わたしはマザーにあったより

「あなただけのいのちではありません」          川本義隆
深く刻まれた顔のしわ。しかし、その女性の澄み切った目を見たとき、
まさに吸い込まれそうに感じた。
マザー・テレサ。今から十数年まえ、晩年の彼女が広島の平和記念資
料館にこられたときの印象である。
マザーについて語るまえに、まず二人の女性について語りたい。
ひとりは、今なお資料館にその「遺品」が残されている折面君のお母
さん。


当時、広島ニ中(現在の観音高校)の生徒だった折面君は、原爆によ
っていのちを失った。お母さんは半壊した自宅をはだしで飛び出し、
川を泳ぎわたって、息子が学徒動員で働いていた作業場へ走った。一
日中黒こげの遺体のなかを探し回っているうちに、半分焼け残ったリ
ュックサックのなかから真っ黒になった弁当箱を見つけた。まぎれも
なく、それは息子のもの。彼女はその遺体を抱きかかえ、我が家に連
れ帰った。
黒こげの弁当箱をまえに、今日の見学者は「原爆の威力ってすごいん
だなあ」という。しかし、あの母の愛と悲しみに思いをはせる人はほ
とんどいない。
もうひとりは、わたしの母。
あのとき、広島一中(現在の国泰寺高校)の一年生だったわたしは、
頭上580メートルのところで原爆が炸裂した瞬間、たまたま教室の
なかにいたので、かろうじていのちだけは助かった。三十分ほど気絶
していたのち、瓦礫のあいだから這い出し、一週間後に郊外の家にた
どり着いた。髪も眉も抜け、毎日血を吐くわたしに、母は掘り出した
木の根っこや木の葉を煎じ、口移しに飲ませてくれた。食料も医薬品
も極端に欠乏していた時代のことである。その煎じ薬が効いたのかど
うかはわからない。しかし、わたしがあれ以来今日まで病気もせずに
生きてこられたのは、母のおかげであるとかたく信じている。
母の愛はほんとうにすばらしい。
マザー・テレサが広島平和記念資料館にこられたとき、館長だったわ
たしはあの黒こげの弁当箱の説明をした。じーっと聞いておられたマ
ザーの目から涙が流れた。
マザーはご自分の首にかけておられたメダイをはずすと、それをわた
しの首にかけてくださった。
「川本さん、いのちを大切にしてください。あなたのいのちは、あな
 ただけのいのちではありません。次代を生きていく若い人たちのい
 のちです。このメダイのことを思い出し、子どもたちにいのちの尊
 さを話してあげてください。」
次の訪問地、岡山に発たれるまえに駅前でささやかなお別れの会をし
た。マザーはわたしの手を握りしめて放されない。
「このぬくもりが分かりますか?この手を開いたとき世界に平和がき
 ます。川本さん、このぬくもりをあなたに授けますから、あなた自
 身で考えてください。どうか生涯にわたって――― 子どもたちの
 ために。」
マザーは、じーっとわたしの目を見ながら長いあいだ手を放そうとさ
れなかった。
わたしのような宗教に無縁の者でも、吸い込まれてしまいそうなきれ
いな目。ほんとうに偉大な人物だなあと、わたしもマザーのお顔を眺
めた。
マザーからいただいたメダイはわたしの心の宝物。実は今日この話を
するまで、わたしはこのことをだれにも話さなかった。自分の胸にだ
け静かに秘めておきたかったからだ。
マザーのお姿を思い出すたびに、母の姿がオーバーラップして見えて
くる。マザーがお帰りになったあと、そのすごさはますます深くわた
しに迫る。
以来、わたしは子どもたちにいのちを大切にすることについて語りつ
づけようと心に決め、そして語りつづけて生きてきた。年をとって足
を痛めた今もなお、頼まれれば出かけていくのはそのためである。
                (元『広島平和記念資料館』館長)