2553「死なないで!」2021.12.21 自分で自分を自分するから
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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年12月16日の記事を紹介します。
「死なないで!」
周りを見渡してみると、元気はつらつの人もいらっしゃいますが、本当に辛そうな方々も沢山いらっしゃいます。
日本とユダヤのハーモニー 「天皇家とイスラエルの関係」 2
もうこれ以上は・・・
ミネハハ 『お父さんの唄』
再録 奇跡の道 その115~魔術的想念にどう対処すべきか
「魔術的想念にどう対処すべきか」
このことについての最初の責任は、攻撃しないことですね。
もし一つの魔術的な考えが何らかの形の怒りを
呼ぶとしたら、罪を信じる信念を強めてしまって、
自分自身に有罪宣告をしたということにありますから。
そして、ゆううつ、苦痛、恐れ、災禍が自分のもとに
訪れることを自分で求めてしまったということですね。
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令和 4年 6月までの冠之会 慈藹塾読書会のご案内
令和 4年 6月までの冠之会 慈藹塾読書会のご案内
年の瀬も迫ってまいりました。
今年も集いに多数のご参集を賜り、誠にありがとうございました。
さて、半年分の集いの日程ご案内です。
慈藹塾読書会はあと「修身教授録」の講が11回となりました。
丁度令和4年の12月読了となり、来年をもちまして、一旦休会の予定です。
また休会となっております「テネモスミーティング名古屋」ですが、
新たに4月ごろから「いろはミーティング」として開催させて
いただく予定となりました。
全国各地に広がりを見せる次世代に向けての
さまざまな活動グループとコラボレーションできればと
念願しています。
以上ご報告申し上げます。
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森信三先生の言葉 16~コトバを慎むということは、修養の・・
コトバを慎むということは、修養の第一歩であると共に、また実にその終わりといってもよいでしょう。否、コトバを慎むということは、ある意味からは修養の極致といってもよいでしょう。さればこそ古人も「辞を修めることによって誠が立つ」といわれたゆえんであります。
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人間の修養の眼目は、これを内面からいえば、「心を浄める」ということであり、これを現れた処から申せば、まずコトバを慎むということが、その中心を為すといってもよいでしょう。心を浄めるとは、すなわち誠ということでしょうが、しかもコトバを慎むということは、実はそのまま誠に到る道なのであります。
〇
人間の人柄というものは、大体その人が、他人から呼ばれた際、この「ハイ」という返事の仕方一つで、大体の見当はつくと云えましょう。それと申すのも、その人の名前を呼ぶということが、その人の全人格に対する呼びかけであるように、これに対する「ハイ」という返事も、またなるほどコトバとしては、唯の一言ですが、これまた、全人格の発露でなくてはならぬからであります。