光文書 (ヒカリモンジョ) Vol.800+30+62 嵯峨天皇と平安京

光文書
(ヒカリモンジョ)

Vol.800+30+62
嵯峨天皇と平安京
この二千二十三年の十二月に、平安京の成立に大きく貢献した、嵯峨天皇が長い眠りから覚醒されました。たぶん、嵯峨野の現状を見られたのでしょう。京都と日本を取り戻すために、カミになりたいと伝えてこられたのです。嵯峨天皇といえば、大覚寺というものが連想されるので、大覚寺があるのでは、とお伝えしたのですが、違うらしく、カミとしてマツレというご希望のようでした。
あちこち調べて、空屋になっているお社へ、ご案内し、すでに、そこに立たれておられます。これによって、京都の神社や仏閣、さらには霊界にも、ある種の激震が走っているという情報も伝わってきています。 “光文書 (ヒカリモンジョ) Vol.800+30+62 嵯峨天皇と平安京” の続きを読む

3276「類は友を呼ぶ」2023.12.15 自分で自分を自分するから

https://tenmei999.blogspot.com/2023/12/327620231215.html
 
今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2023年12月07日の記事を紹介します。

「類は友を呼ぶ」

今日のテーマ「類は友を呼ぶ」です。

類は友を呼ぶ・・とはどういうことでしょうか?

趣味や嗜好が似通った者同士は仲良くなりやすい 、そんな意味ではないようです。

自分が醸し出す雰囲気、オーラ、つまり心の状態、自分が今発している振動数が、

同じパターンの人は、遠く離れていても、引き寄せられ集められる。

固まる、徒党を組む。

友人関係になる、そんな意味です。
“3276「類は友を呼ぶ」2023.12.15 自分で自分を自分するから” の続きを読む

霊性の旅 淡路から神戸へ ~空海のレイラインの終点を訪ねて 11 エピローグ 旅の終わりに

いよいよ第10節です。
「十二因縁」のお話です。

日本は仏教国ですから、仏教からの教えが身に沁みますね。
それで、何故私たちは生まれ、そして何ゆえに大変な
「生老病死」を体験するのかをとく「十二因縁」を
ご紹介させていただいて、この旅の心の終わりとさせていただきます。

ただこの因縁説はやはりまだ嘘のようなこの世界で
起きる出来事の克服法としか映らないかもしれません。
佛があるとの基準ですから、ただの一面かも。

もし古代イスラエル的また縄文的意識でこの国が
満たされれば、きっと世界の見本となって世界再生の
先導役になることが出来るのでしょう。
世の光ですね。

この人生の心の旅を通じて感じたさまざまから、
一人でもやるんだという強い意志が生まれました。
どんなことがあっても成し遂げる。

ご縁の皆さんと共に静かに歩んでいくことが出来ますように
祈ります。

現実は影。

意識は永遠で無限。

ここへ来ていただいて、言葉を追ってくださったご縁ある
多くの皆様に感謝申し上げます。

ありがとうございました。

「十二因縁」

人間とは浅ましいもので、現象に執われ易く、
「何事も目に見なければ、信じようとしない」

孔子曰く、

「人、遠き慮り無きときは、必ず近き憂い有り」
“霊性の旅 淡路から神戸へ ~空海のレイラインの終点を訪ねて 11 エピローグ 旅の終わりに” の続きを読む

霊性の旅 淡路から神戸へ ~空海のレイラインの終点を訪ねて 12 エピローグ 「12因縁」

1,無明  即ち、無知盲目の為に、真理を真理と見ず、煩悩を起こし、それに縁って、

2,行   即ち、真理に背き、道理に反する行いを生ずる、この無明より起る根本の盲目的活動を余儀なくされる。これに縁って、

3,識   即ち、無明と行に縁って、まず母体に宿る我々に、精神的作用、主観が起る。これに縁って、

4,名色  即ち、心的現象、物的現象の霊肉が、母体で備わること、精神的作用、これに縁って、

5,六処(六入) 
      即ち、眼耳鼻舌身意の、六根が母体内で完全に出来、出胎(生まれ出る)までをいう。それに縁って、

6,蝕   即ち、六根に対する、色声香蝕法の六塵を知り、それに縁って、

7,受   即ち、やや長じて、六根の六塵に対する嗜好を感じ始める。それに縁って、

8,愛   即ち、好きなものを求め、嫌いなものを避けようとする欲望。それに縁って、

9、取   即ち、愛欲の念が次第に烈しくなり、嫌いなものを徹底して排斥し、愛するものを求め、執着することである。それに縁って、

10、有  即ち、愛・取の時代になす行為が、未来の因となり、次生に行く所の定まることである、それに縁って、

11、生  即ち、過去の因により、賢愚美醜、幸不幸まですべて定まり、種々の結果が生まれてくること。それに縁って、

12,老死 生があれば、必ず老い衰えて死んでいく。
      この世に生存することによって伴う一切の憂悲苦悩・有為転変に縁り、生死流転の輪廻を繰り返し、解脱することを得ない。
      即ち、抜け出ることができないでいる。
“霊性の旅 淡路から神戸へ ~空海のレイラインの終点を訪ねて 12 エピローグ 「12因縁」” の続きを読む