感じ、
ただただ圧倒されるばかりでした。

 その後、何度もお会いするようになりましたが、
先生はいつも毅然としていて、孤高の人でした。
別れ際は「未練が残りますから、きょうはここで。
じゃ」と言って、決して振り返らずに歩いていかれる。
おそらく、すべてにおいて未練を断ち切って生きて
来られたのでしょう。厳しい生き方を貫いてこられた
背中を見送っていると、駆け寄って抱きしめたく
なることもありました。
 
 その後、私は中学時代の恩師の勧めで、
横浜の寿町にある生活相談所の職員に
なりました。横浜の寿町といえば、有名なドヤ街です。
生活相談所の職員とはいっても、結局あらゆる相談に
応じました。小学校もろくに通えなかった人も
たくさんいて、勉強がしたいという彼らの要望に
応え、私は無認可の夜間学校をつくって
教壇に立ちました。本当に昼も夜もない忙しさでした。

 森先生はいつも私を気にかけて下さり、
「あなたの仕事を見てみたい」とおっしゃって
いました。ある日、関東での会合の帰りに
足をのばしてくださって、本当のドヤ街に
会いに来られたのです。
 
 ひとしきり相談所での仕事ぶりをご覧いただいた
後は、三畳一間の私の部屋にお泊りになりました。
教育のこと、仕事のこと、このドヤ街の事情、
森先生は一晩中私の話に耳を傾けてくださいました。

 そして、もう明け方が近づいた頃でした。
最後に私は当時一番悩んでいたことを打ち明けました。
それは恋愛のことでした。

 ドヤ街での仕事ははっきり言ってきついものがあり、
自分は家庭など持てないと思っていました。
生涯独りで生きていくつもりでしたが、熱心に
言ってくださる方が現れ、悩んでいたのです。
話し終えると、先生は声高らかに笑って、
「これはご縁があるかどうかですね」と言いました。

 「あなたは自分の仕事に命を懸けなさい。
そうすれば必ず一緒に行く人は現れます。
相手のことを考え、振り回される人生なら、
あなたはきっと途中で燃え尽きるでしょう」

そう言って、また笑いました。

 私はスッキリして、ドヤ街に骨を埋める
覚悟で働くことを決意しました。すると
不思議なことに、いまの妻が手伝いに
来てくれるようになったのです。

 私はあの日の朝焼けの空と、先生の澄んだ
笑い声をいつまでも忘れることはできません。
現在は大学で児童福祉学を教える立場に
なりましたが、いつも耳の奥で「自分の仕事に
命を懸けなさい」という森先生の声が響いています。+