2955「私は生きると決めた」2023.1.28 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年01月21日の記事を紹介します。

「私は生きると決めた」

・レインボーチルドレンの子供たち、

・高度に進化した星から直接転生してきた子供たち、

・中間世記憶(天国や神様の記憶)を持つ子供たち、

・そして宇宙存在、バシャールなどの言うことに、

一つの共通点があります。

それは、この世の中の出来事には、良いも悪いもない

全ては、自分の計画した通りの出来事が起きてるだけ、

自分自身で、OKを出した出来事しか起こらない・・ と言うことです。

つまり、

・重い心身の病気の運命を持って生まれてくる子供も

・陰湿な意地悪をする友人も

・極端な場合、殺されるような人生も

全ては計画通りの出来事、全ての目的は、その経験をしてみたかったから、

その経験を通じ、魂を磨きたかったから・・

なのだそうです。

返って、「悪いこと」とみなされるようなことを担ってくれる人、そのような役を引き受けてくれる人こそ、魂的には、本当は偉大で、光り輝く存在のようです。

さて、そのような大前提のもと

今日は、シスター鈴木秀子さんの「死にゆく者からの言葉」よりご紹介します。

この中に、障害を持ったお子さんのお話があります。

<転載開始> 転載元 

一人の女性が泣いているのが目につきました。

私はそのとき、壇上にいて、「命の大切さ」という市民大学の講演を行っていました。

その女性は、身なりも顔立ちも派手な印象でした。

しかし、だれ一人として泣いてなどいないなか、彼女はハンカチひとつ使おうとせず、

涙をあとからあとからこぼしつづけています。

そして私の顔をジーッと見つめたまま、身動きもせず、話に聞き入っています。

前から三番目に座っている彼女の姿は、否が応でも目に入ってきます。

「きっと思い当たることもあるのだろう」私は、そう思いながらも講演をつづけました。

(中略)

今日の話を聞けてほんとうによかった、と彼女はつづけました。

そして涙がこぼれたわけを、こう語りました。

「実を申しますと、私の体のなかは洞窟も同じなのです。

これまで八回、大手術をしました。

子宮ガンから始まり、胃ガン、腸ガン・・・・・、

転移して次々と大手術を繰り返したのです。

こんなカラッポの体でね、どうして生きているのか

お医者様からも不思議でたまらないと言われています。

ともかく体のなかには何もないんですから。

ではなぜ、私がこうして元気で生きていられるかと申しますと、

実は私には精神障害の息子がいるからなんです」

彼女は、その子が生まれてまもなく夫と離婚したのです。

寝たきりのその息子は現在二十歳ですが、幼児程度の会話しかできません。

彼女を必要としている息子のため、彼女は一度目の手術以来、医師にも周囲からも見放されながらも、手術しては生き返り、また次の手術をしては生き返り、ついには働けるまでになりました。

「勤めを終えて家に帰りますとね、息子は布団のなかからじっと私を見つめ、子供のように顔をほころばせて、それは嬉しそうに手足をバタバタさせて喜ぶんです。

私も元気とはいうものの、大手術を重ねましたから、お天気が悪かったり、重いものを持ったりすると体が動かなくなることもあります。

でも息子の、ほんとうに喜びを満面にした顔をみると、一日の苦労が吹っ飛ぶんです。

これまで死ぬほどの重病にとりつかれましたけど、

『この子を残しては死ねない』この一心で生きつづけてきました。

そして、『あの子が家で待っている、私を待っている。

私が生きていなければ、あの子は生きていかれないんだ』って、それだけしか考えませんでした。

病気のことを考えている暇なんかなかったんです。

そして絶対に生きる。病気がどんなであろうと、お医者様が死ぬと言おうと、私は『生きる』と決めたんです。

子供が生きている限り、私は生きるんだって。

これが、病気になっても、病気とは関係なく生きつづけられる原因なんです」

いつでもニコニコと迎えてくれる子供の顔を見るたび彼女は、

「生きていてほんとうによかった」と思うのだと言います。

そして、「お話を聞いていて、幸・不幸というものは、

世間一般に考えられているようなことではないんじゃないかと改めて思いました。

このような息子を持つ、ボロボロの体の私でも、こうして幸せを感じることができるんですから」

私は講演のなかで、幸・不幸というものは

客観的にはかり知ることはできないのだ、

また、苦しみの極みを積極的に受けとめ、生きぬくとき、苦しみは、

生きる深いよろこびをもたらしてくれる、と話したのでした。

私の知人の家では、五人の子供に恵まれたものの、五番目の息子は身体障害者でした。

しかも、知能の遅れもともなっています。

世間的にみればさぞかし大変であろうと思われがちなのですが、真一君というその子のおかげで、家族中が大変な仲良しでした。

というのも彼らは、「ただいま」の次に必ず、「真ちゃんどうしてる?」と声をかけ、そしてその部屋に入るなり、「今日ね、こんないい話があったんだよ」と報告するのを日課としていたのでした。

ちょうど花束を持って帰るように、家族の一人ひとりが、いい話を必ず一個ずつ持ち寄ったのです。

その子は残念ながら、それらの話を十分には理解できません。

しかしわからないながらもニコニコと、まるですべてを理解しているかのようにほほえんで聞いていました。

そのためその子の父親も母親もきょうだいたちも、今日はあの子に何を話そうかと、

まるで花を摘むようにいい話を探さずにはいられないのです。

そうすると厭なことに気を取られなくなり、長年のうちにそれぞれが、日常の平凡なことのなかから、毎日毎日宝物を探すようにいい話を探す習慣を身につけていきました。

家族中がその子を喜ばすことで結束し、仲のよい暮らしの中からいいものを見いだす目が育てられてきたのです。

「あの子はわが家の宝物。宝の花をひきつける存在です」

それは知人の自信にあふれる声でした。

中年の女性は、自分の家もまさにそういうことであったのだと語りました。

「私の息子もほんとうに、そのお子さんのような存在です。

そのお子さんが宝の花をひきつけるのなら、息子は命を湧きあがらせてくれる存在なのです。

ですから本来ならばとっくになくなっているはずの私の命も、

息子の喜ぶ顔を思い出すたびに、私の中で生命が湧きあがってくるのです」

息子は、生まれてすぐ、三年生きられればいいだろうと宣告されたのでした。

それがその年の一月十五日に二十歳を迎えることができました。

「その日、お赤飯を炊きましてね、ささやかでしたけど祝ってあげたんです。

そうしましたら息子が、私の顔をじっと見つめて、『お母さん、ありがとう』 って言ってくれたんです。

息子はただ、祝ってくれてありがとうっていうつもりだったんでしょうけど、私にはまるで、自分を成人まで育ててくれて、ほんとうにありがとうって言っていたように聞こえてなりませんでした」

彼女はしみじみつぶやきました。

「お礼を言うのは自分の方です。

本来なら死んでいるはずの自分を、あの子は無垢な笑顔を向けてくれることによって、

生命を湧きあがらせてくれます。

ほんとうにありがたいことです」

彼女は最後にしみじみとそう言いました。

その女性から便りが届いたのは、それからしばらくしてからのことでした。

あの息子さんが、亡くなったという知らせでした。

しかし、文面には、「私は幸せなことに、こうしてまだ生かされております。

あの子の笑顔が、しあわせに生きてゆくようにと呼びかけているのです」と書かれてありました。

私たちは、辛いこととか、いやなことが何ひとつなく、物事が自分の思い通りにいきさえすれば幸福であると考えがちです。

しかしもっと深い幸福があると思うのです。

辛いことや思い通りにいかないこと、そういった状況のなかにこそ、見る目がある人にとっては、通常ではみられない幸せというものが存在しているのではないかという気がします。

こういう話を聞く時や、医学的には考えられないのに、重い病状にもかかわらず元気で明るく生きている人達に接する時に、私は、ムスターカスの次の言葉を思い出します。

「もし悲しみがその人自身のものとして受け入れられ、

その人の存在の中核で感じとられるならば、

そのとき苦しみは他の人間や、

すべての生きるものへの情けへと成長する。

苦しみによって心が開かれ、

悲しみの中から

陽気さと歓喜の新しい感情が起こってくる」

<転載終了>

深い深い愛ですね。

一般の人から見たら一見不幸に見える状態であっても、その環境から磨かれる魂の輝きは、

計り知れないものがあります。

皆さんには、お子様はいらっしゃいますか?

いない方は、ご両親はご健在ですか?

私たち親は自分に子供が生まれた時、生まれたこの子が、幸せに生きられますように、

そう願いました。

そしてきっと、自分が先に天国に帰るときも、残されたこの子が、幸せに生きられますように、そう願うのだと思います。

親と子、深い愛の絆で結ばれていますね。

そして、そして、あなたの嫌いな誰かさんにも、このように思ってくださって親御さんが必ずいるはずです。

皆さんも、例え苦悩の中にあろうと、その中に神さまの光を見つけることができますように。