3255「青空ひろば」2023.11.24 自分で自分を自分するから

https://tenmei999.blogspot.com/2023/11/325520231124.html
 
今回は立花大敬さんの「青空ひろば」から1106 2023.10.04から1133 2023.11.3の記事を紹介します。

1124 2023.10.22 ~ 1133 2023.11.3

中2の学年通信の巻頭言として書いた文章です。

「内側と外側」 中学教頭 立花純二

意識の上昇は意識の拡大を伴います。

故に、人は人として向上すればするほど、自分の内側の領域が広がり、自分の外側のものが少なくなるのです。

生徒指導部長が始業式で言われたように、自分の周りに50cmのサークルを描いて、その内側にしか意識が届かないという人もいます。そんな人は残念なことには、意識レベルがとても低いと言わざるを得ません。

人は人として成長すればするほど、意識が届く(思いやれる)範囲が広くなります。

半径50cm の人は、自分以外の人やモノはすべて自分の外側に在ります。外側のモノですから、その人やモノの身になって共感したり、一体感を持つことは出来ません。だから、そんな危うげな、儚い自分(半径50 cm の孤立)を守るために、攻撃的になったり、防御壁を高く築いてその中に閉じこもったりするのです。

心理学者 ケン・ウィルバーは『我々の(人生)体験における戦い-葛藤、不安、苦しみ、苦悩-は、我々が勝手にでっち上げる諸々の(自他、内外を分ける)境界によって生み出されるものである』(『無境界』-自己成長のセラピー論、平河出版より)と述べています。

道元禅師は『自己、他己』というコトバをよく使われます。『自己』とは、『自分として現われた己(おのれ)』のことであり、『他己』とは、『他の人やモノとして現われている己(おのれ)』という意味です。

意識が向上し、同時に意識が届く領域がどんどん拡がっていくと、これまで、他者であったモノや人がどんどん自分の内側に入ってきます。身内の存在となってゆくのです。

意識の中心を上下自由に移動出来るようになるに従って、同時に水平方向にも移動可能となります。自然にモノの身となり、人の立場に立って共に悲しみ、一緒に汗を流せるようになるのです。

『ある会合があって、孔子も参加していました。その会議に参加するため、盲目の音楽家がやってきました。孔子は席を立って、その人のところに行って挨拶し、手を引いてその人を席まで案内しました。そして、着席の世話をされた後、「右隣に何々さんがいます。左隣は何々さん、向かいは何々さん・・・」という風に参加者全員の座席の位置を紹介してから、自らの席にもどられました』(論語の一節)

盲目の音楽家を見て、その音楽家の立場まで意識を移動して、その位置から感じられる不便に共感します。そして、今度は、自分自身に意識を戻して、その立場から、この音楽家の不便を少なくするために出来る一番適切な行動を選びとり実行したのです。

意識の水平移動可能とは、つまり、こういうことなのです。

自分がじぶんであり、人も実はじぶんだったと気づいた時、  

自分は限りなくじぶんでおればいい。そう知った今の深い安らぎ。(完)

1117 2023.10.15 ~ 1123 2023.10.22

中学教頭をしていた時、中学1年の学年通信の巻頭言に書いた「挨拶すること」という文章を順次掲載してゆきます。もう何回も紹介したもので『またか』と思われる方もあるでしょうが、生きる上で、とても重要な内容を含んでいると思うので、もう一度紹介させてください。

「挨拶すること」 中学教頭 立花純二

サッカー日本代表監督 岡田武史氏は母校早稲田大学での講演で、挨拶することの大切さを強調されて、その理由を『挨拶は、その挨拶する相手がこのチームに所属することを認めていますよ。決して存在を否定したり、所属を許していなかったりしていませんよ、という合図だから』と述べています。

つまり、「おはよう!」と呼びかけることは、『君という存在を認めています、尊敬しています』と、相手に宣言し、確認してもらう行為なのです。

ですから、「おはよう!」と挨拶しても「おはよう!」が返ってこなかった。だから腹を立てて、もうその人には挨拶しないというなら、挨拶を返さない人の負けです。

『僕は君という人間が僕の世界の中に存在する価値を認め、尊敬していますよ』という宣言が、ほんの些細なことで揺らいでしまうほど薄っぺらで、ウソのものであったことを暴露されてしまうからです。

世界は『因果(原因・結果)の博覧会だ』といった人がいました。

挨拶しょうとしても、どうしても出来ないという人だっているのです。

朝日新聞に養老孝司さんがエッセイを書いていました。養老さんは、「さよなら」という挨拶が出来なかったのです。だから、友達と別れるときは、何も言わずにそのまま行ってしまうのでした。自分でもそんな奇癖は分かっていて直そうとするのですが、どうしても「さよなら」が言えませんでした。

ある時、その原因が分かりました。養老さんは幼い時に、お父さんを亡くしたのですが、お父さんが亡くなった時、親戚の人にお父さんのところに連れて行かれて、「お父さんに最後の『さよなら』を言いなさい」と言われました。養老さんは、お父さんにもう二度と会えないという現実を認めたくなかった。だから、『さよなら』を言わず、泣きじゃくっていたのでした。そのことを思い出して、亡くなったお父さんに向かって、心の中で『お父さん、さようなら』と言えた時から、『さよなら』と挨拶出来るようになったのだそうです。

様々な原因結果の連鎖をたどってここに現われている無数の事情を持つ人々の群れ、「おはよう!」と呼びかけても、必ずしも返事が返ってくるとは限りません。

でも「おはよう!」と呼びかけ続けることは自分の意志と決断で出来ます。『僕は君という人間が存在する価値を認めていますよ』と宣言し続けることは出来るのです。

混沌として、また醜いこともある世界、そんな世界に対して、返事があってもなくても、ひたすら「おはよう!」と言い続けた人だけが、世界を大きく変革してきたのだ、という事を知っておいて下さい。

校長先生が入学説明会の時に「明るく、元気よく挨拶出来る少年になって下さい」とおっしゃいましたね。今回はその校長先生の言葉を敷衍して説明してみました。(完)   

1115 2023.10.13 ~ 1116 2023.10.14

神様によると、「ウ・イ・ヒ・ミ・コ」という順に、人類の特に日本人の魂の進化の段階は進むそうです。

「ウイ」とは、「はじめてのとか新生とかいう意味」、キラキラ生き生き輝くヒミコさんが誕生して、新しい世界を作り上げてゆくのですね。

「ウ」の段は、江戸末期から明治の初め。黒住さん、金光さん、天理さんが、新しい日本的霊性を復活させ、新生させる「生み出す」役割を果たされました。

「イ」の段は、明治から大正、昭和にかけて。大本教、谷口雅春先生、五井昌久先生。

「イ」の段は、「意」の段で、大本は「意地」で、谷口先生は「意成り」を五井先生は「意宣り(祈り)」を説かれました。大本が開いて、谷口先生が広めて、五井先生が未来につなぐという役割。五井先生のおかげで大敬は誕生できたのです。

「ヒ」の段は、昭和から平成、令和にかけて 小林正観さん、斉藤ひとりさん、そして立花大敬です。正観さんが開いて、ひとりさんが広めて、大敬が未来につなぐという役割ですね。

次に来る「ミ」の段は、僕たちは「ヒ」の理念、「ひとり・ひとつの理」を説いたので、それを地上世界の「実」にする、つまり現実化してゆく段階です。

その段階を担当する役者を育て、そろえるのが大敬の仕事なのです。

そして、最後に「コ」の段で、ここでは、神や他の人の光を反射して間接的に光るという「月」の時代がおわって、すべての人が「日御子(ひみこ)」となって、発光体となって自らの内側から輝くという時代が実現するわけですね。

これが私に神様が教えて下さった、「神の仕組み」です。

1114 2023.10.12

シャカもイエスも/蹴っ飛ばし/地位も名誉も/蹴飛ばして

オレはオレだと生きてゆけ

ウジウジするな、前をみよ/胸を張り張り、堂々進め

そうすりゃ不思議/やれ不思議

みんなぞろぞろ付いてくる/「待って、待って」と付いてくる

宇宙全部がゾロゾロと

1113 2023.10.11

どんな事がやってきても、それは自分の仏性が、さらなる進化向上のためにどうしても必要だと引き寄せて来たものなのだから、そこから眼を逸らさず、しっかり直面して、本腰で関わってゆくことにすれば、その「覚悟の今」にこそ悟りはあるのです。

1112 2023.10.10

お仕事に関しては職場に近い神社にお参りしてお願いします。家庭のお願いは、お家に近い神社の神様にお願いします。また、個人的にご縁があると感じる神様があれば、時々その神様を祀る神社にもお参りして下さい。 

1111 2023.10.09

「どっちの道を選んでも、神様に任せておけば、私はきっとしあわせになれるんだ」と信じて、覚悟を決めて思い切って選んだ道を進みましょう。「きっと良くなるんだ」と信じて選んだ道は、きっと最善・最適の道なのです。

1110 2023.10.08

呼吸は自然で無理がない楽な形でなさってください。坐禅の姿勢がどこかいびつになっていると、呼吸がスムースに出来ないということもあります。

1109 2023.10.07

できれば、月一度の大敬の坐禅会に、これからも参加して下さい。それだけでしあわせな人生が開けてくるはずですよ。

坐禅は、無理をされる必要はありません。現状でやれる形で行って下さればいいのです。

1108 2023.10.06

経済的な余力がおありでしたら、お墓はあったほうがいいです。そして、月参りやお盆などのお参りは欠かさないように、ご先祖とつながると運命がよくなるのです。

1107 2023.10.05

先祖や肉親に対する恨みや憎しみが無くなったというのは、素晴らしいこと、すごいことだと思いますよ。この調子で、自分を許し、人を許し、世界を許す、「ほどきの坐禅」を続けてください。あせらなくてもいいのです。きっともっと開放され、いのちが輝き出す日が来ると信じましょう。

1106 2023.10.04

「今・ココのありのままの自分」から離れたところに真我のようなものを求めても得られません。今・ココにいのちの重心がしっかり収まったとき、地上から天界まで通して、また過去から未来まで生き通して存在する「私」が見えてくるでしょう。

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2023年11月23日木曜日
3254「地球を救う大和心」2023.11.23
 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2023年11月10日の記事を紹介します。

「地球を救う大和心」

今 日本を中心に、神様の魂を持った子供たちや、宇宙から直接地球に転生してきた子供たちが沢山生まれていると言われています。

宇宙人の魂は死ぬと地球の天国にはいかず、そのまま故郷の星の肉体に戻るそうで、その時間は、地球時間でたった8時間ほど。

まさに寝て起きたようなものだとか。

麻で有名な縄文研究所の中山康直さんは、中学生時代、池で溺れ13分間意識不明に陥ったそうですが、その短い時間、プレアデス星団アルシオーネに転生し、1万年生き、麻を研究し、その死後再び、地球の中学生の体に戻ったそうです。

そのプレアデスでの1万年の人生が、地球ではたった13分間。

神さまが見える子供たちのお兄さんの方は、宇宙から直接、地球に転生した魂ですが、小学生ながら、その知能ははるかに高くマルチユニバース(並行宇宙)の知識までありました。

また科学技術のはるかに進んだ宇宙人にとって、神様は、友達のような存在とのこと。

レインボーチルドレンの小学生のそうた君も同じことを言っていました。

彼ら知的生命体にとっては、神さまや魂などは決してスピ的な話ではなく科学そのもの。

その科学の力で、魂そのものを見て、話しもします。(リーディング)

バシャールのように、科学的な知識で人間の肉体をサーチして、その過去を見たり、未来を見たりします。

決してそれは迷信的なスピのお話ではありません。

更に、天国や地獄と言った世界の知識も持っています。

この地球文明よりもはるかに進んだ科学的な知識を持つ宇宙人たち。

その彼らが憧れる星が、広い宇宙に2つだけあるそうです。

その1つが地球。

そしてその地球の中でもとりわけ日本なのだそうです。

それは日本が神々によって作られた特殊な国であり、

更にはありがとうと言う言霊があるからなのだそうです。

美しい心が残っているからなのだとか。

さて今日の本題です。

今この時こそ、今まで私たちが、密かに胸の内で期待して、多少不安ながらも待ち焦がれていたその時そのものなのですが、日々の暮らしの中においては、なかなか

・「何か、起きているな」と・・感じはしても

・「最近身の回りが、騒々しいな」と・・感じはしても

今この時が、その時まっただ中であるとは認識出来ないかもしれません。

世界的にも、そして、数百年規模の歴史の波の中においても大変化の時代に突入しています。

今日の続きが、また同じ明日ではありません。

今年の末までには、今起きているその大きな変化の意味を多くの人が気づくことでしょう。

もう後戻りはできません。

停滞もできません。

大きな変化の時には、今まで持っていた価値観を、私たち自身が変える必要があります。

「予行演習をさせられた日本」の記事でも書きましたが、既にこの時のために、そしてショックを和らげるために前もって沢山の方々が強制的に価値観を変えました。

・神戸、東北の大震災

・九州の地震

強制的ではありますが、そして涙と大きな痛みを伴いましたが、その時を境に、ご自身の中の価値観が大きく変わられたことと思います。

大正時代の日本を見たアインシュタインの感嘆の言葉や、ブッダの予言に在る通り、

世界的な大きな大きな変化、世界中が涙も涸れ果てるほどのいさかいの後

世界の希望は、日本人の心にある大和心(やまとごころ)に託されています。

私達平凡な一般人には、

・世界の果てまで行き、平和のために戦争に参加したり

・貧困にあえぐ多くの人々を救う

そんな大きな力はないかもしれません。

ですが、私たち自身の心を整えることはできます。

心を整えることで、身近な周りを幸せにすることができます。

ひいては地域や国、世界を幸せにすることができるかもしれません。

全ては、私たちの心ひとつから始まります。

では、言葉遊びではなく、綺麗な言葉を並び立てて終わるのではなく、実際に実践・行動できるように「私たちの心の何」が、大和心なのか?

書きたいと思います。

今この時こそ、私たち日本人の心が試されているからです。

どうしたらその心を取り戻せるのか?

大和心は、江戸時代の本居宣長の下記の短歌に端的に表されています。

敷島の やまと心を 人とはば

朝日に匂ふ 山さくら花

現代語訳は・・・

日本人である私の心とは、朝日に照り輝く山桜の美しさを知る、

その麗しさに感動する、そのような心です。

そして西洋の異人の人々でさえ、日本の山に咲く、山桜を見たら、

大和心に目覚めるであろう・・・

そう言っています。

このような心をはぐくむために、神々は、4つのプレートが重なる地域に日本列島を作り

そのプレートのせめぎあいで山や谷を作り、その高低差で川が流れ、美しい自然をはぐくんできました。

そして日本は島国であるがゆえに、外敵にさらされることなく、

・自然と共生する心

・自然を愛でる心

・自然や万物に感謝する心

・自然や万物、そして相手の中に神を見る心

を創られてきました。

全部神々が計画したいわゆる 共生と順応の美しき心です。

これに対し、厳しい自然環境の中で生きていかねばならない諸外国では

自分の力で苦難を乗り越えねばならず、征服というキーワードで生きてきました

・自然を征服する

・病気の原因を細かく分類分けし、征服する。除去する。

全てが対立という考え方からスタートします。

日本では環境に立ち向かうことなく、受け入れ、環境とともに生きてしまう。

そして順応し、自分を変えることで、自分が進化することで、環境の変化を乗り越えてきました。

日本人は、縄文の時代からずっとそれをやってきました。

ですから柳の木のように、しなやかで折れにくい強い心を持っています。

この強さを恐れ、破壊するために、根絶やしにするために戦後の統治政策が行われました。

日本人の底力、神と共にある力を恐れたからです。

アインシュタインが言った

科学の発達によって、外国はみんな武器を争って作って、お互いに戦争をやるだろう。

そして、最後に疲れ果てるだろう。

その時に本当の人生に目覚めるときが来るだろう。

それをするのが日本人である。

日本人の生き方というのは、人間の本当の生き方である。

そのような地球の未来が託された私たち日本人の大和心。

これを取り戻すには、日々の平凡な暮らしの中で、

身近な周りの人々と

・その違いを認め

・笑顔で助け合い

・おかげ様、お互い様の気持ちで

・憎しみの心

・不平不満の心

・嫉妬の心を捨て

感謝の心で過ごしていくだけです。

大それたこと、無理してくださいと言うことでは決してありません。

自分の心を整えるだけです。

その積み重ねが私たちの魂の中に眠っている大和心を揺り動かし、

深い悲しみの後の世界に平和と笑顔を広めてくれることでしょう。

この日本人の優れた特質について、今からちょうど100年前の1922年、芥川龍之介が

「神々の微笑み」で書いています。

あらすじをご紹介し、本日は終わりたいと思います。

<引用開始> 引用元

十六世紀頃の戦国時代、キリシタン布教の全盛期。

ある春の夕暮れ、京都の南蛮寺の庭で、宣教師オルガンティーノは言い知れぬ不安に襲われていた。

風景は美しく、気候も温和で、人もまあ親しみやすく、布教も進んでいる。

しかしこの国のいたるところに、不安をあおる何かが満ちている。

オルガンティーノは夕の祈祷にて、日本の神霊と戦うための加護をデウスに祈る。

が、彼の目の前には日本神話の天岩戸の場面が幻想として現れる。

オルガンティーノはそのあまりの衝撃に気絶してしまう。

深夜、意識を回復したオルガンティーノは「この国の霊と戦うのは困難らしい」と呟く。

すると「負けですよ!」と姿なき声が聞こえる。

翌日の夕も南蛮寺の庭を歩いていたオルガンティーノは、幾分か昨日の憂鬱を払しょくしているようだった。

数名の新たな入信者があったからだ。

しかし、そんな彼の前に、首に勾玉を下げた老人が現れる。

老人は日本太古の神の一人だと名乗り、オルガンティーノに語り始める。

この国にはデウスだけでなく、孔子、孟子、荘子などいろいろな考え方、物や文字が渡来してきたが、我々を征服することはできなかった。

たとえば、漢字はひらがなやカタカナに造り変えられ、逆に我々が征服しているともいえる。

我々の力とは破壊するものではなく、まさにこの造り変える力。

デウスもまたこの国に取り込まれるかもしれない。

お気をつけなさい。

デウスが勝つか天照が勝つか、

いまは容易に断定できず、それは現在、そして未来の日本人の肩にかかっている。

<引用終了>

※当時、産業革命をいち早く終えた西洋諸国による世界の植民地支配に先立ち、

宣教師たちが先遣隊として、世界に派遣されていました。