

しき おり おりの はな しょうよふ
はなは さくらき やまは ふじ
ひとは つれづれ やまと ごころは あひごころ
さんふく ついで しょう ちくばひ うつくしく
“天音天画 2020 0224” の続きを読む
再生大和 霞の中にて活動する
しき おり おりの はな しょうよふ
はなは さくらき やまは ふじ
ひとは つれづれ やまと ごころは あひごころ
さんふく ついで しょう ちくばひ うつくしく
“天音天画 2020 0224” の続きを読む
メニューにある道のり他ができました。
何もかもが すべてを知っているの
かもしれません。
一つしかない 宇宙 世界
生命ですから。
魂の旅 ~ネボ山・イスラエル失われた民族を訪ねて~
モーセロミュロス。40年間にわたって、30万人の民を
従え約束の地をめざした人。
1999年5月。その約束の地エルシャライム(エルサレム)をはるかに
臨むネボ山にたっていた。
故糸川英夫博士の想いと遺骨を届ける旅は、糸川博士の愛弟子
・津のAさんの企画だった。
1948年イスラエルは建国宣言された。初代首相は、故デビ
ッド=ベングリオン。ベングリオン首相の建国の志は、
「荒地を緑の地にかえよう」だった。
そして世界に散りじりになった民族同胞はイスラエル
に戻れと鼓舞し、先住民族ベドウィンの緑地化技術を世界の人
々に教え伝えようではないかと宣言したのである。
この高邁な志に糸川博士は心からの敬意を表し、同時代に生き
ることのなかったベングリオン首相の魂との触れあいの中でイ
スラエルと日本の助け合いなくして、21世紀の地球国家はな
いと言い切ったのである。
1999年2月21日午前3時15分。糸川博士は逝った。ベ
ングリオン首相も糸川博士もよく知らない人々と共に、ベング
リオンご夫妻の眠る墓地で献花した。
何故だかみんな泣いていた。
糸川博士とベングリオン首相がにこやかに笑っているよう
な気がした。
糸川博士は生前、
「ベルバラがわからないと21世紀はみえない」
(?)と言ってみえた。
ベルサイユ条約のことだったのだろうか。
WASP。ホワイト、アングロサクソン、プロテスタントが有色
人種を支配しようという秘密条約。
そのことに最大の抵抗をみせたこの日本という国の過去。
最近の映画『ムルデカ』や『東京裁判』に歴史の真実を知る。
糸川博士の想いは、「国を追われた流民の旅人、
ユダヤ民族と共に大調和を知る日本民族が21世紀の
先導役をせよ。」と訴えているのだろうか。
死海のほとり、マッサダの砦は最後のユダヤの砦だった。
ローマ軍に滅ぼされる前日、全員自決した最後のユダヤの人々は屈辱よ
りも誇りを選択した。現在もこの砦では軍に初入隊する男女の宣
誓式の場として、長くイスラエルの誇りを守っているという。
はるかに約束の地をのぞむネボ山に立ち、聖書物語を思い出して
いた。「ヨシュアよ。私は約束の地を見ることはない。あとはお
まえが民を導くのだ。」といって姿を消したモーセ。その墓は今
も見つかっていない。
人にはそれぞれ約束の地がある。それは場所ではないかも知れな
い。生き方を探求する道につながる約束の地。大きな感動が山上
の風にあおられ、固い決意が生れた。
「何があってもやり抜こう。いのちに正直に生きよう。」
モーセが激しく語りかけるようだった。
絶対孤独 絶対無
絶対歓喜 一人旅
遠き旅
光を語ればすべては見えない。
私たちは見える所に生かされている。
ビルの端にかかる夕陽をみると
ビルの一部が消えてしまう。
あまりににぶいそして粗い光の中で
生かされているから物がみえるのだろうか。
アンデルセンの久村さんが壁に腕を通した。
そして抜いた。
私たちのまわりのいつもあるものってなんなのだろう。
明日がくると無意識下に信じているから明日がくる。
明日はこないと思う人には明日は来ないかも知れない。
今ある物体が400km離れた知らない場所に瞬時に
置き換えられる。空間って、時間って何だろう。
三次元をはるかに抜き越えた多次元からみれば
そんなことはあたりまえかも知れない。
ここまできたらそして一緒にいるから、
意識をつなげていようよ。
意識のチェーンで輪をつくろうよ。
せっかく会ったんだから。
過去と呼ばれるあらゆるできごとも、
未来と呼ばれるまだ見ぬ出来事も、
みんな今、一人が創ったことだろうか。
限りなく孤独であって、限りなく満ち足りた
すべてのあなたよ。
一人しか,ひとつしか存在がないのです。
ある日の朝刊。
長く魚屋さんを営む50代御夫婦のお話。
魚屋さんの近くに大きなスーパーができることになった。
スーパーの営業のかたがスーパー内での出店の勧誘にみえた。
時代がかわりとても魚屋だけではやっていけない。
でも主人は断る。
毎朝市場へ行って、自分の目で確かめた魚を
店頭にならべた自信と体験と誇り。
「やっぱり値段ですよ、消費者はそれだけです。」
営業の方の帰り際のすてぜりふ。
ある日奥さんの前でめずらしく正座したご主人がたずねる。
「今家にいくらある?」
「ここでろばたでもやりたい。このままスーパーに
まけるのはいやだ。」
奥さんは若い頃自分の父親にむかって
「嫁さんにください」と必死だった御主人の姿を思い出し、
思わずにじりよって、御主人の両手を握りしめた。
理想をとるか、実利をとるか。
多くの人が選択をせまられているのだろうか。