神の使者から奇跡の道へ その108~判断はどのようにして放棄されるのか

「判断はどのようにして放棄されるのか」

判断というものも、世界によって全面的に誤解されている。
それは実際に叡智と混同され、真理の代替とされている。

この言葉の用い方によれば、ひとりの個人が「良い」判断と
「悪い」判断をすることができ、彼の教育は前者を強化し、
後者を最小限にすることを目指している。
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令和二年の年の暮れにあたって

会社が今の名古屋の山善ビルに引っ越して
二年と少しが過ぎました。

場所は名古屋を東西に走る最も古い広小路通りの
一本南にあたる三蔵通りに面しています。
一階はとても繁盛していて、全国からお人が
かけつけるコーヒー店があります。

今年は通常年と異なった体験のない
異常な年となりました。
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神の使者から奇跡の道へ その109~どのようにすれば、この世界で平安が可能となるのか

「どのようにすれば、この世界で平安が可能となるのか。」

世界のあり方は、事実であるにすぎない。

それが何であるべきかを、あなたが選ぶことはできない。
しかしそれをどのように見たいかは選択できる。
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この後のこと 2021年から

以前ご紹介した「シオンの議定書」の計画どおり
現在の世界が進んでいることを驚きと納得をもって
感じていらっしゃる方も多いことでしょう。

東京の友人Aさんからいただいたものです。

シオンの議定書

すこし長いですが再読をお勧めいたします。

以前にもお伝えいたしましたが、故糸川秀夫博士が
長野県の上田市に在住の頃、講演会の依頼をしに
訪問させていただきました。
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神の使者から奇跡の道へ その110~世界を救うためには、何人の・・

「世界を救うためには、何人の神の教師が必要か」

この問いの答えは「ひとり」です。

なぜ多数という幻想が必要でしょうか。
その理由は単に幻想に惑わされている者にとって、
実相は理解できるものではないからですね。
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