再録 奇跡の道 その68~赦しでさえも終着点ではない。・・

「赦しでさえも終着点ではない。赦しは麗しさを
もたらすが、創造しない。それは癒しの源ではあるが、
愛の源ではなく、愛の使者である。」

自分と兄弟を赦しても、また赦しても
それは麗しさを感じるだけであって、
決して創造はできないようですね。
だから癒しの源を感じはしますが、
愛の源を感じることは出来ずにいて、
赦しはただ愛の使者とはなる様です。

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森 信三 運命をひらく 365の金言 30 「報謝」

報謝

人間は職業に対する報謝として、後進のために実践記録を残すこと。
この世への報謝として「自伝」を書くこと。
そして余生を奉仕に生きることーー
この三つは、人間としての最低の基本線でどうしてもこれだけはやり抜かねばならない。

再録 奇跡の道 その67~私はなにもする必要がない

「私は何もする必要がない」

アレレ する必要がないと言うことは
必要なものはいつもすべてある ということですね。

そして、まさかのこの言葉を ただの一瞬でいいので
信じ切れば、1世紀にわたる観想以上のものを
あたえられると聞きました。

どうも肉体次元で考えがちな自我人間なので、
「み~んなお任せ」の心境にはなかなかですね。
この「み~んなお任せ」でのうてんきだと
肉体の病気も消えるようですね。
だってないものをあると決めているのは
自我のこころですからね。
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森 信三 運命をひらく 365の金言 29 「仕事に没入」

仕事に没入

 人間も、地位や名誉を忘れ得ぬ間は、いまだ心に隙ありと知るべし。さりとてまた最初から地位や名誉を欲せぬような人間も役に立たず。

 人一倍地位や名誉を欲する人間が、飜身(ほんしん)一転すべてを投げ打ちて、仕事そのものに没入する時、かえって地位や名誉も伴い来ることを常とす。

 ただし現実界ゆえ必然にとはいえず、ゆえに根本の根は、必ず切断し置くを要す。

再録 奇跡の道 その66~奇跡とは偽りの神々を・・・

「奇跡とは偽りの神々をすべて手放した神の子が
兄弟たちにも同じことをするように呼びかける行為」

兄弟がいなければ奇跡には至らないと
聞いています。
そして奇跡とは癒しであり救済であるとも。

だいたい神々なんてことはなくて、ただ一つの神の
子である自己が出会った兄弟たちを通じて行う行為が
奇跡(赦し)です。
その行為を通じて、兄弟たちにも同じように
赦しをおこなって、と呼びかけることが奇跡でもあります。
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