随想 伊路波村から77~イスラエル ネボ山 010531

魂の旅 ~ネボ山・イスラエル失われた民族を訪ねて~

モーセロミュロス。40年間にわたって、30万人の民を
従え約束の地をめざした人。

1999年5月。その約束の地エルシャライム(エルサレム)をはるかに
臨むネボ山にたっていた。

故糸川英夫博士の想いと遺骨を届ける旅は、糸川博士の愛弟子
・津のAさんの企画だった。

1948年イスラエルは建国宣言された。初代首相は、故デビ
ッド=ベングリオン。ベングリオン首相の建国の志は、
「荒地を緑の地にかえよう」だった。

そして世界に散りじりになった民族同胞はイスラエル
に戻れと鼓舞し、先住民族ベドウィンの緑地化技術を世界の人
々に教え伝えようではないかと宣言したのである。

この高邁な志に糸川博士は心からの敬意を表し、同時代に生き
ることのなかったベングリオン首相の魂との触れあいの中でイ
スラエルと日本の助け合いなくして、21世紀の地球国家はな
いと言い切ったのである。

1999年2月21日午前3時15分。糸川博士は逝った。ベ
ングリオン首相も糸川博士もよく知らない人々と共に、ベング
リオンご夫妻の眠る墓地で献花した。
何故だかみんな泣いていた。
糸川博士とベングリオン首相がにこやかに笑っているよう
な気がした。

糸川博士は生前、
「ベルバラがわからないと21世紀はみえない」
(?)と言ってみえた。
ベルサイユ条約のことだったのだろうか。
WASP。ホワイト、アングロサクソン、プロテスタントが有色
人種を支配しようという秘密条約。
そのことに最大の抵抗をみせたこの日本という国の過去。
最近の映画『ムルデカ』や『東京裁判』に歴史の真実を知る。
糸川博士の想いは、「国を追われた流民の旅人、
ユダヤ民族と共に大調和を知る日本民族が21世紀の
先導役をせよ。」と訴えているのだろうか。

死海のほとり、マッサダの砦は最後のユダヤの砦だった。
ローマ軍に滅ぼされる前日、全員自決した最後のユダヤの人々は屈辱よ
りも誇りを選択した。現在もこの砦では軍に初入隊する男女の宣
誓式の場として、長くイスラエルの誇りを守っているという。

はるかに約束の地をのぞむネボ山に立ち、聖書物語を思い出して
いた。「ヨシュアよ。私は約束の地を見ることはない。あとはお
まえが民を導くのだ。」といって姿を消したモーセ。その墓は今
も見つかっていない。

人にはそれぞれ約束の地がある。それは場所ではないかも知れな
い。生き方を探求する道につながる約束の地。大きな感動が山上
の風にあおられ、固い決意が生れた。

「何があってもやり抜こう。いのちに正直に生きよう。」

モーセが激しく語りかけるようだった。

随想 伊路波村から78~何処へ 020911

光を語ればすべては見えない。

私たちは見える所に生かされている。

ビルの端にかかる夕陽をみると
ビルの一部が消えてしまう。

あまりににぶいそして粗い光の中で
生かされているから物がみえるのだろうか。

アンデルセンの久村さんが壁に腕を通した。
そして抜いた。

私たちのまわりのいつもあるものってなんなのだろう。
明日がくると無意識下に信じているから明日がくる。

明日はこないと思う人には明日は来ないかも知れない。

今ある物体が400km離れた知らない場所に瞬時に
置き換えられる。空間って、時間って何だろう。

三次元をはるかに抜き越えた多次元からみれば
そんなことはあたりまえかも知れない。

ここまできたらそして一緒にいるから、
意識をつなげていようよ。

意識のチェーンで輪をつくろうよ。
せっかく会ったんだから。

過去と呼ばれるあらゆるできごとも、
未来と呼ばれるまだ見ぬ出来事も、
みんな今、一人が創ったことだろうか。

限りなく孤独であって、限りなく満ち足りた
すべてのあなたよ。

一人しか,ひとつしか存在がないのです。

随想 伊路波村から79~老いを生きる 140417

ある日の朝刊。
長く魚屋さんを営む50代御夫婦のお話。

魚屋さんの近くに大きなスーパーができることになった。
スーパーの営業のかたがスーパー内での出店の勧誘にみえた。

時代がかわりとても魚屋だけではやっていけない。
でも主人は断る。

毎朝市場へ行って、自分の目で確かめた魚を
店頭にならべた自信と体験と誇り。

「やっぱり値段ですよ、消費者はそれだけです。」
営業の方の帰り際のすてぜりふ。

ある日奥さんの前でめずらしく正座したご主人がたずねる。
「今家にいくらある?」
「ここでろばたでもやりたい。このままスーパーに
まけるのはいやだ。」

奥さんは若い頃自分の父親にむかって
「嫁さんにください」と必死だった御主人の姿を思い出し、
思わずにじりよって、御主人の両手を握りしめた。

理想をとるか、実利をとるか。
多くの人が選択をせまられているのだろうか。

ガリラヤ湖の153匹の魚

イエス様三度目の復活の場面。
ガリラヤ湖で網にかかった153匹の魚の意味を考える。
 
三で割れる数字の中で唯一の数の意味を勝手に理解。
全自然数の3分の一である3で割り切れる数の中の
唯一の特徴を持つ数である153。
これしかない。
 
父と子と聖霊の三位一体。
その三位一体の唯一の数とは、一人一人。
すなわち貴方様。?
一人一人が分離感をなくすようにとイエス様が数霊に込めた気がいたします。
 
ゼカリヤ書13・8-9
 
⑧全地はこうなるー主の言葉-
三分の二は死に絶え、三分の一がそこに残る。
 
⑨わたしはその三分の一を火の中に入れ、銀を精錬するように彼らを精錬し、金を試すように彼らを試す。彼はわたしの名を呼び、わたしは彼に答える。
わたしは言う、「これはわたしの民」。
そして彼は言う、「主こそわたしの神」。
 
 
ほとんど死んでいるかのように生かされる人々で
満ちている現代という時。
三分の一が分離感を解き放ち生かされた者と
なるかのようなイエス様の預言です。
 
 
こちらは現代のキリスト教とは無関係ですが。
イエス様の言葉は別次元と感じさせます。
 
名古屋ー豊田ー飯田と続く飯田街道
豊田ー飯田は国道153号線。
田ー田の「田田交産」新しい力を生み出すこと。
 
そして中部日本放送は1053キロヘルツの周波数。
 
日本の真ん中の不思議な数霊を思います。
 
数霊の遊びですが。