3274「脚本家、役者、観客」2023.12.13 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2023年12月06日の記事を紹介します。

「脚本家、役者、観客」

今日はレインボーチルドレンのまりなちゃんのお話を紹介します。

今現在、人生の岐路に立ったり、苦しんだり、悲しんだりしていらっしゃる、

そんな方々にお届けしたいと思います。

まりなちゃんは今高校生になりましたが、数年前に最愛のお母さんを亡くしています。

もうその当時から、生まれる前の記憶、神様の記憶がありましたが、

その悲しみを幼いながらに乗り越えて今があります。

ではご紹介します。

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霊性の旅 淡路から神戸へ ~空海のレイラインの終点を訪ねて 13 終章 エピローグ 鈴木大拙 「霊性的世界」

終わりにあたり友人から勧められた
鈴木大拙 「仏教の大意」の出だしの
文章のご紹介です。

昭和21年に鈴木大拙さんが昭和天皇に
講義された内容からです。

第一講 大 智

 仏教のお話をする前に、宗教一般についてちょっと申し上げたいと思います。それは宗教が誤解されがちだからです。
仏教も一つの宗教であります。それでまた外の諸宗教のように、生活そのものと何ら直接の交渉を持っていないと考えられることが往々あります。ひどいのになると、宗教はただの迷信でしかない、極楽があろうが、地獄があろうが、そのようなことには、自分等は全く無関心だというのです。まだまだひどいのになりますとこういいます。
ー宗教は群衆を酔わす阿片だ、資本家や官僚はそれを使って群衆を自分等の意志のままに盲動せしめているのであると。少なくとも、宗教排斥者は、神を利己的祈りの対象に過ぎないと見ているのです。
 仏教が宗教としてこれ以上に出ないものとすれば、仏教が吾等日日の生活の上に及ぼす働き、また及ぼさなければならぬ働きというものに対して、これらの人人は何ひとつ了解しているところがないといわねばなりません。
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3273「お迎え」2023.12.12 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2023年12月05日の記事を紹介します。

「お迎え」

日本は縄文の時代より、黄泉の国、すなわち神の国と非常に近しい関係でした。

生活の全てに、死者(黄泉の国の住人、魂としての存在)や神々を意識しながら生活していました。

この物理的3次元の世界と黄泉の国、つまり4次元以降の世界が密接に繋がっていることを知っていたからです。

日本以外では、このような思想自体がありませんでした。

それほど、この日本は神々に愛された国であったのです。

またこの黄泉の国の発想自体はスピリチュアル関係の人だけでなく、最近では、宇宙から直接地球に転生してきた私たちより科学的にはるかに発達した知的生命体、レインボーチルドレンなども同じことを言っています。

すなわち、黄泉の国の存在は非科学的ではない・・と言うことです。

ただ今の私たちには隠されていた真実であるというだけです。

今日のお話は、「お迎え」と言うことで、生まれる前に居た場所に帰る時のお話です。

東京大学名誉教授で、長く救急・集中治療などの臨床医として活躍されていた矢作直樹さんのお話よりご紹介します。

<引用開始> 引用元

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霊性の旅  「魂は永遠に」

令和5年の12月22日に会社にHさんが
訪問されました。

その時ラインに写真を送りますからと、数枚の写真を
送ってくださいました。

その写真は11月の冠之会の懇親会の終了後
家内と共に皆さんのためにとお貸しした二本の傘を
互いに持ちながら歩く二人の後ろ姿。

なんだか異次元からの写真のように感じます。

大写し
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霊性の旅 「サヨナラだけが人生だ」 別れの時

令和5年12月23日に一枚の喪中はがきが届きました。

古い友人のIさんの他界のお知らせ。

もう30年交友が途絶えていました。

「Iさん亡くなったんだ・・・」
漠然とそう思いました。
30年前自己創造のセミナーにお誘いしました。
一旦快諾。
翌日奥様からお断りの電話。
きっとIさん自身から断りにくかったんだと思いました。

それから30年がたっています。
とても仲が良くて、二人は黙っていても幸せな時間が
流れる仲でした。

29歳の時、第三創業で会社を立ち上げました。
名古屋の中川区がその第三創業の地。
Iさんは同じ中川区で同じ事業を営むM商店の番頭さん。
自分は
たった4年間しか板金業種の経験がなく、まして
経営はド素人です。

Iさんはそんな自分に
「なんでも言ってね!、どんなことでも協力するから」と
おっしゃってくださいました。
それからおよそ15年間のお付き合いが始まりました。

一年に幾度も彼の好きだった、そしてとてもお上手だった
ゴルフに行ったり、四人の仲間もできて毎年夏、駒ヶ根カントリーに行き、
四人でプレーします。いつもビリは自分でしたが
とにかく面白くて楽しい思い出ばかりです。

さらに三か月に一度くらい、四人で会食です。
とくに大須にある居酒屋さんで渡り蟹の旬を
いただくことが年中の楽しみとなりました。

Iさんは事情があって勤めていたM商店を退職され、
別の職業へと。
それでも時々会社に立ち寄ってくださって、交友は
続きます。

30年前のセミナーへの誘いが二人を分かちました。

自分はそのセミナーがきっかけでまったく層の異なる
人生の道を歩き始めていました。

父、そして長女の他界の直後、
Iさんは突然に会いに来てくださいました。
「不義理ばっかりで・・」とおっしゃいました。
自分は冷たくも
「ほんとにそうだよ・・・」と
短い会話。
仲が良かった二人でしたが、道が異なって22年がたっていました。

それがIさんとの最後のお別れでした。

何の感慨もなく会社で喪中はがきを読んだんですが、
夕方家に一人で戻りますと、急に悲しみが
襲ってきました。

「Iさんごめんね。死んじゃったんだ・・・」と
恥ずかしながら涙にむせびました。
人生でとても仲良く過ごさせていただいたこと、
そして大恩人となってくださったことを心で
感謝しました。

訃報が翌23日にも続きます。
広島のグループライン仲間のMさんからです。

「中村 公隆 名誉住職さんが14日に亡くなられました」
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