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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2023年11月08日の記事を紹介します。
「当たり前の中の幸せ」
今日は「当たり前の中の幸せ」と言うことで前ノートルダム清心女子大学の学長だった
渡辺和子さんの、卒業式でのお話をご紹介します。
あれも欲しい、これも欲しい。
あれがないと幸せになれない・・・と
足ることを知らなければ、どんなに恵まれた環境に置かれようと、
感謝の心をはぐくむことはできないでしょう。
<引用開始> 引用元
今日は、今から数年前、同じこの日、同じこの記念館を巣立っていった
一人の卒業生の言葉を皆さんへのはなむけの言葉にしたいと思います。
その人は、在学中、健康そのものの人でした。
それが卒業後まもなく、病気になって入院し、非常に苦しみ悩んだのですけれども、
やがて快方に向かった折に、一通の手紙を書いてくれました。
その中に、こう書いてあったのです。
「ようやく外出許可がいただけました。
久しぶりに地面を踏んだ時は感激でした。
今の私には、当たり前が輝いてみえます」
この手紙を読んで、私は、病気がよくなったことが嬉しかったとともに、
病気という十字架が、この人を、ここまで成長させて、この言葉を書かせたことを、
たいへん嬉しく思いました。
当たり前が輝いてみえる、そして、この人から、幸せの秘訣を教えてもらったように思ったのです。
私たち一人ひとりは、幸せになりたいと願っています。
今日、ここに集まってくださった方たちは、あなた方一人ひとりが、一生の間、幸せに生きてほしいと、願っていてくださいます。
幸せの条件には、いろいろあって、人それぞれに違うかも知れません。
ですけれども、共通して言えることは、自分が愛するもの、価値あるものに取り囲まれて、
心が満たされている状態といっていいでしょう。
ですから、幸せを願う人たちは、
・たやすく愛せる人を探し、
・やりがいのある仕事を求め、
・そして、すてきなもの、
・すばらしいもので、
自分のまわりを囲みたいと願っています。
今日の日本は、この種の幸せをあおるかのように、そして、それを満たすに十分な、
物質的な豊かさと、過激といっていいほどの刺激と情報に溢れています。
お金さえ出せば、欲しい物がほとんどすべて手に入る世の中です。
では、それらを手に入れた人たちがみんな幸せなのかというと、必ずしもそうではありません。
なぜでしょう。
星の王子さまが答えを出しています。
「地球上のみんなは、特急列車に乗り込むけど、いまではもう、なにを探しているのか、
わからなくなっている。
だからみんなは そわそわしたり、どうどうめぐりなんかしてるんだよ…」
「おなじ一つの庭で、バラの花を五千もつくっているけど、自分たちがなにが欲しいのか、
わらからずにいるんだ」。
そして続けていうんです。
「だけど、探しているものは、たった一つのバラの花のなかにだって、少しの水にだって、あるんだがなあ…」
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。
かんじんなことは、目に見えないんだよ」
今から約千三百年まえにつくられた日本の一番古い歌集『万葉集』の中に、
一つの歌が収められています。
信濃(しなの)なる千曲(ちくま)の川のさざれ石も 君し踏みてば玉と拾はむ
たぶん、うら若い一人の乙女が、自分の愛する人、夫、恋人を送り出した後、
“その人が踏んだ石だと思えば、私には玉と思えるのです”とうたった一首です。
なにが、この当たり前の、どこにでもある石を、輝く玉に変えたのか、それはこの乙女の心に宿る愛する心、いとおしむ気持ちだったろうと思います。
この人は何カラットかするダイヤモンドでなくても、愛する人が踏みしめたその石を、
玉と抱いて幸せな人です。
そして、私たちは、幸せの原点というものを、ここに見ることができます。
<引用終了>
今日の日本は、
・物質的で、派手な物
・目立つ物
・過激な物
を、如何にも魅力的なものと錯覚させ、お金さえあれば手にすることができる。
・お金を稼げ
・お金が全て
・お金さえあれば、何でもできる
・人がうらやんでくれる
そんなことを、煽っているように見えます。
その宣伝、戦略に多くの人が乗せられ、それが本当の幸せと錯覚し、
・今だけ
・金だけ
・自分だけ
そんな心になってしまっているのかもしれません。
お金が無ければ不安になり、執着し、何かに必死に頼ろうとします。
でも、執着すればするほど、追い求めれば、求めるほど、それは、どんどん遠ざかって行きます。
そして心は疲れ、諦めと、厭世観(えんせかん)にさいなまされ、いつかは、純粋だったを
曇らせてしまうことでしょう。
元々、私たちの幸せとは、何処にあったのでしょうか?
どこか遠くにあったのでしょうか?
お金や、物、地位や名誉にあったのでしょうか?
それを手に入れたら、幸せになれるのでしょうか?
もしかしたら、私たちの幸せは元々、私たちの心の中にあって、それに私たちが気付いてくれるのをずっと待っていたのかもしれないですね。
大切な物は、見えない・・
それが、本当のことかもしれません。