3451「青空ひろば」2024.6.7 自分で自分を自分するから

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今回は立花大敬さんの「ワンディー・メッセージ「青空ひろば」」から最新の内容を紹介します。

1304 2024.05.19  ~ 1317 2024.06.02

Q.神様はなぜ人を援助してくださるのでしょう?

A.

人が進化成長するためには、神の導きが必要です。また、神がさらに進化成長するためには、人の成長が必要なのです。

どういうことかというと、本当は、イノチはひとつしかなくて、神と人は別々の存在ではなくて一体のイノチなのです。だから、人の進化が遅れているということは、神にとっては、自分の成長が後れているということなのです。

だから、神自身がさらに進化成長するためには、人が成長することがどうしても必要なのだということになるのです。だから、神様は人を援助し、導かざるを得ないのです。

だから、神様は、私たちを援助したくてウズウズしておられます。神様は人に頼って欲しくてしょうがないのです。

<人が神を生む>ということがあります。

川手文治郎さんの事跡がその実例です。

「祟り神、疫病神」であった金神さまが、川手文治郎さんの実意丁寧な信仰によって「情に厚い、面倒見のよい、頼りになる神」に変身してしまいました。

<人が神を生む>というのは、日本独特の神観だと思います。

古事記では、人である「イザナギ・イザナミ」がまず「国土」を生み、次に神々を生みだした(「人」→「国土」→「神」)と書かれています。

つまり、日本という繊細で美しい「国土」は、日本民族という「人」の心が生み出したものなのです。

「いのち」とは「意の霊(ち)」です。

人の「意」が集まるところ、人の「意」が注がれるモノや場所に「いのち」が宿ります。

たとえば、ある方が心を込めて、敬いと感謝の「意」を注いで、丁寧に掃除されたトイレには、善念が宿ってイノチを持ち、「トイレの神様」として発動し始めます。

そのトイレを使用する人はなぜか心が落ち着き、元気を回復したり、しあわせの訪れがあったりするようになるのです。

また、弟子が、尊敬と謙虚な気持ちで師の教えを受けようとすると、その弟子の誠実さが師を高め、師がもっていた個人性の限界をも突破させて、師の最高の神性を引き出すという場合もあるのです。

道元禅師は、「<弟子>の形で現れる仏様もいらっしゃるのだよ」と語っておられます。

逆に、負の意念が繰り返し与えられたモノやヒトには、その負の意念が定着して、いのちを持ち、負の意志を持って働き始める、そんな場合もあるので要注意です。そのモノと関わる人を次々不幸にしてしまうような働きをするのです。

では、そのような「闇の波動」に影響されないようになるには、どうしたらいいのでしょうか?

(1)心に入っている雑音を出来るだけ減らして、「空」の状態に近づけること。

(2)自分も人も世界も、共に魂の進化過程にあって、これからますます成長し、いい未来が開けてくるんだと、明るい未来を信じること。

(3)自分より、まず人や世界のしあわせを祈ること。

以上のように心がけていれば、「闇の波動」に接触しても、影響を受けないか、あるいは、そもそもそんな「闇の波動」を持つモノや人と縁が出来ることがないのです。

「川手文治郎さんの神様との付き合い方」を勉強しておきましょう。

神信心をしていると、「神のお試し」ということが出てくることがあります。

文治郎さんが、どんな困ったことが起こっても、ひたすら「おかげです。有難うございます」と感謝して受け取ってゆかれているうちに、信仰の対象の祟り神であった金神様の性格がドンドン頼りがいのある、愛の神様に変貌していったのです。

家業の農業においての神様のアドバイスがもらえて、他の農家に比べて収穫がずいぶん増え、篤農家として知られるようになり、あらたに農地も購入出来るまでになりました。このように本業で成功したのですが、その成果さえ手放して、人のために尽くすという宗教家として再出発されたのです。

文治郎さんの日本的霊性発展史上の大きな貢献は、

(1)『神あっての氏子、氏子あっての神、あいよかけよで立ちゆく』

という文治郎さんのコトバでハッキリします。

つまり、「人」と「神」は、実は同じ道をゴール目指して歩む仲間、「」であるのです。

なぜなら、イノチはひとつしかなくて、実は神は人、人は神なので、人が困っているということは、神にとっては、自分が困っていることなのです。だから、困っている人に手を差し伸べずにはいられないのです。

(2)「神」とのお付き合いの仕方の革命

「氏子が神と仲善うする信心ぞ。神を怖れるようにすると信心にならぬ。神に近寄るようにせよ」

文治郎さんが農業をしておられる信者さんに語られたコトバ。

「この作をと思いついたら、それを3月に蒔く時、籾(もみ)を供えて立派にできるように願い、5月に植える時には、よく生い立ちますようにといって願って植え、秋、穂が出たら、立派に実るように願えば、作徳(豊かな収穫)がいただけるからなあ」

つまり、<何かにつけて、しっかり目標を意識化し、言語化して神様にお願いし、頼ってゆけばいい>、という方法論を確立されたのです。

ある人が文治郎さんに「信心はどうしたらできましょうか」と質問しました。

文治郎さんの答え。「信心といっても別に難しいことはない。親にものを言うように、朝、起きたらお礼を申し、その日のことが都合よくいくように願い、よそへ行く時には、行って参りますと言ってお届け申し上げよ。そして、帰って来れば、無事で帰りましたとお礼を言い、夜、寝る時はまた、その日のお礼を申して寝るようにすれば、それで信心となる」と説かれました。

ある人が文治郎さんに、「神様の拝み方が分かりません」と質問しました。

文治郎さんの答え。「神様を拝むのに、この道では別に決まりはない。形より心だ。実意丁寧正直、真一心(まこと いっしん)がかなめだ。

日々この天地に生かしてもらっているお礼を申して、その次に、お互いは凡夫の身であるから、知らず知らずのうちに、この天地にご無礼をしているのが道理だから、それをお断りしおわび申して、それがすんだら、身の上のことを何かと実意をもってお願いさせてもらうがいい」と教えて下さったそうです。(完)

1303 2024.05.18

Q.神様にお願いする際のポイントは?

A.どんな結果が現れても、そのまま『ありがとうございます』と、感謝してお受けするという覚悟が必要。神様に「お任せする」とはそういう覚悟を決めること。

1302 2024.05.17

Q.「しあわせ山」の頂上にいつも坐るにはどうすればいいのでしょう?

A.

(1)自分の力が足りないことを自覚する謙虚さを持つこと。

→大敬は「シモタ・シモタの76年」、失敗だらけの人生だったことを正直に認めます。

→大敬は「ビクビク弱虫」であることを認める勇気を持てるようになりました。

(2)自分には力が足りないからこそ、自分に代わって神様がやって下さるんだと信じましょう。

→「は」:自分には出来ないからこそ、神様にやって下さるのです。<自力の手引き(てひき)で、他力の手引き(てびき)>

1301 2024.05.16

シャカもイエスも/蹴っ飛ばし/地位も名誉も/蹴飛ばして

オレはオレだと生きてゆけ

ウジウジするな、前をみよ/胸を張り張り、堂々進め

そうすりゃ不思議/やれ不思議

みんなぞろぞろ付いてくる/「待って、待って」と付いてくる

宇宙全部がゾロゾロと

1298 2024.05.11 ~ 1300 2024.05.15

Q.大乗仏教と小乗仏教の違いを教えてください。

A.小乗の目標は「灰身滅智(けしんめっち)」です。身を灰にし、頭の智慧をなくしてしまうことなのです。つまり、この世(空虚・幻想)は厭うべきもので、サッサと離れるべきものだとするのです。だから、小乗仏教は、世俗と関わりすぎて、この世からの脱出が遅くならないように、独身主義、出家主義なのです。

それに対して、大乗の教えは「仏性」を説きます。

仏性とは「イノチの火種」のことです。その「火種」の性質は、

① いのちをより高く、広く進化させてゆこうとする根源意志であり、

② いのちの進化の最終ゴール(仏)を設定し、そこに向かって人を誘導してゆく磁針であり、

③ その最終ゴールに向かって前進するために、進化向上に必要な環境を、「火種」の燃料として、次々引き寄せるもの

 それらの性質を持つものが「仏性」で、大乗仏教では、その「仏性」こそが、私たちのイノチの本質だとするのです。

どんな事がやってきても、それは自分のイノチの本質である仏性(イノチの「火種」)が、さらなる進化向上のためにどうしても必要だと引き寄せて来たもの(燃料)なのだから、やって来た課題から眼を逸らさず、しっかり直面して、本腰で関わってゆくことにすれば、その「覚悟の今」にこそ悟りはあるのです。

だから、百丈禅師は、「<仏性>を知りたければ、<時節因縁>を見なさい」とおっしゃっているのです。(完)