19 罪なき心には、苦しみはありえない。
20 愛は不満を抱かない。
21 我が家とは変わることのない霊。
22 赦しの方法
一つ 自分が見ているものは夢だと思い出す。
一つ 見ているものは自分自身の投影。
一つ 常に一瞬が永遠。
23 人生と思うものを生きながら、同時に少しずつ救済に向かう。
24 目前のものは、外部に現れている自分自身の狂気の象徴。
25 「何のために」と問え、目的がわかれば、あなたの努力の方向は
自ずと決定される。(目的は赦し、赦して天国へと戻る)
26 天国は完全にして形なく不変、抽象、永遠で無辜(むこ)で
全体で豊かで完全な愛(生命)。
27 他には何もない。
28 理解すること。知ってるは奇跡に至らない。知らないは至る。
29 一度の経験はエゴに戻せない。
30 変化し測定できるエネルギーは知覚の領域。
31 エネルギーは霊ではない。
32 エネルギーも思考の投影。
33 物質は形の異なるエネルギー。
34 絶対的真実を早く体験する方法を見つける。
35 いかなる種類の恐れからも完全に自由。
36 出会う人々、あなたを思う人々までもが平安を共にするなら神。
いのちの実相 その後 「神の使者」から 1
主題「いのちの実相」とは何でしょうか。
18年前、そのことを知りたい欲求が芽生えたその体験の
意味が分からず、さまざまなことを試し、さまざまな学びをし、
さまざまな人に会い、さまざまな場所に行きました。
どこにも誰にも何もなく、もうあきらめていました。
「人間は何故生まれてくるのか」もまた大きな疑問です。
この世界に生まれ出て、さまざま体験をし、肉体を終える日を迎える。
生まれ出たものは例外なく、必ず死を迎える。
今も確信としてこうだと言い切れるだけの崩れない心を
持っているわけでもなく、いつも揺れることばかりの心です。
ただ「いのちの実相」を分かり、そのことが離れることなく
自らを常に満たしている状態を維持することが
「人間がこの世に生まれ出た意味」ということは言えましょう。
過去と呼ばれる時間軸の中で、自分が与えた愛ある想念の分だけ
他を赦す事ができるからこそ、自分に与えられた愛ある想念の
分だけ、他を赦す事ができる。
「与えたものが受け取るもの」の宇宙の真理は絶対的です。
他と自分のすべてのすべてを赦し続けるうちに、意識することなく
「いのちの実相」に常に満たされるのならば、私たちは
できる限りの愛ある想念を他のすべてに向けて与え続けたいものと感じます。
ですが欲求はすでに分離感の現れ、ごく自然にできるようになれば
「いのちの実相」の扉は必ず開かれることでしょう。
道は遠いかも知れません。
またそれはすぐかも知れません。
いずれにしてもただ今、その実相のみがここに「ある」ことには間違いないようです。
そしてどなたにとってもそのことは例外がないのです。
奇跡講座のテキストを読み進むうち、そのまったく美しい文章や
表現に、いつしか望まずともあの体験が幾度も押し寄せる
ことを体験できました。
言葉の意味や文章の流れなど何も意識せずに、ただ読むうちに
その世界に引き戻されていきました。
テキストはイエスの霊言として著者に受け取られています。
でも それがイエスであろうとなかろうとはどちらでも
いいことのように思います。
ご興味のある方は、実際に感じてみられるといいでしょうか。
「奇跡講座テキスト編」
ヘレン・シャックマン (著), 加藤三代子 (翻訳), 澤井美子 (翻訳)
「神の使者」
ケネスワプニック「入門編」
「神の教師」
「飯島秀行氏の講演録」
以上の4つからの箇条書きを作成させていただきました。
ご縁の皆様の参考になりましたら、とても幸せです。
それから何かご質問がございましたら、以下までメールください。
できる限りでお答えさせていただきます。
masataka89@iroha.ws
いのちの実相 21
「奇跡の道」の自己学習ではとてもシンプルなことを言っています。
「あらゆる人を赦すこと。
そして否定的想念を持ってしまった自分をも同時に赦すこと。
さらにそのことをなかったこととすること。」
娘は学習する同志として両親を選びました。
私は娘を同じように選びました。
赦すことを学ぶためです。
娘に関してだけでなく、人生では多くのできごとに遭遇しました。
そのたびにさまざまな想念をいだきました。
もっとも悩ましたのは誇りについてでした。
でもよくよく考えてみれば誇りとは「自他がある」と考えるから、
汚されたと思うと怒りが出てきます。
それどころかあらゆる想念は「自他がある」と思うから発生します。
まずやっかいな、このこびりついた自我というか個我の粉砕が
大切になります。
でも大変に困難です。
まずは決心しなくてはなりません。
徹底的に我は全我だと思い、いのちはひとつだと思うこと。
そして赦し続ける行為によって、次第にこの堅い自我の殻が粉砕され、
いつか永遠の体験ができるようです。
それを望んでも難しいのですが、実践し続けるしか体験にいたる方法は
なさそうです。
それを助けるのが、毎日出会う人々です。
もっとも教えているのが家族、同僚、友人、恋人などの
特別な関係の人たちです。
近すぎて、そのことに気づきにくいものですが。
私たちの普通考える「現実」と「実相」とでは相容れることはありません。
実相では現実がわからないからです。
それでも誰でも「実相」から離れてあるものは一人もいませんし
一物もありません。
真実であるないに関わらず、「実相」のみが真理であり
「現実」は幻想なのです。
それを確信するためには、体験以外にはないのでしょうか。
そしてそれはどのように訪れるのでしょうか。
一度の体験は自我への戻りを阻止するものとなるのでしょうか。
いのちの実相 20
「奇跡の道」の自己学習へと導いたのは
友人からの発信による「神の使者」という本でした。
神の・・・という本は多く、過去幾冊も読みました。
またそのような本かなと思い読み進みましたが、
そこには思いもよらぬことが書いてあったのです。
まずその本の帯には
「自分という幻を捨てたとき 宇宙は消え去り 神という(現実)が現れる」
この文章を理解するにはなんとすればいいのでしょう。
自分は幻。?(ちゃんと体があるでしょう)
自分を捨てれば、宇宙が消える。?(自分を捨てるってどういうこと?
宇宙は消えるものなの。?)
神という(現実)?(現実が今で神は幻想でしょう)
まず現実はいつもあるとほとんど無意識に感じているのに、
私たちの感じている現実はなくて、すべて神なのか。
そして自分は幻なのか。
幻の自分を捨てれば 宇宙という現実は消えるのか。
普通では理解できないこの帯の意味。
しかし、読み進むうちに、長い間の疑問が解けていくことが
心地よく、以前の体験の意味がしだいにわかってきたのでした。
天は不変、地は無常。そしてその間に人はいます。
わたしたちは無常であるこの地上でのできごとを「現実」ととらえ、
信じてまったく疑うことをしていません。
そして無常であるがゆえに、さまざまな意識で心は満たされ
その心さえ定まることがありません。
でも、もしこの地上にて、この「現実」にて起きていることが
何の意味もない幻想のようなことだとしたらどうでしょうか。
またさらに自分が自分であって、この肉体が自分だとも
信じて疑っていません。
でも、もしこの肉体が幻想であって、自分はただ肉体を自分だと
信じているだけだとしたらどうでしょうか。
もしそうであれば、私たちが不安や恐怖、悲しみや怒りをいだいた
最大の自我である「自分を肉体と思うこと」から開放され
あらゆる不安、恐怖、悲しみ、怒りから開放されます。
でもなかなかそうとは思えない。
理想的な説法にしか聞こえません。
しかしもう一度、そのことが真理であって、私たちの常識が間違いだったら
どうでしょうか。
まさに体験のイメージはそのように伝えていたのですから。
いのちの実相 19
娘は臨終の少し前めずらしく、絶対口にしない言葉
「お母さん、ありがとね・・・・・」を口にし
それを受けた家内は、娘の生命誕生の責任をずっと背負ってきた重荷を
やっと降ろすことができたようでした。
生前の娘との会話
「あのね、人間は肉体だと思ってるだろうけど、ほんとうは
人間は肉体ではなくて、いのちなんだよ。人間は死ぬことがないので、
いのちは永遠にあるんだよ。だから人間は生まれることもないんだけど。」
娘
「お父さん、いつも訳のわからんことばっか言う。
でも人間はいのちだってことはなんとなくわかるよ。」
私
「だからね、もしね、肉体が終わることになった時には
必ずそのことを誰でも知ることになるので、そうなったら
何かお父さんにサインを出してね。約束ね。」
指切りしました。
二人だけの秘密の約束でした。
「私はあなた」「一体全体」「元ひとつ」このような言葉が
私たちが肉体と思って、全体から分離する心を否定し、
いのちはひとつしかないことを教えています。
そのことをいつもいつも念じ、すれ違う人々にも
自分の心を見るとき、みんなが教えてくれていることを
知ります。
娘は私そのものでした。
穏やかなる時も、怒れるときも、自分よがりなときも
全体を思いやるときも、厳しいときも、やさしい時も
いかなる時も、その姿は私を教えていました。
息を引き取り、その夜は葬儀社の方が駆けつけてくださって、
ドライアイスを二日分といって、多めに体につけてくださいました。
亡くなったその夜の娘の顔は、なんだかきょとんとした
驚いたような顔に見えました。
明けて翌朝娘の顔に大きな変化がありました。
もうその時点で娘は大平安に包まれて喜悦の世界に戻っていました。
私は娘にありがとうと言いました。
その喜悦の表情が娘との約束の答えだと受け取りました。
そしてもう一つ娘は時の不思議を伝えていました。
いのちの実相 17
H先生は差し出された「念書」を念入りに読みました。
念書には、セカンドオピニオンのことは一切触れず、
以前の処方で効果が著しくあったものとして薬の名前を上げました。
気分調整剤としてのリーマスとデパケン
向精神薬としてのジプレキサとリスパダール
そして睡眠剤としての候補です。
先生は快諾してくださいました。
誠意を尽くして念書をしたためたこともありましたが、
何よりそれ以前の一年間の服薬と症状の月ごとの報告が
承認の理由となったようでした。
赦していただけたことに、とても感謝しました。
平成20年5月末から新しいチャレンジが始まりました。
そして一年をかけてまず睡眠薬を断ちました。
3年をかけて気分調整剤一日一錠(200MG)とリスパダール1/4錠にまで
減薬しました。(1/4錠はピルカッターという器具で切ります)
減薬の途中、娘には強いPMS(月経前症候群)があることに
気づきました。
くじら先生に相談したところ、それには漢方薬がいいということで、
当時千葉県牛久にあった内海聡先生を紹介されました。
内海先生も当時はネットで無料相談を受けていたのです。
内海先生は快く相談に乗ってくださいました。
そして娘のPMSには「甘麦大棗湯」(かんばくだいそうとう)がいいでしょうと
処方されました。
その「甘麦大棗湯」が娘にはぴったりあったのです。
イライラと怒り出します、服薬すると15分後にはピッタリとおだやかになるのです。
あまりの効果にびっくりしました。
そして便秘薬のことやさまざまなことに内海先生にはとても
お世話になりました。
ちょっと患者には厳しい先生でしたが、その後ネットはその過激さゆえか
閉鎖され、診療所も牛久から東京へと移られたようです。
何かの参考になればと、娘の薬効については最初の先生の著書に
掲載することを承諾させていただきました。
娘には内緒でしたが、今ばれました。(笑)
きっと笑っていることでしょう。
内海聡 著 「精神科は今日も、やりたい放題」がその本の題名です。
いのちの実相 18
「レベル4です。余命3ヶ月です。化学療法が必要です。」
医師の方の決まり文句がありました。
もちろん抗がん剤治療をお断りし、なんとか自然療法で治癒できないかと
思い、さまざまな情報を集めました。
とりあえず、がんの摘出手術は生命に関わるほどだったので
していただくことにしました。
暮れの12月になっていました。
5度ほどの医師の抗がん剤の勧めにも応じず、お正月に退院となりました。
その後の検診も数回で、詳しいCT検査とかはしていただけないままでした。
化学療法をしないということは、医師にとっては治療を拒否していると
みなされ、そのような患者に何故検査が必要ですか、との言でした。
なるほどでした。
直腸がんが見つかったとき同時にあった肺の小さながん細胞の
その後や、直腸がんのその後の状況をしらべることもなく、
9ヶ月が過ぎました。
今回はなんだか楽観していました。
なぜかといえば、結果である肉体は、原因である心が変化すれば治ることが
明確にわかっていたからです。
それで「屋久島の春ウコン錠剤」を主剤として他のものと
併用しながら、心の平安の維持につとめました。
「心が快復してきたのだから、必ず治る。」
と強く思いながらも、心が穏やかになってきたのに
何故体にがん細胞ができるのだろうと、娘の真の心の
状態がつかめないことに不安感があったのでした。
他人のことをどうこうすることは、絶対に不可能。
だから他人の人生を、他のものが語ることさえ意味のないこと。
それまでの学びから至極当然なことを思います。
ただ、親子という特別な関係だから、子を哀れに思う心を消すことはできません。
特に手術後の痛みも泣く、心もますます穏やかになってきた状態に
誰もが安堵していた矢先、肺がんの増殖がみつかります。
いのちの実相 14
娘がイメージした場所へ落ちていきました。
「ああ今度はダメかも・・・」
あの堅い屋根に7階から落ちて無事なはずがない。
それでも、あまりの激しいできごとにも心は冷静でした。
もしかしてと、予見する心があったのかも知れません。
とにかく救わなくてはと、救急車が到着と同時に
9時すぎの時間なので、もういなくなった3階のテナントさんに
連絡を取り、入室を許可いただいて、2階の突き出た4分の一円の
コンクリート屋根に横たわる娘を地上へと降ろしていただくのを
ぼんやりと見ていました。
出血はしていたようですが、頭ではありません。
救急車で先回と同じK病院へ。
そして緊急手術です。
先回の時と同じ先生が見てくださりおこられました。
「今度はダメですよ。!もう何回もやるんだから。!」と
怒り声です。
長時間の手術は終わりました。
結局頭を打っておらず、胸椎、骨盤、腰椎、左かかとの骨折で済みました。
骨折ですから背中にボルトが二本入りました。
しかしながら生命の危機が迫っていました。
手術後の危険な一日を終えて、娘はまた不死鳥のように蘇りました。
昏睡はその後数日続きます。
そして目覚めたのですが、数ヶ月の間、家族の認識ができない状態が
続いたのです。
落ちた場所は人間が横たわって、頭と足の前後がわずかに
20~30センチしかない場所です。
「あ~あ」とため息がでたのはそんな場所に落ちたら
まず間違いなく頭を打ち、即死が考えられたからです。
しかし娘はまたしてもこの世界からの離脱を赦されませんでした。
人生には何か知れぬ個人のシナリオがあってただ
そのシナリオをたどるだけかもしれない。
このふしぎな事件は、まさにそんなふうにしか考えることができないのです。
気のS先生とはこの事件で、ご縁が途切れました。