書くことは修行かも。
毎日のように、ご訪問くださるあなたさまの心に
ポッと灯がともったら嬉しいから、
毎日書かせていただけたらと願います。
9年前に去った名古屋商工会議所若鯱会の
25周年記念講演会が、話題の「千の風になって」の
作曲、訳詩の新井満さんの講演会です。
「般若心経」や老子さんの「道」をわかりやすく
解説する新井さんは現代詩人のようです。
お墓になにもないと以前にしゃべったら、
間違いなく変人あつかいだったのに、
現在は多くの方の共感を呼んでいます。
しかも今から旅立つたくさんのご老人たちが共感を
している事実が興味深いのです。
長い間、お墓やお経、先祖供養で
成り立ってきたお寺さんたちも大切ですが、
何か人間の未知なることを示唆するできごとの
ように感じさせていただいてます。
以前読ませていただいて多くを教えて
いただいた、アレキシスカレルさんの
「人間この未知なるもの」というご本が
急に頭に浮かびました。
わたしたちはひとりでしょうか。
出逢いの時間
人は出会う。
当たり前だけれど。
そして物凄い影響を受ける人もいる。
小学校、中学校時代なんか、
素敵な字を黒板に書く先生の真似をして、
自分の字が変化していく。
そんなことが数回あって、自分の本当の字が
確立していった。
今も変化しているのだろうけれど。
人生に強い影響を与える人さまとの出逢い。
そんな出逢いこそ、今回の人生の醍醐味だろうか。
会っては去り、あっては去りの繰り返しもまた人生。
他人様の集合体がまるで私のよう。
どんな人に出会うのかは、どんな人間に
なるのだろうかと同じように思わせていただく。
なつかしい出逢いに、心ときめき、
そして別れがくる。
今度はいつの「今」に、その方に出会わせていただけるのだろう。
そんなふうに思うと「大切にしよう」と思わざるを得ない。
仕事の話だけれども、いつも迷うのは「顧客優先ばかり
していると会社はどうなるのだろう。」という問題。
このことは人生の生き方にも通ずることだろうけれど。
今朝、そのことに触れている文章にいきあたった。
「愛他論」パウロの行動原理だ。
「私は、誰に対しても自由な者だが、すべての人の
奴隷になった。できるだけ多くの人をえるためである。
ユダヤ人に対しては、ユダヤのようになった。
ユダヤ人をえるためにである。・・・・弱い人に対しては
弱い人のようになった。弱い人をえるためにである。
すべての人に対してすべてのものになった。
何とかして何人かでも救うためである。」
ここでの自由な人とは、自分を捨てて
相手の奴隷になることによって、すべてを
獲得できる人という意味のよう。
「奴隷になれ」なんていやだ、言うべきことは
言うべきだ、と聞こえそうだけれど、
結局すべてを許し、相手の奴隷になることは
深いところの己の真の自由であり、意志である
のかも知れない。
出会う人すべてが私なのだから。
断酒
今年のお客さまとの集いを四月にクラウンホテルで
開催した。
懇親会でお客さまにお酒を注ぎまわった時、
ずいぶんとお客さまが年を取られたと感じた。
歯がほとんど抜け落ちてない方。
この方は、こちらより年齢がお若いはず。
それと社員さんにも一人、同じように
歯がなくて入れないままの方がいる。
いずれもお酒のみ。?
毎月一度、歯の点検とお掃除に歯医者さんに
通っている。
8年ほど前、イスラエルに旅立つ直前に、
下の前歯がグラっと傾いた。
夜食に入ったラーメン店で、かみ違えたから。
それで急ぎ歯医者さんにいって
応急処置をしていただいた。
その歯は8年たって、まだ大丈夫。
歯医者さんが驚いている。
月例短観 平成19年8月 「驚き」
あさみ ちゆき さん
この方のライブいいです。
ど演歌でもないし、なんでしょう。
「あしたのいえ」チャリティーコンサートで始めて
聴きました。次は東京青山とか。
あさみ ちゆき
代表選手
誰でもが三千世界の代表選手なんですから、
なるべくいのちが沸き立つような毎日が
望ましいですね。
からだもこころもいのちも、みんなみんな
よろこんでいる状態の継続。
生まれさせていただいたほんとうの理由から、
遠くにいればいるだけ、
世の中でいう苦難困難が激しいと聞きました。
不安は怒りのもとですか。?
怒りがだめと感じたら、
不安を消しましょう。
不安は執着だから、
執着を消すといううことでしょうか。
だけれども手ごわい執着は
現実世界ではいっぱいあって、
てぐすね引いて待ってます。(笑)
どこから消せますか。?
名誉、財、嫉妬、本能・・・・?
自らに語りかける月曜日。
戦争
きっと戦争なんて永久になくならない。
そんなふうに思いはするけれど、
戦争の体験に接する時、
人間のあまりにも深い業に
人類の悲しさを見てしまう。
映画「夕凪の街 桜の国」を観た。
ひとつの映画の中にふたつの時代がある、
戦中世代と戦後世代。
親父が戦争を語ることはない。
どこの親でもそうであるように、
何故か戦争を語らない。
まるで人間をあきらめているかのよう。
変な言い方だけれど。
最終のできごと、広島と長崎での。
そのことはこの8月、毎年人々の
記憶を呼び覚ます。
落としたアメリカは日本での原爆の
犠牲者の倍の人々が放射能の犠牲に
なったと聞く。
被害、加害の不思議。
長い間広島に行く機会がなくて、
初めて原爆記念館を訪ねたのは
8年ほど前になるだろうか。
不思議に静かな広島の街。
街を流れる川。
とても長い時間を館内ですごすことは
できなかったのを覚えている。
その後、広島の人たちと縁が繋がった。
物凄い情景、物凄い体験は
人間をそれだけ強くするものなのだろうか。
広島の人たちに、大きな愛と、寛容を見る。
そして同時に強さを。
子供達にも見てもらいたい「夕凪の街 桜の国」。
桜の国。
散っては、根の養分となって重ねていく歴史。
いさぎよい桜。
武士。
特攻。
まだ続くのか、人類の業。
まだ続けるのか支配、被支配。
真実を知るときがきているのだろうか。
全部許せたら
目の前で起きること、
それから人づてに聞いたことも、
(不確かだけど)
全部許せたら、
もうここにはいません。
存在する理由は、
全部は許せないから。(笑)
人間で生きててよかった。
許せない数だけの人生。
ちょっとおもしろい。