ラマナ・マハルシの教え「私は誰か」 26 無欲と智慧には・・・

26・無欲と智慧にはどんな関係があるのでしょうか?

 無欲が智慧である。二つは別のものではない。
それは同じである。無欲とは、心がどのような
対象物に向かうことも差しひかえることである。
智慧とは対象物が現れないことを意味している。
別の言い方をすれば、自己以外の何ものも
求めぬことが無執着、あるいは無欲であり、
自己をけっして離れないことが智慧である。

ラマナ・マハルシとの対話(TALKS)より 29 ある帰依者が・・

ある帰依者がシュリー・ヴァカヴァーンに尋ねた
「各想念ごとに主体と対象が現れては消え去ります。
主体が消え去った時「私」も消え去るのでしょうか?
もしそうなら、どのように「私」の探究を進めれば
よいのでしょうか?」
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ラマナ・マハルシとの対話(TALKS)より 30 真我は・・

質問者

真我は「聞く者、考える者、知る者」などと描写されますが、その後で再び「聞く者ではなく、考える者ではなく、知る者でもない」と描写されます。
そうなのでしょうか?

マハルシ

その通りです。
一般の人は知性(ヴィジニャーナマヤ・コーシャ)の中に変化が現れたときに自分自身に気づきます。そのような変化は現れては消え去る一時的なものです。それゆえ、知性(ヴィージニャーナマヤ)は鞘(さや・コーシャ)と呼ばれるのです。
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ラマナ・マハルシとの対話より 31ー1 「シーヴァ・ナディとは・・」

1939年1月23日~28日 対話616(59才)

質問者

シーヴァ・ナディとは実体があるものなのでしょうか?それとも想像の産物なのでしょうか?
(シーヴァ・ナディ 個人の魂の霊的な神経経路)

マハルシ

ヨーギーたちはジーヴァ・ナディー、アートマ・ナディー、パラー・ナディーと呼ばれるナディー(霊的な神経経路)が存在すると言っています。「ウパニシャド」はそこから幾千ものナディーが派生するセンターがあると述べています。ある人はそのようなセンターは脳に位置すると言い、別の人は別のセンターに位置すると言います。
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ラマナ・マハルシとの対話より 31ー2 

つづき

今もなお内在する潜在的傾向がサマーディの静寂を妨げないようにするには、生来のヴァーサナーを根絶しなければならないのです。そのためヨーギーはクンダリーニーを(スシュムナーの延長でしかない)ジーヴァー・ナディーと呼ばれる経路を通してサハスラーラーからハートへと降ろします。このようにスシュムナーは曲線を描きます。それは太陽神経叢から始まり、脊椎を通って脳に昇りつめ、そこから曲がって降りて行き、ハートの中に到達するのです。ヨーギーがハートに達したとき、サマーディは永久的なものになります。これでハートこそが最終センターであることが理解できるでしょう。
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