「大空が語りかける」~内山興正 師~


「自分」

苦しみながら 苦しんでいない自分あり
悲しみながら 悲しんでいない自分あり
得意でありながら 得意でない自分あり
酔いながら 酔っていない自分あり
そんな何んともない自分にはっきり覚めて
それに深まるなかに 安らう自分あり


「蒼穹(あおぞら)」
みつめても みつめても
みきわめきれない その深さ
明るく透きとおっているのに
み据えられない その奥行き
雲たちを思いのまま飛ばせながら
ゆきづまらない その広さ
地上一切までも やわらかく包んで
ゆるしている その大ほらかさ
有と無と分かれる以前のすがたで
蒼穹はある
有るかぎりの在るものも
すべてみな 蒼穹のごとくに
あるのではないのか
この私自身までもふくめて
「仏道をならふといふは自己をならふなり」
-正法眼蔵現成公案-
あなたが呼べば 私はこたえる
それは 私が 私にこたえるのである
世界についての情報を 私はきく
それは 私についての情報を
私がきくのである
あなたが困っていることに
私が手を貸す
それは 私が困っていることに
私の手を貸すのである
私が 師にしたがって学ぶ
それは 私が
私にしたがって学ぶのである
そんな 何をとりあげても
自己でないものはない
生きた自己ぎりの自己をならうこと
それは 自受用三昧(じじゅゆうざんまい) 仏道を
ならうことである