再録 奇跡の道 その115~魔術的想念にどう対処すべきか
「魔術的想念にどう対処すべきか」
このことについての最初の責任は、攻撃しないことですね。
もし一つの魔術的な考えが何らかの形の怒りを
呼ぶとしたら、罪を信じる信念を強めてしまって、
自分自身に有罪宣告をしたということにありますから。
そして、ゆううつ、苦痛、恐れ、災禍が自分のもとに
訪れることを自分で求めてしまったということですね。
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令和 4年 6月までの冠之会 慈藹塾読書会のご案内
令和 4年 6月までの冠之会 慈藹塾読書会のご案内
年の瀬も迫ってまいりました。
今年も集いに多数のご参集を賜り、誠にありがとうございました。
さて、半年分の集いの日程ご案内です。
慈藹塾読書会はあと「修身教授録」の講が11回となりました。
丁度令和4年の12月読了となり、来年をもちまして、一旦休会の予定です。
また休会となっております「テネモスミーティング名古屋」ですが、
新たに4月ごろから「いろはミーティング」として開催させて
いただく予定となりました。
全国各地に広がりを見せる次世代に向けての
さまざまな活動グループとコラボレーションできればと
念願しています。
以上ご報告申し上げます。
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森信三先生の言葉 16~コトバを慎むということは、修養の・・
コトバを慎むということは、修養の第一歩であると共に、また実にその終わりといってもよいでしょう。否、コトバを慎むということは、ある意味からは修養の極致といってもよいでしょう。さればこそ古人も「辞を修めることによって誠が立つ」といわれたゆえんであります。
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人間の修養の眼目は、これを内面からいえば、「心を浄める」ということであり、これを現れた処から申せば、まずコトバを慎むということが、その中心を為すといってもよいでしょう。心を浄めるとは、すなわち誠ということでしょうが、しかもコトバを慎むということは、実はそのまま誠に到る道なのであります。
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人間の人柄というものは、大体その人が、他人から呼ばれた際、この「ハイ」という返事の仕方一つで、大体の見当はつくと云えましょう。それと申すのも、その人の名前を呼ぶということが、その人の全人格に対する呼びかけであるように、これに対する「ハイ」という返事も、またなるほどコトバとしては、唯の一言ですが、これまた、全人格の発露でなくてはならぬからであります。
日本とユダヤのハーモニー 「天皇家とイスラエルの関係」 1
天皇家のルーツはユダヤ?
日ユ同祖論が囁かれ続ける昨今、はたして「失われた十部族」が日本に渡来して国家の創始に関わり、神道宗教と皇室のルーツとなったのか?古代イスラエル人と大和民族は共通の先祖を持つのか?天皇家とユダヤの関係について、日本書紀と旧約聖書の歴史書を比較検討。歴史の接点や、宗教や祭りの文化、日本語とヘブライ語の類似点、天皇家の紋章から推察される西アジアルーツ説を検証し、天皇家の起源に迫ります!
伊勢白山道から 「水平・地上目線からの脱却の大切さ」
2552「幸せな家庭のために」2021.12.20 自分で自分を自分するから
https://iroha.ws/wp-admin/post-new.php
今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年12月15日の記事を紹介します。
「幸せな家庭のために」
今日は、非常にシンプルなことですが、習慣化することで偉大な力を発揮してくれる
言葉についてです。
当たり前のことですが、
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再録 奇跡の道 その116~訂正はどのようにして行われるのか
「訂正はどのようにして行われるのか」
実相は不変であって、魔術的想念は単なる幻想でしょうか。
主要な学びは、魔術的な想念に対して、まったく怒りを
抱かずに反応する方法を学ぶことですね。
怒りは、ただ「罪悪は実在する!」と金切り声を上げますね。
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