2910「神々を動かす感謝の心」2022.12.14 自分で自分を自分するから

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 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年12月04日の記事を紹介します。

「神々を動かす感謝の心」

この度先祖供養に当選された方、12/11の午前中に

護摩焚きによる先祖供養のご神事を行うこととなりました。

出来ればこの時間、ご先祖の皆さんに思いをはせ、感謝の言葉「ありがとう」をお供えください。

きっと大きな変化が表れてくると思います。

また外れた方も、どうぞご先祖様に今後とも感謝の祈りをお捧げください。

私たちは、神様にお願いし、この地球に肉体を持って生まれてきました。

その目的は、この物理的で、不自由な地球を楽しみたいということの他に、もっと大切な目的があります。

それは、私たちの魂を輝かせ、神様に近づけ、進化させることです。

感謝の心は、ブッダの教えの神髄でもあります。

感謝の心さえ芽生えれば、この地球に生まれて来た目的の大半を果たしたことになるほどです。

感謝の心の反対は、「当たり前」

・自分の思った通りに、環境が整い

・自分の思った通りに、人が動き

・自分の思った通りに、地位や名誉が手に入り

・自分の思った通りに、人に好かれ、尊敬され

・自分の思った通りに、お金が巡る

ですが、ブッダが仰ったとおり、この世の中は、決して思うとおりに動きません。

ままならないのがこの世です。

感謝の心がない人は思い通りに、周りが動かないと、そのたびに、不平不満を口にし、悪口、呪いの波動となります。

そして、その悪しき波動を垂れ流し、ますます心は地獄に住む者の心となります。

では、「感謝の心」を持つことを知った人はどうでしょうか?

今日は、春日大社元宮司、医師、葉室頼昭さんのお話をご紹介します。

感謝の心の重要性についてです。

神さまから恵みを頂くための、神道的なアプローチのお話です。

葉室頼昭さんはもうお亡くなりになりましたが、神さまに相当近い方でした。

葉室家はもともと朝廷の宗教的なことを受け持つ藤原家の公家の家柄だといいます。

葉室さんは藤原氏子孫の公家の代表として毎年春日大社のお祭りに、装束を着て参加していました。

そのころたまたま神職の資格を取る通信教育の学校があることを聞き、神主の作法を学びたくて願書を取り寄せて勉強したのだそうです。

努力家の葉室さんは、日本の形成外科の草分けの医師の仕事のかたわら、院長室に神道の分厚い教科書を持ち込んだのだそうです。

家でも必死で勉強し、異例のスピードで神職の最高位、明階(めいかい)の検定試験に受かってしまいました。

そしてそのとたん神社庁から呼び出され、病院を辞めて、大阪の枚岡神社の宮司になってほしいという話がきたのだそうです。

その後最終的には春日大社の宮司になりました。

さて、この本の中に、心に響くこんな一節があります。

<引用開始> 引用元

神のお恵みはみんな平等にいただいている。

でも、ある人は不幸になり、ある人は幸せになる。

なぜか、感謝ですよ。

神の波動は感謝しなければ、お恵みとなって出てこないんです。

だから宇宙の仕組みが科学でわかったら、神道がわかると説明している。

お陽さまは明るくて暖かいとみんな思っているでしょ、これが間違いです。 

太陽の光は暖かくもなければ、明るくもない。

それが証拠に太陽がここにあって、地球があって、太陽の光が地球まできているわけでしょう。

太陽の光が明るくて暖かいんだったら、太陽と地球の間の宇宙空間は明るくて暖かいはずです。

ところが、ここは真っ暗で、冷たい。なぜかということです。

地球の周りに空気があるからです。

空気で反射すると光と熱が出てくる。

反射しなければ光も熱も出てこない。

空気がなかったら明るくも何ともない、これと感謝は同じことですよと言っているんです。

反射したら光と熱が出るということがわかったら、感謝したら神のお恵みが出てくる、

ということがわかるわけでしょう。

これは本当のことだから、だから人間も感謝しなさいと言うことです。

そうしたら神からいただいているエネルギーが出てきますよ。

<引用終了>

神さまの光は、みんなに平等に降り注いでいるけれど、幸、不幸の違いが出てくるのは、

「感謝の心」を持っているかどうかの違いなのだそうです。

そして感謝に関しては、こうも仰っています。

<引用開始> 引用元

感謝もいまは間違っています。

神さまにお願いして、お恵みがいただけたら感謝する。

これは感謝とは違う。

これは取引です。

これだけお賽銭をあげるから、その代わり神さま、子どもを入学させてくださいという取引ですね。

入学したらありがとうございますという。

これは感謝でもなんでもないんですね。

感謝には理屈はいらない。

神さまありがとうございますといって、

神さまと波長を合わせたら子どもが入学するということなんです。

入学したから感謝するのではないんです。

感謝したら入学するということなんです。

世の中は逆さをやっているんですね。

太陽の光は空気によって反射して初めて光と熱が出るわけでしょう。

反射しなかったら光も熱も出ない。

感謝しなかったら全然神さまは出てこられないんです。

だから反射と感謝とは同じだと言っているんです。

入学させてもらったら感謝しようかと。

そんなふうに宇宙の仕組みはなっていない。

反射しなければ出ないんですよ。

感謝しなければ出ない。だから感謝しなさいと。

そうすると何に感謝するんですか? と言う人がいるんですね。

何にと言うときにはもう感謝ではない。それは取引です。

理屈なしにありがとうございますと言えたときが本当の感謝です。

そうすると神のお恵みが現れてくる。

これが本当のことです。

だからよく健康に感謝する。

健康でありがとうございました。

それは結構なんですよ。

でも、そういう人に限って病気になったら感謝しない。

たとえばお祈りで自分の病気を 神さま、治してくださいと。

ところがお祈りしてもさっぱりよくなりませんという人がいます。

それは治らないですよ。

私を健康にしてくださいということは、私は病気ですと言っているようなものです。

自分は病気だから健康にしてくださいと言うわけでしょう。

神さまに私は病気ですと言っているんだから、、

そうかと、そのとおりに病気になってしまう。

だからどんなに病気でも、健康でありがとうございますと言いなさいというんです。

そうしたら健康が来る。

病気を治してくださいということは、私は病気ですと神さまに訴えていることですからね。

<引用終了>

葉室頼昭さんは、死の淵に会った時に、生き方を変える、神さまによる不思議な経験がありました。

それは、浪人時代の過酷な受験勉強がたたり肺結核になった時のことです。

ある日、大量の喀血をし担当の医師から死の宣告を受け、両親の待つ東京に帰ることになりました。

まだ寝台車というものがなく、席を四つとってそこに戸板を敷き、寝かされて東京まで帰りました。

「僕はそのとき、すべての我欲というものが消えていたんです。

医者になりたいだとか、生きたいという思いもまったくありませんでした」

そのとき、ある人が退屈しのぎにと一冊の本を葉室さんに手渡しました。

この本が葉室さんに神秘体験をもたらすキッカケとなりました。

「そこには『人は生かされて生きている』ということがえんえんと書いてあったんです」

死を目の前にして無我になっていた葉室さんは、

その本を読んで感激のあまり泣いて泣いて涙が止まらなかったそうです。

そうして汽車の中でずっと泣き続け、東京駅に着いたときには立ち上がる体力もまったくないはずなのにホームに一人で立ち上がっていました。

その後十日間ほど、その本の中に紹介してあった本を全部購入し、無我夢中で読んみました。

すると不思議なことに葉室さんの体力がみるみる回復し、奇跡のように重度の結核が全て消えうせてしまったのだそうです。

「そのとき僕は神を見たというか、神の存在を身をもって感じたんです」

死ぬとばかり思っていたところを神さまに救われた葉室さんは医学部にもどり、

何か人様のお役に立ちたいと思ったのだそうです。

当時は結核で亡くなる方が沢山いました。

結核にかかると隔離されたりサナトリウムと言うところに入れられました。

美智子皇后さまの親友だったハンセン病医師の神谷美恵子さんも、

結核で隔離されている時に神さまの光体験を授かっています。

神さまに対する真摯な心、そして感謝の真心、葉室さんは、死の淵でそれに気付き、

泣いて泣いて涙が止まらなかったそうです。

本当に心の底から生かされている命に、「感謝の心」が芽生えたのですね。

これができた時、私たちは神さまの恵みをふんだんに受けて幸せになれるのですね。

そして健康で幸せな時だけでなく、病気であったり、不幸に見える環境の中でさえも

「感謝」の心を忘れないようにしたいものです。

私たちは一人で生きているのではなく、様々な人や物、神々の「お陰」で生かされていると気付き、感謝できた時、その時こそ、神さまの奇跡が訪れるのかもしれません。

いつも、どんな時も、嬉しい時も、悲しい時も、辛い時も、

ありがとうの気持ち、忘れないようにしたいものですね。

再録 随想 伊路波村から69~剣 山 041130

1994年7月16日。K女史・M氏と共に名古屋空港を発つ。

M氏の切符は高知行き。K女史と二人の切符は高松行き。

出発直前にそのことに気づき二人にあわせて、
M氏は高松行きに切り替える。
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