随想 伊路波村から133~予防医学~すべての生命体に共通~  3

生のものを食べ続けると内臓を弱めることと
聞いていましたが、それは古いものかもしれませんね。

植物も収穫して時間が相当経過したものとか
肉や魚も冷凍したりして時間が過ぎたものはいけないかも。
生野菜にドレッシングはやめたほうがいいのは
脂分が肉体の放出を促すからでしょうか。

前項2の植物の水分は油と混ざる、に興味がありました。
肉をたくさん食べる西洋の人たちは合わせて生野菜を
たくさんとります。

肉の脂分を溶かす智恵でしょうか。
水は油とは溶け合わないですが、乳化して
混ざり合うことはできます。

水の中に油分が分散するか、水分の中に油分が
分散するかですね。コロイド状ともいいますね。
牛乳とかパスタとかマヨネーズとかいろいろありますね。

それで以前には、ある方に教えていただいて
軽油に水を150CCほど入れて、自動車のオイルの
廃油になったものを50CC入れて混ぜて特殊な方法で
混ざり合うかどうか試しました。

なんどかやりましたが少しは混ざり合うのですが、
いつも水分がペットボトルの下の方に残りました。

ところがバンブーで1週間ほどブクブクしましたら
下のように水分が軽油に混ざってしまいました。
軽油と水と廃油.jpg

次は500CCのペットボトルを使って水に油が混ざるかの実験です。

水に適当量の米油(50CCくらい)を入れて、アグア、重曹、糖蜜と
混入しバンブーもかなりの時間をかけてここまで来ました。
糖蜜、重曹、アグア油脂.jpg

上の部分の白いところがかなり乳化している脂分です。
下の水の部分が茶色いのは糖蜜を混入したからです。
でも脂分がかなりコロイド状になって分散しています。
そこで植物の中でももっともその水分が純水にちかいと
言われているキャベツをバ-ミックスで細かくして、その
水分をペットボトルに入れました。
キャベツ投入 油脂.jpg
下が水で油との境目にキャベツの水が緑色をしてあります。
水より軽く油より重いのがわかります。

キャベツ投入 2.jpg
それをよく振って混ぜ合わせるとミルクセーキのような
感じになりました。

さらに2日間バンブーをかけて、一日放置した状態がこれです
キャベツ最終.jpg
やはり分離は防げませんが、最初の濃い茶色がコーヒーミルクのように
薄くなって油分のほうもやや茶がかかって、かなり分散したことが
わかりました。

この結果からキャベツの水分(植物の水分)は油分と混ざり合うことが
確信できました。

随想 伊路波村から134~あるメール 老子 孔子 菜根譚

人のいろんな性格や、特徴やできないことは
みんな「らしさ」でしょうかね。

同じ人はいないので、この世は「らしさ」の集合体。
すべてが必要な自然な姿です。

フーチパターンができる人は、すべてが一ついのちで
あることを知っているからですね。
繋がっているからイメージだけでわかります。
どんなに離れていてもです。
簡単にいうと自分の一部だからですね。
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随想 伊路波村から136~異国にかける夢 041118

どうして言葉に詰まったのだろう。

そのまましゃべれなくなって、他の方が
フォローしていた。

その方のしゃべっている言葉の意味が
まったく頭に入らなくて、ただ涙だけが
目からふきだしていた。
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七宝つなぎ

七宝つなぎのように
輪がつながる。

つながった輪は増えたり
減ったりしながら
いつも異なる輪を作る

そのようないくつもの輪のグループが
無数に増えていく

組織を作れば 崩れていく

輪はいつも 可変状態

次世代の新しい世の イメージ

随想 伊路波村から135~あいうえお・・・

「物質が物質を変化させることはできません。ただ物質のもっているエネルギーだけは変化します。」

言霊学の世界でも同じようなことがあります。母音と子音の関係です。

母音「あいうえお」はどの子音にもついています。
その子音と母音が固まって(ことば)、物質ができます。
そして母音はすべての子音の原因でもあります。
子音は物質でもあり、その原因である母音というエネルギーを持っています。
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随想 伊路波村から137~1万2千スタディオン=約2220kmの日本

iraku.jpg
お写真を拝見してビックリしました。
台形の櫓(やぐら)での盆踊りです。
田原市 伊良湖(伊良久)町の盆踊りです。
いらこはイラク。

イラクといえばなぞの消えた民族
シュメールです。
イスラエルと皇暦の関係

この櫓は普通は四角がほとんどです。
なにゆえ台形なのでしょうか。
伝承は消すことのできない歴史でしょうか。

約束の天地は1万2千スタディオン四方の四角か台形。
ヨハネの黙示録」がチラリと頭をかすめました。

「この写真、差し上げましょうか?」
やさしい天女のお言葉に
「ハイ」と答えていました。

ちなみにエホバ=ヤハウェ=主 アブラハム モーセ イエスが
あがめた神の名です。

キリスト教ではありません。

随想 伊路波村から~憂きことのなおこの上に積もれかし–041118

昔の話ですが

例の熊沢番山が 番山の師 中江藤樹の話を
聴きに 片道8時間かかる山道を通いました。

そして毎日、1時間の講義を垣根越しに聴いていました。
塾のお金を払うことができなかったのです。

ある日、藤樹は垣根にいる番山を呼びます。
そしてたずねます。

「君はどこから来ているのかね?」
「山をこしたところです。」

「どれくらいの時間がかかるの?」
「片道8時間です。」

「そこでどなたと暮らしているのか。」
「母上とです。」

「そうか ではここに移り住みなさい。
丁度納屋があいているから、そこで
母上といっしょに暮らせばよい。」

しかし番山はこのやさしい申し出を断ります。

「せっかくですが、先生のお話を8時間かけて
聴きにまいっているからこそ、先生のお言葉のひとつも
聞き逃すまいと、真剣になれるのです。」

さすがの番山。藤樹先生はこのとき番山の
資質を見抜いたのです。

番山が読んだ有名なうたがあります。

「憂きことのなおこの上に積もれかし 限りある身の 力試さん」

このお話はずっとわたくしのこころの 中に
住みつづけています。

随想 伊路波村から~高野山の秋 ~出逢い・縁~ 041111

平成13年11月6日夜、
愛知県豊橋市で用事が済んだ時刻が午後10時20分。
それから高野山へ向かう。約5時間はかかるだろう。

新郎Kさんと新婦Nさんの結婚式が翌7日に高野山で行われる。
その場に立ち会うためだった。

「さて、車中の長い時間をどうしよう。」と思ったとき、
ありがとう実験を思いついた。

小林正観さんの著書「幸せの宇宙構造」のなかにあったのだ。
「ありがとうを無感情に言っていても、1万回位言ったところで、
涙が出てくる。

その後、心から感謝のうちにありがとうが言えるようになる。」
いっそ、「ありがとう」より「ありがとうございます」でいこうかと決めた。
1分間で約50回言える。幸い人も聞いていない。チャンスだ。

豊橋にむかう車中で、1時間半。
そして高野山への道中で3時間半。
合計5時間「ありがとうございます」を唱えてみた。

後で計算してみたら、丁度1万回位のところで(約3時間半)眼から涙がにじんできた。
そして何もかもに感謝の気持ちで言えるようになった。

名阪道を数珠つなぎで走るトラックの運転手さん、
道路、樹々、山、そして風。月。つぎつぎに御縁ある人々の顔が浮かぶ。
人生の数々の出逢いの人びとが。

橋本市を過ぎ、運転手をも酔わせる20km程のグネグネの山道。
高野山にむけて、歩いたであろう、多くの人びとの想いがかぶさる。

敵も味方もなく、長い時間を人びとは高野にむけて歩いた。
恐ろしいほどの静寂が山中に横たわる。行き交う車も皆無。
戦国の武将たちや歴史上の英雄が死んだら
高野山へ葬ってくれと願ったその高野山。

弘法大師が開いたこの地に生かされた時間の
すべての想いを捨てて,敵、味方を越えてここに眠る人びと。
日本人って何だろうと不思議な国民性を想う。

走り続け、唱え続けて、7日午前3時20分。

浪切不動尊(空海が唐より持ち帰った仏像)を安置する南院前に到着。
不思議に疲れも眠気も感じない自分を知った。
素晴らしい体験だった。

午前6時、護摩焚きが始まる。きれいな炎が、
そして太鼓の音が参加者の眼と心に語りかける。

挙式は、Kさんの師匠M氏の仲立ちで行われた。
4畳半の小さな仏堂の中で、お二人は結婚の誓いを立てられた。
「お二人の行く末に幸いあれ」と念じていた。

高野山奥院を仏僧であるKさんが案内してくださった。
奥院の正面に向かって一番近いところ左側が天皇家ゆかりの御廟。

そして右側が近衛家の墓。その後方に、
何と元首相の池田勇人さんのお墓があった。

Kさんは言った。「池田さんは、大師信仰の深いお方だった。
病に冒されたとき、四国霊場八十八ヵ所を逆打ち(逆に巡ること)して、
病が治った。
そしてその後、常に数珠を
身につけながら仕事をし、首相にもなられたのです。」

昼の食事会の時刻となった。
料亭「花菱」の料理はとてもおいしかった。

またそして何より、集った御縁の人々の会話は天国の会食のようだった。
Kさんの師匠M氏は、来年より高野山の慣習によって
「身代大師」(弘法大師の身代り)を1年間お努めになる予定だとか。

M氏の書庫は、図書館のようだった。少し開いた扉から、
「小林秀雄全集」が微笑んでいた。

そんなM氏にたずねてみた。「今までで一番感じた方は誰ですか?」
M氏は、「それは、岡本太郎さんです。」と答えて、
「どこが感じたのですか?」の問いに、
「著者の紹介文を少し著書に書いてくださったので、
後日御礼を申し上げたら、ポカンとしていたからです。」(?)

こんなM氏はすべての話題を肩のこらないジョークでかわしながら、
雑談の中で多くの教えを下さった。

素晴らしい御庭と御堂。宿泊室。
そして密やかなおもてなしの心を感じさせる南院。

この日お祝いの気持ちからか、参加者の宿泊費一切を無料にされた
南院御住職Uさまの「慈」のこころに感じ。

新婦Nさんのご両親がすでにこの世にみえないことを案じ、
健在のご自分のご両親を式に呼ばなかったKさんの「悲」のやさしい想いを感じ。

「良かったね」「良かったね」を連発する参加者のYさんやIさんの「喜」の共感に歓び。

あるままに謙虚に今を生きる「捨」の「身代大師」M氏に学んだ一日であった。

「慈悲喜捨」Kさん、Nさんおめでとう。そして、ありがとうございます。

高野は歓びに満ちていた。