「与えることがもっている証拠。
救済者とは救済を与える者に他ならない。」
もっているものしか与えられませんね。
誰もが救済者になれるので、誰もがもっているものを
与えて、救済者となれますね。
“再録 奇跡の道 その126~与えることがもっている証拠・・・” の続きを読む
再生大和 霞の中にて活動する
「与えることがもっている証拠。
救済者とは救済を与える者に他ならない。」
もっているものしか与えられませんね。
誰もが救済者になれるので、誰もがもっているものを
与えて、救済者となれますね。
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人間は生まれると同時に、自覚の始まるわけではない。人間が真の自覚を発するのは、人生の三分の一どころか二分の一あたりまで生きないと、できないことのようです。そしてここに、人間の根本的な有限性があるわけです。
〇
焼き芋は、火が通らないとふっくらと焼けない。人間も苦労しないと「アク」が抜けません。同一のものでも、苦労して得たのではないと、その物の真の値打ちは分かりません。
〇
自分の「血」と「育ち」における卑しさが自分の言動のどこに、いかなる形態をとって現れているかということを、まず知らねばならぬと思うのです。
実際に気品というものは、人間の修養上、最大の難物と言ってよいからです。それ以外の事柄は、大体生涯をかければ
必ずできるものですが、この気品という問題だけは、容易にそうとは言えないのです。
〇
つまり人間というものは、教えの光に照らされなければ、たとえ幾年、否、時としては十数年の永きに交わっても、この点に対する深い自覚には至り難いものであります。けだし教えの光に照らされるということは、つまり自分の醜さが分かり出すということだからです。
あひ しりそめて みちひらく あめ つち ひとの
さんみ ひとつみ みせる さいりょふ あめのした
みぎに ひだりに かみしも かさねて いとをうち
すみを ながして しるす へいめんず しほふ
はちほふ かぞへて ならす やとよはた
“天音天画 031202” の続きを読む
https://tenmei999.blogspot.com/2021/12/25412021129.html
今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年12月03日の記事を紹介します。
「最後の言葉」
今日もご縁のある方々に「心を洗う」お話をご紹介します。
ほぼ毎日、心についていろんな角度から書いています。
もう何年も前から書いています。
“2541「最後の言葉」2021.12.9 自分で自分を自分するから” の続きを読む
奇跡のコースの三冊の本は自主学習の本です。
そのどの本から読み始めることも自由です。
また異なる本に途中で注目することも自由です。
後ろから読んでも、初めからでも、中からでも
なんでも自由です。
もともと言葉には限界があります。
“再録 奇跡の道 その127~ あとがき” の続きを読む
人間の真の強さというものは、人生のどん底から立ち上がってくるところに、初めて得られるものです。人間もどん底から立ち上がってきた人でなければ、真に偉大な人とは言えないでしょう。
〇
死生の悟りと言っても別にはなくて、お互いにこの生ある間を、真に命がけで生きるという外ないわけであります。これ先に生に徹することが、やがてまた死生を超える道だと申したゆえんであります。そして死ぬとは結局、生まれる以前の故郷へ帰ることだといえましょう。ですからわれわれは、この世にある間は自分の全力を挙げてこの世の務めを尽くす。これやがてこの世を去る唯一の秘訣でありましょう。いざという時に心残りのない道、これ真に安んじて死に得る唯一の道であります。
〇
人間はこの肉体をもっている限りは、煩悩の徹底的根切は不可能である。そしてこの一事が、身根に徹して分かることこそ真の救いといってよかろう。
〇
総じてその実質が同じ程度の偉大さであるならば、その人の社会的位置が低ければ低いほど、後世におけるその感化影響の力は、大きいと言えましょう。
世間の人々は、多くはこの道理を知らないで、ただ位置さえ高ければ、それだけその影響力も広く及ぶように考えがちですが、それはただ物事の上面だけを見ているにすぎないのです。