あなたの見ている世界は、世界のように見える
幻想ですね。神は永遠なるものを創造したのですから。
この世界は永遠ではありえず、常に変化するものです。
そして肉体の眼は実相世界(真実の世界)を見ることは
できないようです。
赦し、救済、贖罪、真の知覚などは一つの始まりに
すぎません。虚無から生じた世界が虚無の中へと
舞い戻るとき、時間も永久に終わりを告げます。
赦しは肉体を見ないので、分離は不可能だと証明します。

再生大和 霞の中にて活動する

11年続いたバンドのプライナスが
活動停止してから8年が過ぎました。
路上ライブやライブで感動を与えたバンドは
新たにこの9月から二人で活動を開始しています。
「らいぶゆう」でのコンサートの模様から
「私は私で私らしく」と「イマジンルール」を
ご案内させていただきます。
私は私で私らしく
イマジンルール
宗 美佐さんは時節柄スタジオで
ときどきライブされます。
天使のような素晴らしいお声と
ピアノをどうぞ。
https://youtu.be/2Z7t39foT74
4分20秒後からです。
ひとたびこの旅が始まればその終わりは確実だと
言われています。
助けを必要としている者はみな、自分自身を
攻撃しています。
他者のために祈る必要がなぜあるのでしょうか。
それはあなたが自分の罪悪感(分離感)の投影を
兄弟から取り去るため、および、自分を傷つけているのは
彼ではないということを認識できるようになるための
手段にすぎませんね。
ものごとや地位や人間の愛や、その他あらゆる種類の
外的な「贈り物」を求める祈りは、常に、牢番を
仕立て上げて罪悪感(分離感)から隠れるために
作り出されているようですね。
あなたとわたしは連れ立って進みます。
私はあなたがいなければ進むことができません。
あなたはわたしの一部だからです。
祈りは、真の謙遜への道。
謙遜は平安を運んできます。
この一か月間飯島さんの22年間の
お言葉から、記述を重ねてまいりました。
「Iさん懐古」を総合転載させていただきました。