3232「一瞬の幻」2023.11.1 自分で自分を自分するから

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今回はいっぷくからのありがとうさんの2023年10月18日の記事を紹介します。

「一瞬の幻」

皆さんは、自分の暮らしと、他人の暮らしを比較して、うらやましく思ったりすることはありませんか?

・お金持ちの家に生まれていれば

・もう少し器量が良ければ

・才能さえあれば

・健康でさえあれば

など。。

ですが、私たちは、生まれてくる前に、雲の上で神さまと、今世の目的や、やりたいことを相談し、その目的を達成するのにふさわしい、

・身体、

・家庭環境、

・そして将来起こるであろう人との出会いと別れ、

・事件や事故、病気。

・そして死ぬ時を決めて地上に降りてきました。

この地球で、どのような経験をしたいかによって、その経験をするにふさわしい

・金持ちの息子として生まれてきたり、

・病弱の身として生まれてきたり、

・奴隷として生まれてきたり

しています。

全ての人生のストーリーを自分で決めてきました。

その経験がしたかったから、敢えてその環境を選んで生まれて来たのです。

ここで例として

芥川龍之介が書いた「杜子春」という物語をご紹介します。

あらすじをご覧ください。

<転載開始> 転載元 

■杜子春と仙人の出会い

唐の都である洛陽に、杜子春 (とし しゅん)という若者がいました。

彼は金持ちの家に生まれますが、両親が残した財産で遊びながら暮らしており、

散財した今では、一文無しの生活を送っていたのでした。

ある日、そんな彼のもとに一人の老人が現れて、夜中にこの場所を掘るようにと告げます。

杜子春はその通りにすると、そこからは黄金が掘り出されました。

一晩にして彼は大金持ちになり、

これまでは見向きもしなかったような人たちが、屋敷に訪れるようになります。

■贅沢と貧困の繰り返しの中

大富豪となった杜子春は再び贅沢三昧の暮らしをし始めます。

しかし、やがてはその財産をも使い果たし、以前と同じように一文無しの生活に戻るのでした。

すると再び老人が現れて、金を掘るように告げます。

そして大金持ちになり、またしてもそれを使い果たすという繰り返しを経て、

三度目に老人に出会った時には、杜子春の心に変化が起きていました。

お金があればもてはやされるが、一文無しになれば誰も見向きもしないということを知ります。

そして人間というものに嫌気が差し、お金はいらないから老人の弟子にして欲しいと頼むのでした。

杜子春は、その老人が仙人であるということに気がついたのです。

■峨眉山での修行

老人は自らを鉄冠子という仙人であると明かすと、

杜子春を自分の住んでいる峨眉山へ連れて行きます。

そこで試練として、仙人が帰ってくるまで何があっても口をきかないと約束をします。

虎や蛇に襲われても地獄へ落とされても、彼は約束通り何も言いませんでした。

どうしても口を開こうとしない杜子春に怒った閻魔大王は、

既に亡くなっている彼の両親を連れて来て目の前で苦しめます。

閻魔大王に痛めつけられながらも、自分のことを一番に思ってくれている母の心に心を打たれ、たまらず母を呼んでしまうのでした。

■仙人が与えてくれたもの

お母さん、と一言叫んだと同時に杜子春はたちまち現実の世界へと戻りました。

実はこれまでの出来事は全て、仙人が見せた幻だったのです。

もしあのとき杜子春が何も言わなかったならば、仙人は彼の命を奪っていたと言います。

これからはもっと人間らしい正直な暮らしをするという言葉を聞いた仙人は、

杜子春に一件の家と畑を与えて去って行きました。

<転載終了>

お金持ちになって、贅沢三昧をし、それに釣られて沢山の人が集まり、

そして、お金が底をつくと、誰も見向きもせずに離れて行き、

地獄でいじめられる両親の姿を見て、何も持たない惨めな自分であるのに、

それでも、自分を大切に思ってくれる両親の姿、

これら壮大なドラマが、実は一瞬の幻だったのです。

もしかしたら、私たちの人生は、これと同じように一瞬の幻、夢物語かもしれませんね。

農民から、一代にして太閤殿下に上り詰めた、豊臣秀吉の辞世の句は・・・

「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」

です。

天下統一の目前まで行った織田信長の好んで使った詩は・・・

「人間50年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」

でした。

生きているうちに、あのような波瀾万丈(はらんばんじょう) を生きた人たちでさえ、

死ぬ間際に気づいたのです。

人生は、一瞬のことであり、人生は、夢、幻であった。

人生とは、単なる役割に過ぎなかった。

私たち人間は

自分の見たいものを見て、経験したいものを経験し、

みんなが、実際は同じ世界に居ながら、全く異なる経験をしてます。

同じ世界に暮らし、同じように生きているのに、それぞれの心の状態によって

・ある人は地獄に住み

・ある人は幸せな天国に住んでいます。

同じ世界に暮らしているのに・・・

私たちが見る世界、聞く世界、経験する世界は、私たちの心の反映です。

私たちの心の状態を正確に映し出した世界に、今住んでいます。

ゆがんだ世界に生きているのであれば、心のどこかに ひずみ があるからです。

空海が仰ったように私たちは、

生きながらに、天国にも、地獄にも住むことができるからです。

これを空海は、即身成仏という言葉で教えてくださいました。

あなたは、今天国に住んでいますか?

それとも地獄のような苦しみ、疑心暗鬼の渦巻く世界に住んでいますか?

全ては私たちの心ひとつが作り出した世界です。

皆様がどうか、生きながら天国に住むことができますように。

周りの方と、お互いさまの心で助け合い、笑顔で暮らしていくことができますように。

生きている世界は、まったく同じなのです。

ただ、様々な出来事を、どのように受け取るか だけの違いで、まったく異なる世界に投げ出せれます。

・良きことも、悪しきことも、感謝の心で受け取っているか

・不平不満、悪口、嫉妬、憎しみの心で受け取っているのか

人生は、夢、幻の世界、私たちは、自分で決めた人生ストーリーの役者

もともとは、純粋で優しい魂の持ち主です。

いつでも、役柄を変え、心根を変えることで、

天国に住む準備ができています。

自分は天国に住むと、決断するか、しないか?

決断すれば、すぐに世界は変わってくることでしょう。