光文書 (ヒカリモンジョ) Vol.800+30+112 ひと時とふた時と半時

Vol.800+30+112

光文書
(ヒカリモンジョ)

Vol.800+30+112
ひと時とふた時と半時
聖書には、「ひと時とふた時と半時」という時が、記されています。私は聖書の約束が成就して、聖書の時代が終わるのだと、くり返しお伝えしてきています。
聖書の時代が終わるとは、どういうことなのかというと、一神教の時代が終わるということです。このユダヤ教、キリスト教、イスラム教というものが、いまのこの世界の事象のほとんどに関係しているのは、日本人ですら、認めざるを得ないものです。そして、これまでの人間の歴史は、この聖書の問題によって、大量の血を流してきたというのが現実の姿です。

この聖書の時代を終わらせる精神界のプログラムが、私がお伝えしている日本の仕組みというもので、これが、いまの日本列島と日本人の存在のテーマでもあるということです。
そして、この二千二十四年の十一月中に、この「ひと時とふた時と半時」のプログラムについて、ひとつの証として公開しておけという指示があったので、この聖書の時間軸と私と精神学についての関係性の報告をすることにします。
私、積哲夫が、この仕事に引き出されたのは、千九百九十一年でした。そこから、ひと時とは、十年間ということです。
この間に、「最終知識」に記されていることが生じ、二千一年にはアメリカにおいて、九、一一という事件が起きました。ここでアメリカが神に見捨てられ、その後十年で、日本で二千十一年の三、一一の東日本大震災が起きました。二千一年からふた時目の二千二十一年には、この光文書で報告したように、聖書の神が、闇の王ともいうべき存在に勝利し、この二柱は、地球を去りました。

光が闇に勝利して、神紀元年が宣言され、この光文書の年号は、いま神紀四年となっています。
二千二十一年から、あと半時ということは、二千二十六年ということです。
その年、二千二十六年の年頭には、この光文書も、千回で終了することが決められています。つまり、その時までに、この光文書の役割も終わるということです。
それに先立つ、二千二十五年の八月十五日には、日本列島が取り戻され、このクニの敗戦利得者の時代の終わりがはじまります。
明治維新の利得者は、敗戦によって、その地位を追われましたが、今回も、同じような人間界での追放劇になるのか、精神界の関与によるたましいの裁きになるのかは、私には知りようもありませんが、それは起こります。
これは地球規模でも起こるのです。
いまの地球上に溢れている膨大なマネーは、そのルーツを探れば、聖書における、イエスを十字架に送った神殿前の両替商に到るのです。それらの利得者を、天が放置することはないでしょう。もし、これらのことが起きるとすると、その影響は、日本の比ではなくなります。たぶん、天は、あらかじめ、この日本列島で、それらのことを試されることになるはずです。
なぜなら、日本列島は地球の縮図と定められているからです。
ここまでのことを明らかにしたのは、はっきりと終わりが見えていると、天が判断したのだと私は考えています。
長い旅でしたが、約束された通り、「ひと時とふた時と半時」ですべては成就し、人間のたましいは、一神教のくびきから解放されることになります。
人間が、一神教のくびきから解放されるためには、精神学の知識と、ここに残された、精神界の存在の証が絶対に必要だったということでもあります。
いまの世界を現実的に支配しているパワーは、アメリカにあり、日本はそのアメリカの属州、または属国として、八十年の時を過ごし、この列島上に、イエスを十字架に送ったものたちの背後にいた、闇の王たる存在を迎えて、この光と闇の戦いの物語を終わらせるという壮大な物語の記録が、この光文書であり、「最終知識」という書であったということです。
聖書があり、二千年の人間の歴史があり、「最終知識」があり、光文書があって、それらの情報はこの宇宙の中にすでに置かれています。ひとりひとりの人間の脳内に、この宇宙の正しい姿が投影されれば、ひとりひとりの小宇宙の中での最後の審判は、自律的に進行していくことになります。人間が、「私は妬むものである」という存在を克服するためには、この自分自身の物語を読み終える必要があるということを、忘れないでください。
神紀四年(二千二十四年)十一月二十八日 積哲夫 記