3013「神さまと繋がる人」2023.3.27 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年03月18日の記事を紹介します。

「神さまと繋がる人」

毎日ブログを書いていますが、主に

・悩んでいる方、

・苦しんでいる方、

・泣いている方

向けの記事が多いです。

記事を通じ苦しんでいらっしゃる方々が、ご自分の内に居らっしゃる神さまとの結びつきを強化し、本当のお幸せになってくれることを願って書いています。

それは、一番の大本、つまり内なる神さまと繋がることが一番効果的で、かつ永続性があると思うからです。

根本のことですから。

私たち存在する者は、目に見えるもの、見えないもの、これら全てが、元は源の神さまから発生しています。

ですから、生まれる前の記憶(中間世記憶)がある子どもたちが言うように、私たちが生まれてきた目的の一つに、魂の進化と言うのが、必ずあげられているのです。

魂の進化とは、要するに、最終的に源の神さまと一体化すると言うことです。

私たちが出て来た魂の大本へ戻ると言うことです。

これをチベットやヒマラヤの聖者の方々は、「キリストのヨーガ」と呼んでいます。

ですから、自分の中の神さまを信じると言うことは、その目的のための大きな一歩となります。

またもう一つ重要視しているのが・・・

ブッダとその僧団(サンガ)達の時空を越えた壮大な計画を、ブッダを信じる小さき者として、ハチドリのひとしずくかもしれませんが、何か協力できることはないかと思っているからです。

2,500年前にブッダが生まれ、人類の精神性は目覚ましく進歩しましたが、どうもブッダのグループは、生まれ変わりの最小公倍数である1.200年ごとに集まり、同時に地球に転生し、それぞれ別の切り口で人類を教化していらっしゃるようなのです。 

ブッダの生きた時代は、八正道を方法論にした自力、つまり自灯明・法灯明(じとうみょう、ほうとうみょう)でした。

この意味は人や神様に頼らず、自力で人生を切り開いて行くこと。

ブッダの教えてくれた法を頼りにすること。

これはブッダが亡くなる直前、従者アーナンダが人間、ブッダに縋りつく姿を見ての最後の教えでした。

ブッダや、神に頼らず、今まで長い年月掛けた「教え」そのもの。

「法」そのものを頼りに進め!! と言う事です。

そして、それから1200年後の空海の時代、ブッダを中心に再び集まったブッダ僧団の方法論は、今度は宇宙の根本法則である大日如来(神さま)の存在を人々に教えることでした。

そして、それから1200年。丁度今の時代です。

それは、空海時代のように偉大なる存在を自分の外に見つけることでなく、また再びブッダの時代と同じく、自力でありながらも、

偉大なる(神のような絶対的な宇宙の根本法則である神さまの)存在を、自分の内に見い出しなさいという、ブッダ、そして空海。

2つの時代の融合し、発展させたものではないかということです。

これが2500年の時の流れの中で、人間の魂を進化させるための、ブッダ達グループの壮大な計画ではないかと思うからです。

「神さまを信じる人は幸せになれる」と良く言われています。

神さまを信じる・・と言っても、何か宗教組織、団体に入信し、厳粛で宗教的な生活を送らなくても良いと思うのです。

ただ、神仏に対して、敬虔に敬う信仰心を持つだけでも大丈夫です。

この宇宙は見えている世界だけでなく、その何万倍もの見えない世界があり、成り立っていると言われています。

現に人間の見える光の波長も、ほんの小さな範囲でしかありません。

動物や昆虫は、もっと広い範囲を見ています。

音も同じです。

人間は小さな可聴範囲の音しか聞こえません。

私たちが認識している世界よりもはるか巨大な世界が存在し、それら全てと私たちは繋がっています。

もし神さまの存在を信じていなければ、生きて行く上で遭遇する色んな出来事 例えば

・生まれる

・人との出会い・別れ

・結婚、子供、家族・不仲・登校拒否・いじめ

・就職、会社でのいじめ、嫌がらせ、パワハラ、セクハラ

・ケガ・病気・事故

・貧乏な時期、裕福な時期

・幸せな時期、苦汁をなめる時期

・ケンカする時、仲良くする時

・怒る、イライラするキッカケ、タイミング

・死ぬ時

などが全て偶然に発生しており、これらに全部自分一人の力や知恵だけで対処しなければならない・・

そういった非常に困難で、孤独な立場に置かれます。

その結果、未来に対する不安でいっぱいとなり、うつ状態となってしまいます。

そして、そうならないために、それを打ち消すために、常に何かに追われるように必死に努力し、

・人より上の立場に立とう、

・お金を儲けよう、

・損することは絶対にしない、

それを家族にも強制する・・

など非常に精神的に不安定で殺伐としており、生きていても楽しくもないし、追い込まれた、あせりの状態に置かれてしまいます。

これが年間自殺者10万人を超えると言われる日本の現実です。

15~39歳の死因で、自殺がガンや事故などを上回り、死因の1位となっている現実を生みだしています。

さてここで、小林正観さんの「なぜ、神さまを信じる人は幸せなのか?」からご紹介します。

<引用開始> 引用元 

「正観さんのお話を聞いて、1週間ぐらいは調子がいいんですが、すぐ忘れてしまいます。

ずっと忘れないようにするには、どうしたらいいでしょうか」

という質問がよくあるのですが、忘れないためには、どうすればいいか。

それは《実践をし続ける》ことなのですね。

「いい話だったなあー」で終わってしまうと、3日後ぐらいには忘れていますけど、 毎日、「ありがとう」を言い続けたり、トイレ掃除をし続けたりすることで、目の前にいろいろな奇跡や思いがけない嬉しい現象が起きてきます。

自分も元気になるし、仕事も人間関係もスムーズに流れ出しますので、実践するのが楽しくなるのですね。

話の内容を忘れないためには「忘れないぞ」と気合を入れるのではなく、実践をし続けることですね。

すると、面白い現象があまりに頻繁に出てくるので、引き続きやりたくてしょうがなくなります。

私の中には「やらなければならない」というのはまったくなくて、「ありがとう」を言うのも、トイレ掃除をするのも全部損得勘定ですから。 損得勘定でやると続くのです。

どんなに下心があって、野心があったとしても、実際にそれをやった人を《実践者》と言います。

例えば、電車に乗っていて、おばあさんが乗ってきた。

ある男は、おばあさんに席を譲ってあげたいと思った。

自分の中では、人によく思われたいとか、評価されたいとかはまったくないけれど、人の目が気になって、席を譲ると恥ずかしい気がして譲らなかった。

それに対して、もう一人の男は、おばあさんが乗ってきたとき、目の前にきれいな女の人がいたので、この女性によく思われたいと思って、邪心と野心の塊で席を譲ったとしましょう。

さて、邪心の塊で席を譲った男と、すごく美しい心で席を立てなかった男と、どちらを神さまが喜んでいるだろうか。

多分、席を立った男のほうに微笑(ほほえ)みかけているのではないかと思うのです。

動機はどうであれ、席を譲った瞬間に、宇宙に一つ《喜ばれること》が生まれたのですから。

邪心や下心が全く無い人というのは、神の領域ですから、肉体を与えらえてはいません。

人間としては卒業してしまっている。

肉体を持っているということは、人間としての様々な体験をまだしたいということですから、損得勘定でやっていくことは、とても自然なことだと思います。

100%美しい心でやっていこうと考えなくてもいいですから

「究極の損得勘定ができる人、究極の欲深い人になってください」と伝えています。

宇宙構造を40年研究してきて、損得勘定でないものは、どうもないようです。

どのような分野でも、人に喜ばれるような生き方というのは、すべて自分にとっての損得勘定で言えば“得”になっています。

人に喜ばれることをして、自分が圧倒的に損だ、ということはないのです。

さらに言えば、みんながいやがってしたくないようなことは、一単位あたりの“得”の密度が高いみたいです。

トイレ掃除は、その最たるものです。

そういうことを実践している人が何かを始めようとすると、あっという間に支援がきます。

それは、その人が望みを実現させようとか、目標に到達しようとがんばっているわけではなくて、ただ毎日“徳”を積んでいるだけなのです。

まさに、人徳の“徳”とは、損得の“得”なのです。

心の中で、どんなに善きことを考えていたとしても、それが実行に移されなかったら、それはないのと同じ。

「ありがとう」という感謝の言葉も、「笑顔」も、「気くばり」も、「優しい言葉」も、「席をゆずること」も、心で思っているだけなら、ただの絵に描いたモチにすぎない。

どんなに強烈に願おうと、深く想おうと、それは同じこと。

たとえば、喫茶店で注文するとき、どんなに強く心の中で「紅茶が飲みたい」と願ったとしても、「コーヒーください」とひとこと言ったらコーヒーが出てくる。

神さまも同じで、心の中がどうであれ、現象として現れた「言葉」なり「行動」を評価するという。

よき実践者をめざしたい。

<引用終了>

神さまを信じるとは、宗教組織に入ることではありません。

ただ私達の心の中に居らっしゃる神さまを信じるだけです。

神様の存在を信じて、考えたり行動すると、正観さんの仰るように、精神が安定するだけでなく、自然界からの応援が得られて、活き活きとした人生を送れます。

そして家族も幸せになることが出来るのではないかと思います。

また神さまを信じれる人は、中間世の記憶を持って生まれて来た子供たちが言うように、

私たちは生まれる前に、神さまと一緒に、どのような人生を送るか計画を立て、

・人の役に立つため

・魂の進化をするため

にこの地球に生まれて来たことを信じることができるでしょう。

私たちは神さまと共に、生まれる前に、生きている間に起こる全ての出来事を決めてきました。

ですから、何が起ころうと、神さまの名のもとに、絶対に大丈夫なようにできています。

私たちが人生において選択する全てのことは、私たちが、そのどちらを選ぼうと、結果的に生まれる前に決めて来た通りを選択するようになっています。

ですから、どちらを選ぼうと、どちらに転んでも大丈夫なようにできています。

これほどの救いの事実があるでしょうか?

この真実は神さまを信じる方が得ることのできる、大きな安心と、生きて行くための躍動感、優しさ、愛のエネルギー源となります。

私たちは、自分の期待していた状況と、現実が異なってくれば、

「あぁ、もうだめだ」

「あの時、あんな選択をしなければよかった」

そう思いがちですが、神さまは、その苦労の先(後に)に、私たちを生かしてくれる道を

既に準備してくださっていたのです。

皆様が内に居らっしゃる神さまと繋がり、お幸せになられますように。