この道へ その7 「時が来た」

活動はS先生やAおじさんの影響か、多くの参加者を
巻き込んでいったのだが、活動の中心となる電話事業
そのものに魅力がなくなってしまった。
魅力といっても経済的な成功の魅力なのだが、
そのようなことは初めから眼中にはない。
経済ならば本業に力を注げばよいのだから。
いよいよ実際に放送局への道を模索する「時が来た」と感じた。

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この道へ その6 「DDNとありがとうおじさん」

同志で作りあげる自前のインターネット電話局網が
もろくも崩れ去ったあとは、動物占いやグルメナビの組織から
お話が持ち上がったが、いずれもその気がでない。
ただ農協の特販部のような会社からの紹介があった
突然変異のクロレラ「桃太郎」だけはモノとして
取り扱わせていただいた最初となった。
そして現在でもその出荷数量は増え続けている。
今話題のチェルノブイリでの被災者にも
無償提供され、白血病の治癒にめざましい効果をしめした。
だがモノは放送局設立という目的のための小さな手段でしかない。
多くの方が喜んで続けることができて、
しかもネットそのものが構築できるようなものはないのだろうか。
模索は続く。
そしてDDNにであうのである。

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この道へ その5 「ネットを基盤に」

こうして書かせていただくと、なんだか「人間とは何か」からは
しだいに遠く離れて行ったかに感じるかもしれないけれど、
そうでもない。
現実からそんなに離れることを望まず、
常に地に足をつけて歩まなければと自戒しきりだったから、
あまりに怪しいものからは遠ざかってはいたけれど、
平成5年から続いている会はいまだに参加させて
いただいている。
それは「冠之会」という。
ちょうど「高度情報科学セミナー」にであうと時を
同じくしてこの「冠之会」にもであうのである。

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この道へ その4 「高度情報科学セミナー」

大阪の駅から徒歩15分くらいにあるビルに
全国から毎週土日に多くの人々が集ってきていた。
「マルチメディアインフォメーションセミナー」と題うった
セミナーを受講。
それまでの自分の育った環境やめざした実業家としての
考え方に大きな影響を与える内容のセミナーだった。
土木技術者として、そして金属建築材料の製造販売者として
携わった業務や得た知識や人脈とは異なったものを体験する。
大きな視点が欠けていて、利益優先の小さな自分が
いかに無知であるか。

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この道へ その2 「きっかけ」

そのことがあった日より以前にも、時々はそれまでの生き方を
振り返るようにはなっていた。
その日は44歳のある日だったが、年齢から来る人生への
感慨もあったのかもしれない。
39歳となったその5年前には、自宅を壊し8階だてのテナントビルも
建築した後だった。
その頃突然に町の高架高速道路が廃墟にみえたりした。
未来の子供がお母さんに訊いている。
高速道路を指差しながら、
「お母さん、あれなあに。?」
そんなイメージさえ浮かんだ。

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この道へ その3  「自己啓発セミナー」

衝撃の一言を聞いてから何をしたくなったのかというと、
それは人間ってなんだ、自分ってなんだの問いの
答えを得ること。
それには自己啓発セミナーが一番だと、
いろんなセミナーを聞いたり調べたりした。
そして二つに絞った。
それはN創造○○○○とライフ○○。
ところがその二つはいずれも体験済みの紹介者が必要とか。
それで会う人会う人に聞きまくる。

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