平成13年11月6日夜、
愛知県豊橋市で用事が済んだ時刻が午後10時20分。
それから高野山へ向かう。約5時間はかかるだろう。
新郎Kさんと新婦Nさんの結婚式が翌7日に高野山で行われる。
その場に立ち会うためだった。
「さて、車中の長い時間をどうしよう。」と思ったとき、
ありがとう実験を思いついた。
“随想 伊路波村から84~高野山の秋 ~出逢い・縁~” の続きを読む
再生大和 霞の中にて活動する
平成13年11月6日夜、
愛知県豊橋市で用事が済んだ時刻が午後10時20分。
それから高野山へ向かう。約5時間はかかるだろう。
新郎Kさんと新婦Nさんの結婚式が翌7日に高野山で行われる。
その場に立ち会うためだった。
「さて、車中の長い時間をどうしよう。」と思ったとき、
ありがとう実験を思いついた。
“随想 伊路波村から84~高野山の秋 ~出逢い・縁~” の続きを読む
昔の話ですが
例の熊沢番山が 番山の師 中江藤樹の話を
聴きに 片道8時間かかる山道を通いました。
そして毎日、1時間の講義を垣根越しに聴いていました。
塾のお金を払うことができなかったのです。
ある日、藤樹は垣根にいる番山を呼びます。
そしてたずねます。
“随想 伊路波村から83~憂きことのなおこの上に積もれかし” の続きを読む
自分の人生を幼少期から現在まで書き留めさせて
いただいた「ある道のり」でした。
最も近い家族、仕事を通じた体験。
そして自分という性向をもちながら、
人生がどのように展開していったのかを
書かせていただいて、はやくもなつかしい思い出と
なりました。
“アクセスの多い記事から その7番目~随想 伊路波村から 1~思い出はじめ~” の続きを読む
会合へ出向く用事があって、
夕方タクシーに乗った。
運転手さんが関西弁なので、
「関西のかたですね。」と
話しかけた。
“随想 伊路波村から2~家族” の続きを読む
何気なくすれ違う人の顔など、
おそらく誰も覚えていないのだろう。
でもその時はなんとなく気になって確かに見ているはずなのに。
宿泊したかんぽの宿で、朝早くに
一階のお風呂に行った。
“随想 伊路波村から3~見ていない” の続きを読む
あれはこうして
これはこうして
こんな時はこの方法で
あそこが悪かったら ここで治すことを教えて
これがおいしいし 健康にいいし
からだにいい洗剤とか 悪い洗剤とか
よい化粧品とか 悪い化粧品とか
玄米とか 肉食とか
養殖とか 天然とか
農薬とか無農薬とか
西洋医学とか東洋医学とか
スピリチュアルとかフィジカルとか
とにかく全部 ほかして
目の前のことを いつも喜んで やって
水と空気とすこしの食べ物と
雨の降らない家と
寒くない服とが あって
助け合う家族と
挨拶しあう 会社仲間と
なるべく高く買ってくださる お客様と(笑)
黙っていても一緒にいたい友達が少しいれば
そんなふうな人生が いいです。
ジンときました・・・・。
悲しみのアンブレラ
雨が降り続いてる うだるような暑さも
あやふやのまま終わりにした 君と僕に似てるよ
生乾きで着た服は 湿っぽくて嫌だな
穏やかな顔して飲み込んだ 想いが今頃 溶け出した
雨音の中に潜んだ 君を辿る
今更 遅いけど
アジサイの花のように 雨の中にいても
綺麗な夢を咲かせられる 僕で在りたかったのになぁ
雨粒に紛れて 涙がこぼれ堕ちる
いつか君に 会えるといいな また
悲しみのアンブレラ 涙のせていくよ
この雨が止む頃に 僕の中の雨も
晴れ上がると信じて
水たまりを見つめてた 淋しさを映して
本当のことが言えたなら いつまでも君といたかった
雨雲が僕を包んで 夢を降らす
滴の中の君を求めていく
悲しみのアンブレラ 涙のせていくよ
傘の柄の君の名を 指でなぞりながら
潤む声で叫んだ
美しい空に架かる 虹が見える 幻じゃなく
でも 僕の心は 切なさで 濁ったまま
歩き出せずに 雨の中 悶えているよ
悲しみのアンブレラ 傘越しに見える空
悲しみのアンブレラ 涙のせていくよ
この雨が止む頃に 僕の中の雨も 晴れ上がって
君に また会えると 信じて
水 空気 エネルギー
生かされることに 基本的に必要なものは
みな ほんとは無料。
キレイな水 きれいな空気 を得ようとすると有料。
エネルギーたるや インフラをがっちり握った人々が
50年を超えて 供給してきた。
そして今 情報の世界では そのインフラを握った人々の
線や無線の供給で 通信費は莫大な額となった。
しかしこの通信費なるものも テレパシー能力が
人間に開花すれば 無料となる。(笑)
そして人間の目指す方向がかわれば なおそのことは加速する。
太陽や 空気や海や 供給してくださる自然から
エネルギーをいただければ これは無料。
もともと支配が生み出した現実は
消えてゆく姿だろうか。
土地持ちの家庭に生まれた人は
生まれたてから 生きる条件が整っている。
何も持たない家に生まれた人は
土地や家をもつことだけに人生の大半をかける。
持たなくても 維持することだけにと言ってもいいかもしれない。
働き続ける宿命を背負う。
そしてなるべく他人との関わりの少ない人生を選択する。
消耗を防ぐため。?
人間は一人では生きられない。
寄り添って 群れあって生きる動物だ。
そして人との接触によって 変化を生み出し
創造と実践の喜びを知る。
変化と感動は 生きる糧。
慈悲喜捨は生きるエネルギー。
そして 感謝はすべて。